終章4話 白む空の下で
金属がぶつかり合う音を、アイリーンはリリアナの体の下で聞いていた。戦うグレースの無事を必死に祈る。
それはしばらく続いていたが、ある時断ち切るように途絶えた。二人の姿は今のアイリーンとリリアナからは見えない。心臓が高鳴る。
――どっち。どっちが勝ったの。
誰かが近づいてくる足音にアイリーンは体を固くした。リリアナも伏せたまま隠し持つナイフに手をかける。
「アイリーン様」
そこに立っていたのはグレースだった。胸をなでおろす二人と対照的に、グレースの顔色は悪い。
「申し訳ありません。失敗、しました」
言葉の意味が理解できず、リリアナとアイリーンが立ち上がる。見回すと部屋の片隅で、侍女が喉を掻き切って死んでいた。
血にまみれてもう動かなくなった彼女の前にアイリーンは立つ。その後ろでリリアナが、落ち込むグレースに任務の優先順位を説いていた。
「私、貴方に名前も聞かなかったわね」
物言わぬ死体にそう語りかけて、アイリーンは部屋を後にした。
ペンダントの光を頼りに暗い廊下を歩き、階段を下りると階下は既に制圧されていた。光を掲げて階段を下りて来たアイリーンにフィデルが歓声を上げる。
「アイリーン様! ご無事でしたか!」
両手を広げて近寄るその手が赤く染まっているのを見て、女性陣は顔を引きつらせた。
「お兄様! 手!」
「ああ、すみません。怪我をしたわけではありません。ご心配なく」
焦ったフィデルはそう言って、浮かない顔を見せた。
「申し訳ありません。似顔絵の男がいたのですが、自害されてしまいました」
似顔絵。それはカドゥート家に通い、貧民を病院に先導した人物のものだ。
「奴はここに執事としていたようです。どうりで、騎士を全員当たっても見つからなかったわけです」
暗い廊下の先に、蝋燭に照らされて大柄な人物が倒れているのが見えた。
「上でも侍女に自害されてしまいました。徹底していますね」
敵の不気味さに全員が震えていると、廊下の奥からアルバートがカシアンを連れて駆けてきた。
「アイリーン!」
アルバートは大股で近づいてくると躊躇いなくアイリーンを抱きしめた。
リリアナが、グレースの袖を引く。そっと全員が下がった。
「怪我はないか!? なにか、酷い事を、されたりとかは」
一度自分の胸に埋めた顔を引きはがしてアルバートはアイリーンの顔を見つめる。
「ありません。助けに来てくださって、ありがとうございます。アルバート様」
優しく微笑むアイリーンの頬にアルバートは手を伸ばす。
「すまない、遅くなって」
「アルバート様こそ。無事目が覚めてよかった。体は大丈夫ですか?」
つらい目にあったはずなのに、微笑んで自分の心配をしてくるアイリーンにアルバートは泣きそうになった。
「すまない。君を守りたくて君を傷つけたのに、結局こんな目に合わせてしまった」
泣きそうな顔でアルバートは語る。あのサロンの日が、アイリーンには遠い昔に思えた。
「もう、一人で戦うのはなしです。次は、ちゃんと私も隣に立たせてください」
勇ましい彼女の言葉にアルバートは苦笑する。
「君が見つかったならもうここに用はない。早く出よう」
廊下の隅に固まっていたフィデル達に声をつれ、アイリーンは離宮を出た。普段は馬車で移動する道を連れ立って歩く。
空は白み始めていた。
「アルバート様。私、夜が明けたら行きたいところがあるのです。ついてきてくださいますか?」
「行きたいところ? 一体どこに行くと言うんだ」
「それは」
アイリーンが言葉を紡ぐより先に、フィデルが前方に佇む人影を見つけた。グレースと二人、素早く警戒態勢を取る。
ゆっくり近づいてくる人影が誰か判別できると、アイリーンが言葉を発した。
「さすが、動きが早いですね。こんな時間にこんなところで、どうされたのです? グリーヴァンス侯爵様」
アイリーンと同じ赤毛を携えるマクシミリアン・グリーヴァンスはアイリーンのしっかりした姿を緑の目に映すと、その場で跪いた。
