1章5話 冷めた紅茶と、髪の色
「お会いしたくなければ、追い返しますわ」
そう言うリリアナに首を振り、許可を出すとその少年はすぐ入ってきた。
髪を短く刈り上げて背が高く、体格のいい彼をアイリーンは知っている。
彼はフィデル・オースウェル。
武闘派貴族、グランディヴェル騎士団長の息子でリリアナの二つ年上の兄。
そしてアイリーンの婚約者候補の一人だ。
「皇女殿下、紹介いたしますわ。兄のフィデル・オースウェルです」
リリアナがそう言い終わらないうちに、フィデルはアイリーンの前へ進み、静かに床に跪いた。鍛え上げられた体躯に制服が引きつる。
突然の行動に多少面食らいつつも、アイリーンはそれを一旦受け入れた。
「お久しぶりです、フィデル様」
「皇女殿下におかれましては、本日もご機嫌麗しく。この度、妹が皇女殿下の護衛に選ばれたことは家門の誉れでございます。自分がお傍にいられないのは大変残念ではありますが、妹が立派に務めを果たすことを祈るばかりでございます」
少しかしこまった口調で挨拶を述べられてアイリーンはかける言葉に迷う。
「立ってお顔を上げてください、フィデル様。ここでは同じ生徒同士ですわ」
アイリーンが声をかけると、フィデルは跪いた体勢は変えず、顔だけを上げた。
リリアナと同じ空色の瞳はアイリーンに会えた喜びで光り輝いていた。
「自分は身長が高く、立つと皇女殿下を見下ろす不敬となってしまいます故、御前では跪くことをお許しください」
「お兄様。その忠誠心は結構ですが、それでは我が家の品位を貶めます。お立ちなさいな」
リリアナはうんざりといった顔でフィデルを見た。妹からの苦言にフィデルがうなだれる。しかしそれでも跪いた体勢は崩そうとしないので、リリアナは再び大きなため息をついた。
「申し訳ありません皇女殿下。我が家の性質のようなもので……受け入れていただけると光栄でございます」
仲の良いオースウェル兄妹に微笑んでいると再びグレースが背後に近づいていた。
「皇女殿下」
「ど、うしたの?」
音のない接近に心臓を高鳴らせながら尋ねると、彼女は扉に目をやりながら口を開いた。
「その、実は、フィデル様と一緒にアルバート様もいらっしゃっております。扉の向こうにいらっしゃるのですが、お会いにはなりませんか?」
その名前に、アイリーンの心臓が締め付けられる。
サロンの扉が、急に存在感を増してアイリーンの目に映った。鼓動が耳元で早鐘を打っていてうるさい。
「アルバート様は、なんて言っているの?」
少し震える声で問うと、グレースの顔が曇る。言い淀みながら答えた。
「その、自分は、入らなくていい、と」
――そうですか。入ってこないなら、何をしに来られたのですか。
憤りという名の氷がアイリーンの胸の奥で形を成したところで、不穏な空気を察したリリアナがフィデルの腕をとった。
「お兄様。もう気は済んだでしょう! お帰りくださいませ」
「こ、皇女殿下。御前を失礼します」
「わたくし、お兄様を見送ってきますわ」
フィデルを無理やり立たせてその背を押しながらリリアナが言うと、アイリーンは答えた。
「私も行きます」
「え?」
戸惑うリリアナとグレースをよそにアイリーンは立ち上がる。
「ご挨拶を」
アイリーンは音も立てず、けれど確かな足取りでペールグレーの絨毯を横断した。グレースが手を貸すよりも早く、自らの手で扉を開く。重厚な扉は、アイリーンの手にはひどく重く感じた。
誰もいない冷えた廊下に響く。
扉が開く音にアルバートが顔を上げた。
廊下を横断する形で、紅と翠緑が交わる。
「なにか御用ですか、ヴェルストラーテン公爵令息様」
その言葉をぶつけられた瞬間、アルバートの端正な顔が耐えがたい苦痛を飲み込んだように歪む。
