2章1話 甘い情報の賞味期限
夜の書斎、テーブルに置かれたランプが一つ、煌々と光っていた。
その強い白色の光に照らされて、本を読むアイリーンの横顔がシャープに浮かび上がる。
なめらかな肌を包む赤橙の髪はサンストーンの如く煌めき、
文字を追う翠緑の瞳はエメラルドのように静かに瞬いている。
真剣に歴史書を読んでいたアイリーンは近づいてくる人物に気づいて顔を上げた。
白髪交じりの髪をオールバックに固めた中年の執事が穏やかに尋ねる。
「アセンダント式ランプはいかがですか、姫様」
皇帝専属執事エドウィン・カルバート。
皇族の生活のほとんどを取り仕切る人物で皇帝の信頼も厚く、
七年前の事件があった後も宮殿に勤め続けている数少ない人物の一人だ。
代々皇族に仕え、どんな時でも中立を維持してきた家出身の彼は、
この宮殿でアイリーンが派閥を気にすることなく話しかけられる唯一の人物だった。
彼の質問に、彼女は微笑んで答えた。
「とても明るいわ。手元だけ見ていたら昼間と勘違いしてしまうぐらい」
「ふむ。少し叩きすぎましたかね。加減が今一つで申し訳ありません。精進いたします」
「無理に使ってみたいとわがままを言ったのは私なのだから、謝らないで頂戴」
アイリーンは申し訳なさそうに困り顔をしてから、眩しいランプに触れる。
「不思議よね。中で光っているのは卵より小さい石なのでしょう?」
「はい。よく日の光にあてた卵大のアセンダント鋼を二回ほど強く叩くと、
このような明るさで光を放つようになります。
光は一晩で消えますが、日の光にあてて叩けばまた同じように光ります。
叩きすぎると割れてしまうので注意しなければいけませんが、便利な石でございます」
「普及するかしら?」
アイリーンの問いかけに執事は考え込む。
「値段が蜂蠟の何倍もするそうですし、アセンダント伯爵家は取引先を随分絞っているそうですから、
光源として普及するのはまだまだ先でしょう。
姫様のアセンダント鋼の端材を道に敷くことで街灯を強化する案はいいものだと思いましたよ。
夜道の移動が安全になれば、外出者が増え、経済が活性化します。
実現すれば城下の生活は間違いなく変わり、皇国はさらなる発展の道を進むでしょう」
エドウィンの称賛にアイリーンは頬を染める。
侍女たちの追及から逃げ出し、カシアンの論集を胸に、
助けを求めて彼がいるこの書斎に駆け込んだのはつい数日前のことだ。
あの日は皇帝が執務から帰ってくる直前の夜遅くまでカシアンを出し抜く方法を二人で話し合った。
「あの時は力を貸してくれてありがとう。おかげでカシアン様の態度を変えることができたわ」
「そうでしたか。それは良うございました。
姫様がアセンダント伯爵令息様に接触したという噂が聞こえてこないので、
どうなったかと心配していたのです」
執事の言葉にアイリーンは首を傾げる。
「そうなのですか?」
「ええ。今貴族の間でもてはやされているのは、
階段から落ちそうになった姫様を救ったオースウェル侯爵令息様の活躍ぶりと
お二人の甘い一時のお話ばかりで、
振興派の貴族達は相変わらず自分達の不遇に不平不満をもらしてばかりでございました。
自分たちの候補者が既に姫様と交流を持っているとは予想もしていない様子でございますよ」
アイリーンがカシアンに学院で会ってから既に数日経過している。
カシアンが家にアイリーンのことを報告しているなら、侍女が名前を口にしていておかしくなかった。
「そういえば、侍女たちにもあれからカシアン様のことは一切聞かれていないわ。
正規の方法で学院にいらっしゃるわけではないから、情報も隠しているのかしら」
アイリーンについている振興派の侍女達の性格を考えると、
カシアンと会ったと知った彼女たちが「どうでしたか?」と、
カシアンの印象を聞いてこないのはおかしい。
「どうでございましょう……振興派の皆様は良い出来事がございますと
すぐに喜びを共有される傾向がございますからね。姫様の仰る通りの可能性もございます。
少なくとも、護衛に選ばれたお嬢様方は口の堅い方のようで、安心いたしました」
執事がにっこりと微笑む。
アイリーンとカシアンが接触していることを知っているのは当事者以外に三人。
現場の管理者である貴族学院の司書と、アイリーンの護衛のリリアナとグレース。
一切噂が流れていないことから、三人が完全にこの情報を秘匿していることが窺えた。
「そう、ね。とても良い子達だと思うわ」
アイリーンはわずかに言葉を濁した。
護衛の二人のことをアイリーンは好いている。
好いてはいるが、まだ心のどこかで二人を信用しきれていないアイリーンがいた。
特に今は、アルバートの行動が、
リリアナの言っていた『一番幸せにできるのは俺だ』という情報とずれたため、
リリアナへの疑念が高まってしまっている。
貴族令嬢とは思えないほど泣いて見せるリリアナの姿を思い出して、アイリーンは顔をしかめた。
あんなに一緒に泣いてくれる子を疑いたくはないし、あの情報も嘘だとは思いたくない。
でも、あの涙さえ「作戦」だったら?
