1章3話 騎士も姫も、甘くない
「こちらが用意されている皇女殿下のプライベートサロンです」
グレースに連れられて、アイリーンは学院内の一室に連れてこられていた。
きらびやかな装飾が施された重厚な扉を開けて室内に入ると、王宮と遜色のない豪華な家具が並ぶ部屋がそこにあった。
入室すると半円形に張り出された大きな出窓がまず目に入る。
窓を縁取る純白のレースと淡くくすんだエメラルドグリーンのカーテンには細やかな刺繍が施されていて、日光を受けて上品に煌めいていた。
窓辺には細工が美しい白木のトリポットティーテーブルと椅子が用意されている。
中央の応接セットのソファーに置かれた淡いコーラルピンクのクッションが、この部屋の主が女性であることを優しく示している。
落ち着きのある上品な空間に、現実から切り離されたような感覚を覚えながら足を踏み入れると、中央の応接セットで待つ金髪碧眼の少女と目があった。
二つにくくられてゆるく巻かれた金のツインテールは室内の灯りをうけて輝き、空色の大きな碧眼は愛らしい。
「皇女殿下、彼女はオースウェル侯爵令嬢。騎士団長のご令嬢です」
グレースの紹介を受けると、その小柄な少女は軽やかなカテーシーを見せた。
挨拶を受けたアイリーンは皇女としてにこりと微笑む。
「ありがとう。よろしくお願いいたします」
「リリアナと申します。皇女殿下」
リリアナと名乗った少女はパッと顔を上げると花が咲いたように眩しい笑みを浮かべた。
彼女のことをアイリーンはよく覚えている。
新年の宮中挨拶で、一番輝いていた少女だ。
騎士見習いの兄弟を連れて歩く姿はまるで一国の姫君のように優雅でかわいらしかった。
「皇女殿下にお仕えできるなんて夢のようです。どうぞリリアナとお呼びくださいませ!」
胸の前で手を組み、リリアナはやや興奮した様子で言葉を紡ぐ。
同じ年頃の同性からこんなにまっすぐな好意を向けられるのは初めてで、アイリーンはどう答えていいかわからない。
「さ、教室へ参りましょう。朝礼が始まってしまいますわ」
屈託なく笑うリリアナは素早くアイリーンの手をとり、廊下へと連れ出した。
ボリュームたっぷりの制服のスカートに添えられた花の造花が揺れる。
繋いだ手が暖かい。
それだけで、胸の奥が痛んだ。
リリアナによって温められても、あの手を取らなかった指先は、まだ冷たいままだった。
先導しながらリリアナは絶え間なくアイリーンに話しかけた。
一方、グレースは会話に入ろうとすることはなく、無言で二人の後に続く。
三人が着くと、教室は既に大勢の生徒が集まっていた。
アイリーン達が入室すると同時にざわついていた教室は瞬時に静かになった。
訪れた沈黙の中で、婚約者不在の皇女殿下を自らの派閥に引き込もうと企む虎視眈々とした目が各方面から向けられる。
値踏みするような視線が集まるのを感じながら、アイリーンは優雅に歩を進めた。
「皇女殿下。こちらの席が一番よく見えますわ」
一足先に歩を進めたリリアナが勧めてきたのは教室最後方の椅子だった。
断る理由もなかったので、言われるままにアイリーンは席に着く。
両隣にリリアナとグレースが座ると、リリアナの方に女子生徒が、グレースに男子生徒が集まった。
「ごきげんよう、リリアナ様」
「ごきげんよう、皆様方。そろそろ先生がいらっしゃいますから、席についたほうがよろしくてよ。
皇女殿下の前で、そんな無作法、なさりませんよね?
