終章最終話 世界に君さえいればいい
屋敷の周りではあちこちで篝火が集れ、夜の森は明るく照らされていた。
屋敷前に置かれた椅子にアイリーンは腰を下ろしていた。周りを忙しなく動く騎士たちの姿をぼんやりと見つめる。森に集まる騎士たちの中心には、猿轡をかまされて拘束されたラグナルがいた。騎士たちは護送の準備を着々と済ませていた。
「そろそろ護送用の馬車が着くころかと思われます。なにか、声を掛けられますか?」
傍らに立つフィデルの問いかけにアイリーンは首を振った。
「もうあの人と話す事はないわ。用があれば会いに行きます。執行までは、時間がかかるでしょうし」
彼の毒は十分浴びたし、浴びせ返しもした。これ以上は無意味だろうと考えていたところへ、春終わりの夜の風が吹いた。赤橙の髪が揺れて、アイリーンが身震いする。
「申し訳ありません。皇女殿下の迎えも、そろそろ着くはずなのですが」
森をかけてくる蹄の音が聞こえたのはそんな時。
「アイリーン!」
髪を振り乱したアルバートが、森の中を単騎で駆けてきた。馬から飛び降りて一目散にアイリーンの元へ走る。座る椅子ごと、アイリーンを抱きしめた。
大丈夫か、という一言を、アルバートは言えなかった。
――また、守れなかった。
その結果を確認するのがアルバートはひどく恐ろしい。
「大丈夫です」
アルバートの胸の中から、アイリーンが諭すように声を発した。
その静かな声を聞いてアルバートは恐る恐る腕の力を緩めた。体を離してアイリーンの顔を見る。
「私は、無事です」
そう語るアイリーンの頬は殴られた痕がある。どう見てもなにかは在った。それでもはっきり無事と言ってのける少女にアルバートは崩れ落ちた。
アイリーンも、全身から力が抜けていくのを感じていた。ずっと張りつめていた何かが、アルバートが来てくれたことで音もなく解けていく。
「ねえ、アルバート様」
自分の膝元で項垂れるアルバートにアイリーンは静かに語りかける。アルバートが顔を上げると、翠緑の瞳は夜の闇を従えて気高く光っていた。ほつれた髪が、彼女の疲労を物語っている。それでも、彼女の気品は損なわれていない。
「私、誰よりも強く、賢い皇帝になります。貴方が居れば、なれます。だから」
アイリーンはそっと片手をアルバートに差し出す。
「私を、支えてくださいますか?」
その姿に箱庭の中で泣いていた少女の影はもうない。あまりに気高く成長した従妹が眩しすぎて、アルバートは紅い目を細めた。目に涙を浮かべながらその手を取る。
「支える、必ず。俺の生涯を君とこの国に捧げる。アイリーン。君と共に、歩かせてくれ」
アイリーンは返事をしなかった。できなかった。
喉の奥がひどく熱い。目の奥も、じんわりと熱い。あの日、恋は死んだと思った。それなのに、砂のようにこぼれ落ちた未来は、今この手の中にある。
――こんな風に、戻ってくるなんて。
「……よろしくお願いします、アルバート様」
絞り出した声は情けないほど震えていた。それでも、繋いだ手だけは離さない。
未来の皇帝は嬉しそうに微笑んだ。
***
「私が婚約候補を辞退する? どうしてそんな話になってしまったかな」
「アルバート様ったら、ご自分の行動を振り返ってくださいませ」
「俺は、アイリーンの従者選びを応援する、という意味で言ったんだが」
「あら、そうだったのですか? 全くわかりませんでした」
春の終わりの夏が始まる頃。宮殿のサロンでアイリーンとアルバートは、季節一つ分ぶりに二人の時間を過ごしていた。プライベートな空間で、貴族らしく微笑みながら穏やかに棘のある言葉を交わす。
周りで侍女達が口をぽかんと開けたまま突っ立っていた。何人かが何気なさを装って部屋を出ていく。リリアナが立てた噂訂正作戦は成功のようだ。
「アルバート様はわかりにくいのです。皆、勘違いをしてしまったではないですか」
「すまない。でも信じてくれ。俺の心の中には、アイリーンしかいない」