「お帰りをお待ちしておりました。皇女殿下」
二日連続で朝の寝室に飛び込んできた侍女に、彼女レジーナ・グリーヴァンスは声を荒げた。
「なんなの一体! 昨日は騎士団、今日はなに!? いい加減になさいな!」
「それはこちらの台詞ですわ、お婆様」
冷たく響くその声にレジーナは眠気も吹っ飛んで寝台から飛び起きる。
それはもう聞くことがないはずの孫の声だった。
部屋の入口にその姿を確認して、レジーナは寝間着姿のままベッドの上で腰を抜かす。
「わ、私! 何も知らないのよ! ただ、貴女を呼び出してくれって言われただけで」
必死に弁明する祖母をアイリーンは温度のない顔で見つめていた。レジーナはベッドから飛び降りてアイリーンに縋る。
「ラグナル殿下よ! あの方が、お前を拐かす計画を立てていたの! だから、悪いのはあの人なのよ!」
アイリーンがにっこり微笑む。レジーナも笑顔を返した。
「今までありがとうございましたお婆様。でも。これでさよならです」
死刑宣告ともいえるその言葉にレジーナは逆上する。アイリーンを押しのけ、立ち上がる。
「お前、ここはお前の母親の実家よ! それを、取り潰すつもり!?」
「ここはお前の家ではない」
二人の会話に入ってきたのはマクシミリアンだった。彼は冷たい目で母親を見下ろす。
「レジーナ。お前は重い病にかかってしまったようだ。皇都を離れ、地方で心身を落ち着かせるといい」
息子の言葉に、レジーナは震える。
「マクシミリアン、お前。母親に向かってなんなのその言葉は?」
「お前はもうこの家の者ではない。既に教会への申請も済んでいる」
マクシミリアンの背後から兵士が二人現れた。二人は部屋に入るとレジーナを両脇から抱え込む。
「さようならお婆様。どうぞ、余生を穏やかにお過ごしください」
アイリーンの言葉は毒を纏ってレジーナに振り降りた。
最後まで抵抗を続けていた祖母が連行されるのを見送って、アイリーンは一息ついた。気合を入れて正していた足が少しふらつく。姿を隠していたアルバートが現れてその肩を支えた。
「アイリーン様」
アイリーンが振り返ると、マクシミリアンがいた。その顔は平静を装いつつも、少し疲れ果てた気配を出していた。二人の足元に彼が跪く。
「貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございました」
「私も別れの挨拶がしたかったので、問題ありません」
「修道院への収容が完了いたしましたらまたご報告に上がります」
年端もいかない少女に大人が傅くのはとても滑稽な姿だったが、それが、彼自身が選択した結果だった。
あの夜。アイリーンの失踪情報を独自に入手していたマクシミリアンは、同じく独自に入手したヴェルストラーテン公爵家が動いたという情報と、自宅が騎士団の捜索を受けたことから失踪事件に母の関与があることを確信し、真っ先に母親の告発に動いた。
彼は、母親と自身のプライドよりも、家族を守ることを選択した。
「宣誓書も、お願いしますね」
不敵にアイリーンが笑う。
「あと、アマレットのことも。頼みます。見ていますよ」
少し脅しの入った言葉に、マクシミリアンはしっかりと頷く。
「皇女殿下の親類として、相応しい淑女に育てます。母の膿は、引き継がせません」
満足な返答が返ってきた。
「残るは一人、ですね」
昇る朝日をアイリーンは見つめる。
皇位継承権一位の自分を誘拐したことで、彼の目的が皇位であることが決定的になった。
――非道な真似をする男に、この国を託すことはできない。
「私は逃げません。叔父様は、私が止めます」
膿を絞り出し、アイリーンの傘下にくださったグリーヴァンス家。
彼にも守りたいものがありました。
【終章5話:それぞれの帰還】7月8日(水)21:00頃更新。
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