1章16話 サロンの静寂、乱れる心音
借りてきた流行りの恋愛小説に黙々と目を通していた貴族学院入学五日目。
プライベートサロンで早々に一冊を読破したアイリーンは、
図書棟へ行く準備をしていたところで険しい顔のリリアナに問われた。
「また、図書棟へ行かれますか?」
「……だめ、かしら」
咎められるような言い方は初めてでアイリーンは焦る。
リリアナは気まずそうに視線を彷徨わせた。
「だめとは、言いたくないです。ないのですが、その」
言いにくそうにリリアナは言葉を続ける。
「アイリーン様が三日連続で図書棟に行かれるのは、
なにか深い意図があるのではと噂になってしまう可能性がございます」
ひゅ、と、アイリーンの息を飲む音がサロンに響いた。
「今、貴族の間ではアイリーン様と兄の噂で持ちきりなので、
心配しすぎかもしれませんが……
アイリーン様が図書棟に行くことで、
カシアン様がいらっしゃることが他の方に気づかれる可能性もございます。その場合」
「私が図書棟でカシアン様と逢引していた、という噂になってしまいますね」
アイリーンは頭を抑える。
指摘されて初めて昨日、今日と慎重さの足りない、迂闊な行動をしていたことに気づいた。
皇女である自分は、常に己の行動が他人にどう映るかを考えて行動をしなければならない。
婚約者候補者が関係するのだから余計に警戒するべきだったのに、
全てを忘れて意地をはったり恋愛小説を楽しんでいた自分を恥じる。
「噂が逢引で収まればいいですが、
アイリーン様がカシアン様を忍び込ませていると噂されてしまうことを
わたくしは一番警戒しております」
ありえない話ではなかった。色恋が絡んだ噂はただでさえ尾ひれが付きやすい。
カシアンと接触したのは二回だけだったが、そんな事実は噂の前では関係なかった。
貴族内で一番関心を持たれているアイリーンの婚約関係の噂であれば、
どこで良いように改変されるかわかったものではない。
「わかりました。本の続きはリリアナが借りてきてくださいますか?」
「申し訳ありません。アイリーン様」
「いいえ。進言してくれてありがとうリリアナ。助かったわ」
感謝を述べて、アイリーンは読み終えた恋愛小説をリリアナに手渡した。
本を借りる合間に今日もカシアンがいるか、様子はどうかを確認しようとしていたのだが、
できなくなってしまったことに肩を落とす。
そんなアイリーンの様子を見て、リリアナは少し落ち込み気味に問いかけた。
「あの、アイリーン様」
「なに、リリアナ」
「そんなに、アセンダント伯爵令息様が気に入りましたか」
突然投げ込まれた爆弾にアイリーンは固まった。
「え?」
「随分気にされているとお見受けします。
先日お話していた際は、うちの兄と話している時よりもよほど楽しそうに見えましたわ」
リリアナはアイリーンが異性としてカシアンを好ましく評価していると考えていた。
その勘違いを正したくて、アイリーンは必死に言葉を探す。
「違います。その、カシアン様のことは気に入っているというか、
親に悪いことをさせられているようだから、心配で見てしまうだけなの」
「けれど、お話されて楽しかったのでしょう?」
「それは、そう感じる部分も確かにあったけれど。
優秀な人材が良くない環境にいるのを純粋に心配しているだけで」
「婚約者候補として感じるものはなかったのですか?」
問われて改めてカシアンのことを考える。
研究に秀でてはいるが、社交の経験不足が顕著で家庭環境に不満を漏らす一つ年下の少年。
「婚約者候補としてはだめね。
学院入学前なのを加味して評価してあげたくてもできない。
誰かと違って、足りない部分が多すぎるわ」
アイリーンは無意識にアルバートを基準にそう判断した。
熟考した上でできたその言葉にリリアナはほっと胸を撫で下ろした。
「そうですか。でしたら安心いたしました」
「リリアナは、フィデル様の皇族入りを応援しているわけではない、のよね?」
以前、身内が王配になるのは恐れ多すぎると言っていたことを指摘するとリリアナは大きく頷く。
「わたくしが応援しておりますのは、ヴェルストラーテン公爵令息様ですわ」
リリアナの派閥を超えた応援宣言にアイリーンは再び固まった。
今度は顔を真っ赤にして言葉を失う。
リリアナの情報がやけにアルバートをサポートするものだった理由がわかった。
「アイリーン様には、ヴェルストラーテン公爵令息様が一番お似合いですわ。
能力的にも権力図的にも、王党派のあの方が王配につくべきというのが
わたくし個人の考えでございます」
「そ、そうなのですか」
にこにこと楽しそうに語るリリアナにアイリーンは何も言えず、頷くしかできなかった。
お似合いと言われて喜んでいる自分が恥ずかしくて、
アイリーンは話題を変えようと視線を彷徨わせる。
けれどリリアナはそれを許さなかった。
「ヴェルストラーテン公爵令息様に
アセンダント伯爵令息様が図書棟に通われていることについて、相談してみるのはいかがでしょう?
昨日も今日もいらっしゃったのでしょう? 誰かに報告が必要だと思うのです」
「そ、そう、でしょうか」
「はい。そう思いますわ。
少し調べたのですが、現アセンダント伯爵家当主は長男様を優遇していて、
次男様の扱いはあまりよくないそうです。
次男様がアイリーン様の婚約者候補になれたのは前当主のお爺様の尽力があったからだとか。
前当主は今年の冬に既に亡くなられておりますので、彼を保護されるなら早いほうがよろしいかと」
カシアンを保護したい気持ちはあるし、
こんなことを相談できるのはアルバートしかいないだろうとアイリーンは最初から思っていた。
けれど、突然会うという展開にはついていけなくて、少しみっともなくても足掻く。
「わ、私が行かなくても、リリアナが行ってきてくれればいいのではないかしら?」
「あら、わたくしの報告ではアセンダント伯爵令息様が学院から追い出されて話が終わりますわ。
アイリーン様のご希望は違いますでしょう?
でしたらアイリーン様が直接ご相談しなければいけないかと」
リリアナに笑顔で論破され、アイリーンは観念するしかなかった。
皇女が場を設けることや話題の秘匿性等、検討を重ねた結果、
プライベートサロンにアルバートを呼びだすことになった。
アイリーンとしては出来ればこちらから出向きたかったが、リリアナに丁寧に却下された。
リリアナが使いに出て行った後のサロンで、アイリーンは緊張で固くなっていた。
今日、アルバート様にお会いすることになるなんて。
いきなりすぎて心の準備がまだできていない。
突然呼び出したりして、ご迷惑ではないかしら。変な顔をされたりしないかしら。
なにからお話すればいい? ストレートにカシアン様の話題だけをお伝えするべき?
カシアン様の件、アルバート様なら良い案を出してくれるかしら。
そういえば、でもリリアナとグレースを護衛に選んでくれたのはアルバート様だと言っていたわ。
その話もできるかしら。二人と過ごす毎日は楽しいし、お礼を言いたい。
リリアナが教えてくれたあの言葉については……まだ、聞くのは早い、わね。
ほら、まだ情報の裏付けが取れてないし。
もし否定されたら、私、また落ち込まずにはいられない、し……
まとまらない思考を繰り返しているうちに、リリアナは戻ってきた。
「皇女殿下、ヴェルストラーテン公爵令息様をお連れしました」
リリアナが有能すぎるんですよ。
いよいよ、第1章も終盤です。
次話、ついに二人が対面します。
【第17話:自業自得の呪い】本日21:00頃に更新予定。
第1章クライマックスが始まります!
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