2章7話 去り際の毒と亡き母の影
やまない歓声の中、演台を降りるとラグナルが笑顔で手を叩いていた。
その笑顔をアイリーンは注意深く観察する。
――リリアナが助けてくれなかったら、私は壇上に上がれず、皇族としての価値を失っていた。心配してくれている風だったけれど、この人の真意は、なんなのかしら。
「さすがだねアイリーン。素敵な挨拶だったよ」
「ありがとうございます、叔父様」
「じゃあ、私は行くよ。この後は貴族への挨拶周りは一人でも大丈夫だろう?」
「ええ」
ラグナルはアイリーンの手を取ると指先に素早く口づける。
その行動に、アイリーンが動揺することはもうない。灰の瞳がアイリーンを映した。
「また会おう、アイリーン」
「はい、ありがとうございました」
頭を下げるアイリーンの頭上で、低く、姪にだけ聞こえる声で彼は呟いた。
「君の母上は、もっと簡単だったんだけど」
言葉のあまりの衝撃に、時が止まった気がした。
はっと顔を上げると、既にラグナルはこちらに背を向けていた。
――なにを、あの人は言ったの。
アイリーンは自分の耳を疑う。聞こえてきた意味を必死に考える。
アイリーンの母は敵の多い人だった。そのため貴族達との交流は最低限しか行わず、宮殿に隠れるようにして暮らしていた。
――優しい人だと思っていたのに。あなたも、敵だったの。
信じられない気持ちでアイリーンはラグナルの背中を見る。その後ろから、リリアナは冷たい目を向けていた。
式典を閉めるファンファーレが鳴り響く。
喧噪の中、リリアナがアイリーンに歩み寄った。
「アイリーン様。兄達が心配なので、少し様子を見てきてもいいでしょうか?」
「! 私も」
行きたいです。という言葉をリリアナが制する。
「アイリーン様はまだご公務があるのでしょう? 先にわたくしが様子を見て参りますわ。グレース、お任せしていいですわね?」
「任されました」
リリアナとグレースが頷き合った。
リリアナは可憐な動きで警備にあたっている騎士たちに向き直った。素早く顔を見回すと、一人の騎士を指名する。
「お前が司令官ね?」
「そ、そうです」
「騎士を一人、皇女殿下の護衛につけて。二人はここで引き続き警備。残りの三人は、私と共に来なさい。裏に入り込んでいる市民を捕えに行きます」
市民が入り込んでいる、という情報に騎士たちがざわつく。
だが、司令官の騎士はすぐには動かなかった。反応しない騎士にリリアナがいらつく。
「なにをしているの、早く人選なさい」
「な、なぜ自分が司令官とお分かりになったのですか」
騎士の疑問にリリアナはため息を吐いてみせた。
がたいのいい騎士が小柄な少女に振り回されている光景は、少し離れたところにいるグレースにはとてもシュールに見える。
「だってお前が一番身分が高いし、騎士団歴も長いでしょう? 見ればわかります」
「自分のことをご存知なのですか」
驚く騎士にリリアナはせせら笑った。
金髪のツインテールと、多少土に汚れても眩さを失わない白いドレスが風に揺れる。
「わたくし、騎士団に所属する全ての騎士の顔と名前を把握しておりますわ」
***
「皇女殿下、先程は素晴らしいお言葉でした」
「感動いたしました。さすがは皇女殿下」
「ありがとうございます。皆様の後援のおかげでこうして病院を建てることが出来ましたわ」
式典後。貴族達は病院内の大ホールへと集まり、謁見のための列を作っていた。
騎士はアイリーンの前、グレースはアイリーンの後ろに立ち、警護に当たる。
アイリーンが一人ずつ挨拶を受けていると突然、甲高い老婆の声が上がった。
「嗚呼、アイリーン会いたかったわ!」
初老の老婆が一人、大きく手を広げて近づいてきた。きつい香水の香りが周囲に漂う。
警戒して動こうとしたグレースを制し、アイリーンは囁いた。
「お婆様よ。母方の」
アイリーンの忠告にグレースは再度近づいてくる老婆を見た。
羽のついた帽子、幾重にもフリルを重ねたドレス。首には何重にも真珠が巻き付いており、指にもいくつもの指輪が見える。
アクセサリーひとつ身に着けていないアイリーンとはあまりに対照的だった。
血縁者とは思えず、グレースは絶句する。