アルバートは言葉を返せなかった。口を開くことさえできず、ただ縋るようにアイリーンを見つめる。
その目に、アイリーンは温度のない瞳で答えた。
沈黙が二人の間に鋭く刺さる。
その痛い静寂を終わらせたのはリリアナ。
アイリーンがいるのとは逆の扉を開いて、彼女は兄を廊下に放り出した。
「さ、お帰りなさいませ。お兄様……アルバート様も」
廊下であっけにとられている兄に言い放ち、その流れでアルバートにも目を向ける。
リリアナは丸い瞳を別人のように鋭くしてアルバートに向けていた。
アルバートは苦い顔をしてその目をにらみ返す。
目と目で会話をする二人の間にはなにか深い関係が感じられた。アルバートとは幼い頃から長く顔を合わせてきたが、こんなにも感情をむき出しにした姿をアイリーンは向けられたことがなかった。
王党派筆頭のヴェルストラーテン公爵家と武闘派筆頭のオースウェル侯爵家。
本来であれば相容れないはずの二人が、派閥の垣根を超えて堅固な関係を構築していることが伺える。
――アルバート様は、リリアナを。そういう、ことですか。
黒髪赤目の公爵令息と金髪碧眼の侯爵令嬢。
二人の姿は物語から出てきたかと思うほど美しく見える。
アイリーンは母親譲りの赤橙の髪を気に入っていた。
親戚たちは黒髪で、それはここ数代の皇族で続いている。皇帝の証ともいえる色を受け継げなかったのは残念だったが、見ればいつでも母親の笑顔を思い出せる自分の髪が大好きだった。
そんな自慢の髪もリリアナの輝く金髪の前ではくすんで、色褪せて見えた。
「では、失礼いたしますわ」
いつまでも動こうとしない二人に痺れを切らして、リリアナの手によって扉が閉められる。
――私よりも、好きな方ができたのね。
そう考えると、腑に落ちた。落ちてしまった。サロンの重厚な扉が閉まると同時に、アイリーンには自分の体が軋む音が聞こえた。
部屋の中に背を向けた状態で、アイリーンは鬱々とした感情を壊し潰すようにきつく目を閉じた。
それは一瞬で、リリアナもグレースも気づかない。
「リリアナ、紅茶のお変わりをもらえますか? もう、冷めてしまったようなので」
——私は、この手でパートナーを選ぶ。誰かに選ばれるのではなく。選ぶ側に立つ。
振り返ったその顔に、揺らぎはなかった。
***
閉められた扉の向こうで、アルバートは茫然としていた。床に転がっていたフィデルは立ち上がると、一息吐いてアルバートに近づく。
「リリアナが怒っていたが、なぜだ?」
「……さあ」
なにも知らず、気づいてもいないフィデルにアルバートは言葉を濁して誤魔化した。
彼は何も知らない。今この国で動く、恐ろしい陰謀も、それを迎え撃つことにしたアルバートの計画も。
妹のリリアナは聡い人間で、すぐに気づいてあのサロンの翌日に屋敷に乗り込んできた。理由を全て話したわけではないが、彼女はもう、気づいている。
あの日、アルバートは言われた。本当に嫌われてしまっても知りませんよ、と。
――それも覚悟の上だ、と返したのに、蓋を開ければこの様だ。
あまりに情けない現状にアルバートの口から乾いた笑いが出た。
――アイリーン、君は、そんな冷たい目もできる子だったんだな。
悲しいのに、知らなかった彼女の一面を知れたことに、どこか喜びを感じている彼がいた。
恋の終わりを確信したアイリーン。
けれどその「納得」は本当に正しいのか。
次話、貴族同士の「情報戦」がスタートします。
【第6話:全てはあの男の掌の上で】明日の朝 7:00 頃に更新予定。
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