もしそうなら私は、どうすれば。
疑念はアイリーンの心に深く刺さり、膿んだ傷のように鈍い痛みを与えてくる。
アルバートに遠回しに婚約を辞退されたショックで、一時は人前に出られないほどアイリーンは落ち込んだ。
それを立ち直らせてくれたのはリリアナの、
アルバートが「アイリーンを一番幸せにできるのは俺だ」と言っていた、という情報だった。
今も、アイリーンはその情報にすがっている。
あの日、その言葉がどういう状況で、どういう話の流れで発せられたのか、
アイリーンは詳しく聞かなかった。聞けなかったというのが正しいかもしれない。
伏せられた情報もあるだろうことをアイリーンは悟っていた。
発言自体が嘘だった可能性もある。その発言があったのは事実でも、
何らかの理由でやはりアルバートは婚約を辞退しようとしているのかもしれない。
考えれば考えるほど、アイリーンは動けなくなっていく。
情報の真偽を確認することはできなかった。
信じたい。でも、怖い。
本当にアルバート様が好きだと気づいた今は、余計につらい。
その「好き」が、傷を深めた。
まだ、アルバート様の胸に触れた感覚が指に残っている。
今日のサロンの光景が、頭から離れない。
アイリーンはこらえきれずため息をついた。
アルバートが好きだと自覚したのに、その彼に
カシアンとの仲を薦められるという仕打ちをうけたのはつい数時間前のことだ。
あまりに耐えがたくて、アルバートにもう来ないでと言ってしまった今、
これからどうしたらいいのか。
言葉を詰まらせたアイリーンにエドウィンは優しく声をかける。
「学院の皆様と良き関係が築けると良いですね。
姫様をはじめ、学院に通われる皆様はこの国の未来を背負う方々でございますから。
同世代の結束は大事でございますよ」
たしかに、学院に入学してたった一週間で、アイリーンには大事な出会いがたくさんあった。
宮殿の中でアルバートしか知らなかった頃とは、見える世界に雲泥の差がある。
これからアイリーンはこの国を背負っていくため、信頼できる仲間を得て、
たくさんの情報を得なければいけない。
アイリーンが執事の言葉を噛みしめていた時、二人の背後の扉が重々しく開いた。
蝋燭だけで照らされた薄暗い廊下から中年の男性が現れる。
白髪交じりの黒髪に、鋭い紅い瞳を持った男性だった。
「眩しいな」
部屋の主は入ってきて早々にそう呟き、部屋の中の明るさに目を細めてテーブルの上のランプに目を向ける。
「アセンダント式ランプか」
「はい。私が使ってみたいと願ったのです。おかえりなさいませ、陛下」
アイリーンが立ち上がってカテーシーをする。
それを一瞥しながら皇帝は黒い軍服の上着を脱いだ。
執事に手渡すと片足を引きずりながらゆっくりと移動し、アイリーンの正面のソファーに腰かける。
ランプの光に、痩せている頬が照らされた。
「今日も待たせた。すまない」
第2章【初公務編】開幕です。
執事とアセンダントランプ、父親の登場でした。
次話、第1章で語られなかった、7年前の『あの日』の後遺症。
父娘が背負うものが、静かに物語にのしかかります。
どん底にいる彼も登場。
【第2章第2話:家族団欒、消えない毒の記憶】本日21:00頃に更新予定。
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