老婆、レジーナ・グリーヴァンスは自分の前に立ちはだかろうとしたグレースを冷たい目で一瞥すると、ふんっと鼻を鳴らした。
「お久しぶりです。お婆様」
「嗚呼、私のアイリーン。こうやって話ができるのは何年ぶりかしら。やっと外に出られるようになったのね。よかったわ。本来なら精力的に貴族と顔を合わせていかなければいけない立場だというのに、 まだ学院入学前だからなんて理由で社交を禁じるなんて。ひどいことをするわほんと。なにを考えているのかしらね」
明らかな皇帝批判にアイリーンは困り顔で笑みを返す。グリーヴァンス侯爵家。母方の実家は今、難しい立場にある。
「私もまだまだ勉強中の身ですから」
「アイリーン。あなたは皇位を継承する立場なのだから、もっと貴族の声を聞いていかなければいけませんよ。貴族達の声を集めて皇帝までお届けするのが今のあなたの役目です」
アイリーンの言葉が聞こえているのかいないのか、老婆は自分の考える皇族像をとうとうと語る。
アイリーンは笑顔でそれを聞き続けた。
「努力いたします」
「我が侯爵家領地の改良計画申請も未だ許可証が来ない」
それまで後ろで待っていた男性が二人の会話に割り込んできた。
アイリーンと同じ赤毛が目に入る。
「お久しぶりです。伯父様」
アイリーンの母親アマリエの兄、マクシミリアン・グリーヴァンスだった。
王党派貴族の中で、ヴェルストラーテン公爵家と同等レベルの権力を持つ侯爵家。
アマリエが生きていた頃は皇妃の生家として貴族社会の指揮権を握っていたが、七年前の毒殺事件以降、貴族社会での立場を大きく奪われている貴族だった。
マクシミリアンはレジーナと並び立つとアイリーンに冷たい緑の目を向けた。
色の同じ瞳同士がぶつかり合う。
「皇族の護衛騎士が一人だけとはどういうことだ。他の騎士はどうした」
「少し、別の仕事をお願いしておりますわ。彼女もいてくれますので」
アイリーンがグレースを示すと赤毛の男性は男装のグレースを一瞥し、呟いた。
「ヴェルストラーテンの隠し子か」
吐き捨てるようなその言葉にグレースは一切反応しない。
アイリーンも穏やかな笑顔を崩さなかったが、眉だけは微かに反応を見せる。
「伯父様、そのような噂を真に受けていらっしゃるのですか?」
「ヴェルストラーテン公爵家は婚約を辞退するのですから、いつまでもあの家の関係者を連れ歩くのはいかがかと」
その言葉は鋭くアイリーンの心に突き刺さった。
返答に迷っていると、背中にそっと触れてくる手があった。振り返って確認しなくても、誰の手かがわかる。
グレース。
言葉の少ない、けれど暖かな温もりに、アイリーンは背筋を伸ばした。まっすぐに赤毛の男性を見つめ返す。
「まだ、正式に辞退されたわけではありませんから」
「時間の問題です。いつまでもヴェルストラーテン家を優遇されるのは困るんですよ」
アルバートの敵は、アイリーンの敵だ。
のらりくらりとかわして中立のふりなどせず、このまま完全に敵意を示してしまおうかとアイリーンが考えた時、二人の間にレジーナが割り込んできた。
「今度こそ、うちで開くお茶会にいらっしゃいな。仲良くなるべき方を教えてあげるわ」
老婆は一歩進んでアイリーンとの距離を詰める。
「もう、断ってきたりは、しないわよね?」
それは、温度のない声だった。
小さいけれど耳に入り込んできたその音に、ぞくりと背筋を震えさせながらアイリーンは微笑みを返す。
「予定が合えば是非」
「待ってるわね」
にこりと笑って、レジーナはアイリーン達に背を向ける。一瞬、マクシミリアンとアイリーンの視線が交わった。
――今日は、見逃してあげる。
それ以上の会話が交わされることはなく、グリーヴァンス家は去っていった。
初公務を終えたアイリーンを待ち受けていたのは叔父ラグナルの不気味な言葉と、
母方の生家グリーヴァンス侯爵家による冷ややかな「歓迎」でした。
次話【第2章第8話:額の温度】5月20日(水)21:00頃を更新予定。
公務を終えて、アイリーン達は後処理に入ります。
第2章ももう終盤です。よろしくお願いします!
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