突然の愛の言葉に、アイリーンは持っていたティーカップを揺らした。
そっと様子を伺うと、アルバートは紅い目を細めてまっすぐこちらを見ていて、アイリーンは顔が赤くなるのを感じる。
――打ち合わせとは違うことをしないでください、もう。
「愛している。どこまでも、君だけを」
畳みかけるように紡がれた愛の言葉に、アイリーンは喉の奥で唸った。
――だから! もう、この人は。
叔父が投獄され、脅威がなくなったあの日からアルバートは吹っ切れたように愛を囁くようになった。
春前のアイリーンなら、顔を真っ赤にして俯くだけだった。
でも、もうあの恋に恋をしていた少女はもういない。
「アルバート様がいてくださるなら、この国の未来も安泰ですわ」
グランディヴェル皇国第一皇女アイリーンは穏やかに微笑んでそう語る。
――恋は死んではいなかった。少し形を変えていただけ。つらかったし苦しかったけれど、あの経験は意味がある物だった。
失恋の傷を思い出していたアイリーンは、ふと、少しだけ意地悪を思いつく。
「私の婚約者も、正式に誰かに決定したわけではありませんものね」
今度は、アルバートの顔がピクリと痙攣した。
皇帝は未だアイリーンの婚約についてなにも発表していない。アイリーンも何も聞いていない。継承権第二位の男が消えただけで、事態はなにも動いてはいない。
皇族が一人消えたことで、皇国の国内勢力は大きく動くことが予想された。ラグナルの支持者や、彼が裏で集めていた皇族に不満を持つ者たちは少ない数ではない。彼らが立ててた公爵家と皇女の暗殺計画。その証拠をアルバートはしっかりつかんだ。アイリーンに嘘をついてまで集めたその情報は、証拠と共に陛下に献上された。これから、国内では粛清が始まる。
ラグナルが一手に担っていた外交問題も、どう転ぶかはわからない。
恋に現を抜かしている暇ではない。
それでも今だけ、アイリーンは翠緑の瞳を細めて、目の前の彼の反応を堪能する。
「他の候補者に立場を取られないよう、がんばってくださいませ」
「……努力、するよ」
***
貴族学院の廊下を、アイリーンが歩いている。前にはリリアナとカシアン、後ろにはグレースが付き、どこにも隙はない。
「お待ちしておりました、皇女殿下」
プライベートサロンに続く扉を開けて、フィデルが跪く。扉の反対にはアルバートが立っていた。
紅と翠緑が優しく視線を交わらせる。
言葉はない。ただ、二人は歩み寄る。
皇女アイリーン・グランディヴェルは、その春を境に変わった。恋をして、泣いて、それでも前を向いた。隣にはずっと求めていた彼がいる。
――それだけで、私は何倍も強くなれる。
二人の首元には、お互いの瞳の色に光るペンダントが揺れていた。
失恋皇女は冠を掴む、完結です。
箱入り娘だったアイリーンの成長&恋物語はいかがだったでしょうか。
この小説は、大好きなアイオケさんの「世界に君さえいればいいの」を勝手なテーマソングとして書きました。
――こんなに、君が君が好きで、他の誰もいらない。
――世界に君さえいればいいの。
サブタイトルも、曲名からお借りしております。これ以外考えられませんでした。
素敵な曲なので、是非聞いていただけましたら幸いです。
https://youtu.be/D-Eu97TH3Fo?si=xMrMvbUOnVhFPFDI
今後は週一で各キャラエピソード0を更新予定です。本編で書き切れなかった設定等お楽しみいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
※アイリーンの両親の話も書いております。
シリーズからとべますのでよろしければご覧ください。
※夏用に耽美系ホラーも連載中です。
第二王子が魔女の溺愛に陥落していくお話。
毒ヲ喰らバ、みどりマデ〜花吐く魔女ハ旦那様ヲ逃さナい〜
https://ncode.syosetu.com/n4473mi/