わたくし、そんな無作法者を皇女殿下にご紹介するほど、甘くはありませんわよ?」
「セリヴァン男爵令嬢。お久しぶりで」
「任務中です。話しかけないでください。
無理に近づく方は排除していいと命令をいただいております」
リリアナは可憐な笑顔を浮かべて女生徒に対応している。
けれど、その瞳は静かに炎を灯していて。
グレースも腰に下げて仕込み槍に触れるだけで、動きはしなかったが、集まった生徒一人一人を見る黒の瞳は静かに凪いでいて、彼女の本気度が表れていた。
恐怖を悟った生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
アイリーンがあっけに取られていると、グレースが微笑んだ。
「ご安心ください。皇女殿下の安全は必ず確保いたします。
ご命令があれば、この場の全員を制圧いたします。ご許可を」
「……必要になったら、お願いします。」
おかげで、アイリーンの周りに人だかりができたのは一瞬のことで終わった。
***
昼食を終えてサロンへ戻ろうとした時、それは起こった。
食堂の端で一人の少女が転倒したのである。
持っていたトレーや載せていた食事が乾いた音を立てて通路に転がった。
「あら、ごめんなさい?」
傍に立っていた令嬢が形だけの謝罪を口にする。
あちこちで嘲笑う声が聞こえた。駆け寄る者は一人もいない。
アイリーンは床に座り込む粟色の髪の少女の顔を見る。
彼女は音楽家として名高い子爵家の令嬢だった。散らばった食事を片付ける横顔は暗い。
「皇女殿下の前だというのに」
リリアナが低く呟いた。
その顔は別人かと思うほど険しく、視線はまるでゴミを見るように嫌悪で満ちている。
貴族社会、特に下位貴族になればなるほど、身分が下の者に嫌がらせをするのはよくあることだ。
――皇族は常に品位を保たねばならない。
けれど今この瞬間だけは、そんな教えより先に足が動く。
アイリーンは転んだ少女に向けて踏み出した。
リリアナとグレースが慌てて後を追う。
床に座り込む少女を見て楽しそうに笑っていた令嬢は、近づいてくるアイリーンに気づくと慌てて姿勢を正した。
「大丈夫かしら?」
床に座り込んでいた少女は声を掛けられて初めて顔を上げる。
そして声を掛けてきたのがアイリーンだとわかると顔を青くした。
慌てて広がった食材をかき集める。
「も、申し訳ございません!」
「慌てなくても大丈夫です。制服が汚れないよう、気をつけてね」
泣きそうな少女に優しく声をかけてから、アイリーンは立ち去ろうとしていた令嬢を呼んだ。
「ヴォルム家の方ですね」
跳ねるように背を向けていた令嬢が肩を震わせた。恐る恐るといった様子で振り返る。
「な、なんですか。わたくし、別に」
「呼び留めてごめんなさい。確認したかっただけなの。
お父様によろしくお伝えくださいな。お家の意向が、あるはずですから」
優雅にアイリーンは微笑む。
恋が死んだあの日から、嫌われる覚悟は決めていた。
「これから三年、私はこの学院に通いますが」
食堂全体に響く声でアイリーンは忠告する。
その翠緑の瞳は冷たい光を放った。
「見ておりますので。――全て」
一拍。静寂を支配して、アイリーンは微笑む。
「忘れないでくださいね」
その笑みは言葉と裏腹にあまりにも穏やかで、だからこそ逃げ場がない。
「誰を覚えるのか」
逃げ場を奪うように、視線を巡らせる。
「……選びますから」
そう言い放ってアイリーンは踵を返した。
青い顔で追いかけようとした令嬢の前にグレースが立ちはだかる。
アイリーンに近づこうとした生徒が他にもいたが、全てリリアナの手によって防がれる。
食堂にいる全ての生徒が立ち去るその姿を固唾を呑んで見守った。
初日の3回更新、お付き合いいただきありがとうございました!
屈託ない笑顔のリリアナと、鉄壁無口なグレース。
一見正反対な二人ですが、アルバートに負けず劣らず「重い」ようで……
【第4話:過保護な騎士様と初めての友人】
明日からは【朝 7:00 / 夜 21:00】の1日2回更新となります。
明日からも引き続きよろしくお願いいたします。
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