1章13話 微笑みの下の小さな火花
「この後、図書棟に行ってみたいのだけれど、いいかしら」
三人で南のお菓子を楽しんだ後、アイリーンはそう切り出した。
アイリーンが本好きだというイメージはあまりなかったリリアナは首を傾げる。
「なにかお探しの本があるのですか?」
「そうではないのだけれど……その、今日教室で、図書棟に流行の恋愛小説がたくさんあるとはしゃいでいた方がいらっしゃったでしょう? 現代小説はあまり読んだことがないから、見て、みたいわ」
皇族であるアイリーンの読み物は古典や歴史書ばかりで、流行の小説などを読む時間は今までなかった。
流行のものを見てみたいし、恋愛小説を読むことで婚約関係の参考にもなるかもしれない。
そんなアイリーンの願望を鋭く察知したリリアナは二つ返事で答えた。
「かしこまりました! 参りましょう!」
***
貴族学院の図書棟は実習用の特別教室と同じ別棟にあった。ドーム型のガラス天井の下には迷路のような重厚な書棚と広い閲覧スペースが備えてある。午後一番の図書棟は生徒が一人しかおらずとても静かだった。
厚い絨毯に吸収されて足音さえ響かない。奥に座る少年の一心不乱にペンが走る音だけが響いていた。
お目当てのものは一番奥の書棚に並んでいた。リリアナの解説を聞きつつ、ほどなくしてアイリーンは一冊の本を選んだ。
貸出手続きをするためにカウンターまで戻る。
その途中で、隅の机で一心不乱に手を動かす栗毛の少年がアイリーンの目に留まった。
学生服を着てはいるが、貴族学院にいるには少し幼く見える。
机に積まれた本棚と、少し長めの髪に遮られて顔が良く見えない。
「リリアナ。彼はどちらの家の方かご存知?」
少し立ち止まり、後ろを歩いていたリリアナに小声で確認すると彼女も首を傾げた。
「どなたでしょう? お顔があまり見えませんが、今年の新入生の中にはいらっしゃらなかった気がいたしますわ」
リリアナもわからないという少年が気になってアイリーンは彼の様子を伺う。
どこかで会ったような気がして必死に記憶を辿っていると、ふと、傍らに置かれた鞄についている家紋が目に入った。
家紋から家名を割り出したアイリーンはなおさら首を傾げる。
「私、彼に話しかけてきます」
「え? アイリーン様?」
訝しむリリアナを連れて彼に近づいた。
「失礼します。アセンダント伯爵家の次男様でしょうか」
「……そうですが。どなたですか」
話しかけても、少年は顔を上げなかった。
視線は手元に注がれたまま、手も止まることなく動いている。
その無礼な態度をたしなめようとしたリリアナを制し、アイリーンは言葉を続ける。
二人の後ろから、グレースは仕込み槍に手をかけつつ、黙って様子を見守っていた。
「失礼いたしました。私、アイリーン・グランディヴェルと申します」
「グランディヴェル?」
国の名前に、眉間にしわを寄せて少年が顔を上げた。ようやく手が止まる。
長めの前髪の隙間から、黒錆色の瞳が疑り深くアイリーンを見た。
「……皇女殿下?」
「はい。カシアン様、でいらっしゃいますね」
頷いた少年はゆっくりと立ち上がった。
カシアン・アセンダント。
振興派の筆頭貴族の次男で、今話題のアセンダント鋼の発見者である若き研究者。
アイリーンの婚約者候補の一人。
「なにか、御用ですか」
アイリーンと一つ違いの彼は、小柄な少年だった。線も細く、育ち盛りの雰囲気があまりない。
カシアンは体をアイリーンに向けながらも視線を斜め下に向けていた。
背丈が同じくらいだというのに二人の目線は合わない。
穏やかに笑みを浮かべているアイリーンに対して、微笑み返すこともしない。
皇族に対して億劫さを前面に出したその態度はまるで反抗期の幼子を見ているようで、アイリーンは微笑ましさを感じた。
この場に親族が同席していたら、彼は間違いなく小突かれていたであろう態度だ。
アイリーンの背後でリリアナが鬼の形相をしているから間違いない。
「なぜこちらにいらっしゃるのか気になりまして。カシアン様の学院へのご入学は来年だったと記憶しているのですが」
「さあ、なぜでしょう……父からしばらくこちらで作業をするように言われたので従っているだけです。理由は知りません」
貴族学院はしっかりした警備もあり、入学する前のカシアンが自力で忍び込むことができる場所ではない。親の指示だと言うカシアンの発言は嘘ではないようにアイリーンは感じた。
少なくとも、相応のなにかで司書にも手が回っているのだろう。
入学前の息子を学院に忍び込ませるなんて、アセンダント伯爵はなにを考えているのかしら。
見つかったらまず投獄されるのは彼なのに。
苦い思いを抱きながら、アイリーンは机の上に目を向けた。
なにかの図面のようなものが何枚も広がっていて、先日エリスが語っていた新鉱石の話を思い出す。
「これは、なにをつくろうとしているのか、お聞きしてもよろしいですか?」
アイリーンの言葉に、カシアンはすごく嫌そうな顔をした。
数秒の躊躇の後、机上に積んでいる本の中から取り出した一冊をアイリーンに差し出す。
「ご説明の前に、こちらをお読みください」
差し出された本にアイリーンもリリアナも目を丸くした。
本は分厚く、この場でさっと目を通せるものではない。
素人質問は相手にしたくないという意思が透けて見えた。
辞退させようとする失礼な態度にこれまで耐えてきたリリアナが一歩進み出るが、アイリーンはまたもや彼女を制す。
従者を使って無礼を咎めるのは簡単にできる。
だが、それで正せるのは表面上のものだけで、彼の心の中までは正せない。
学院入学前の少年に目くじらを立てるのは大人げない。
本を受け取り、ちらりと中身を見る。カシアンが渡してきたのは論集だった。
タイトルにはアセンダント鋼の発見とその鉱物学的意義、とあり、中には難しい単語が並び連なっている。
確かに、普通の令嬢であればすぐに顔をしかめてしまいそうなものである。
が、アイリーンは平然とした顔で尋ねた。
「この本、お借りしてもよろしいですか」
「は? ……まあ、構いませんが」
初めてカシアンがアイリーンの目を見た。
読むつもりか、と訴える視線に、にっこりと微笑んで答える。
「では、お借りします。質問事項をまとめて、また会いに来ますね」
どうせこんな本は読めないだろう、と年下の少年に足元を見られて、少しだけ、そう、ほんの少しだけ、アイリーンは腹を立てていた。
婚約者候補最後の一人、若き天才カシアンがついに登場しました。
年下らしい無礼さと知識という盾でアイリーンを遠ざけようとする彼ですが、相手が悪かったようです。
次話、少し視点が寄り道します。最近出番のなかった彼が動き出します。
【第14話:王城の狂騒、嫉妬の焦燥】明日朝9:00頃に更新予定。
独占欲の強い描写があります。苦手な方はご注意ください。
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