昼の焦燥
正午を告げるアラームが鳴り響く。
僕はCADの画面から目を離し、ひどく熱を持った目元を指で押さえた。
一級建築士事務所「零・アーキテクツ」。独立してから数年、ようやく軌道に乗り始めた仕事は、僕から容赦なく精神的リソースを削り取っていく。
思考が、濁る。
緻密な計算と構造美を追求すればするほど、僕の内側にある「零」の空洞が、不気味な口を開けて僕自身を飲み込もうとするのだ。
かつてのゼネコン時代ほどではないにせよ、社会という巨大なシステムの中で「一」であり続けることは、僕という個体にとって、あまりに燃費が悪すぎるらしい。
――コンコン。
「お疲れ様。差し入れ、持ってきたよ」
ノックと共に、聞き慣れた、しかし僕の脳幹をダイレクトに揺さぶる声が響く。
陽葵だった。
彼女は、僕が設計した事務所のドアを、まるで自分の家の勝手口を開けるような自然さで潜り抜けてくる。手には、彼女が試作している新しい和菓子の包み。
「……陽葵」
彼女の姿を視界に入れた瞬間、僕の「焦燥」は一気に加速した。
朝の儀式から、わずか六時間。
一般的には十分なはずの間隔が、僕たちの特異な適合体質にとっては、飢餓の限界ラインだ。
「顔色が悪いね、零くん。……また、お腹空いちゃった?」
陽葵が小悪魔めいた笑みを浮かべる。彼女だって同じはずだ。結った髪の隙間から見えるうなじが、微かに上気しているのを僕は見逃さない。
「ああ。……今すぐ、補給が必要だ」
僕はスタッフたちが昼食に出払ったことを確認すると、彼女の細い手首を掴み、奥の会議室へと引き込んだ。
重い遮音ドアが閉まり、カチリと鍵がかかる音が、僕たちの「共鳴」の合図だ。
会議室の冷たい長机の上に、彼女の差し入れが置かれる。
だが、今の僕が求めているのは、砂糖の甘さではない。
「ん……っ。零くん、ちょっと、急ぎすぎ……」
引き寄せた陽葵の身体から、僕を「一」として繋ぎ止めるための、あの生命力に満ちた熱が溢れ出す。
これは、単なる愛欲ではない。
僕たちは互いを「バッテリー」として利用し合っているのだ。
社会で摩耗し、空っぽになった僕の精神を、陽葵の圧倒的な「生」の拍動で満たしていく。それと同時に、僕もまた彼女の中に溜まった過剰な熱を、僕という器に流し込ませる。
会議室の静寂の中に、二人の、重く、速い呼吸だけが重なる。
一分、一秒。
肌が触れ合うたびに、濁っていた僕の思考回路が、嘘のようにクリアに書き換えられていく。
そう。
これなのだ。
瑛理香の火傷しそうな衝突でもなく、結衣の汚れなき静謐でもない。
お互いの欠落と過剰を、完璧な精度で埋め合わせる、この「中和」の作業。
「……ふぅ。……落ち着いた?」
数分後。陽葵が、少しだけ乱れた着衣を整えながら、満足げに僕を見上げる。
僕の心拍は、驚くほど規則正しく、力強いリズムを刻んでいた。
「助かった。……これで、午後の図面も乗り切れそうだ」
「お安い御用だよ。私も、これでやっと一息つけるし」
陽葵は、机の上の和菓子を一つ、僕の口に押し込んだ。
先程までの切実な「補給」の余韻の中で味わうそれは、どんな高級品よりも深く、僕の細胞に染み渡っていく。
僕たちは、この異常なルーチンを捨てられない。
他人には到底理解されない、共依存という名の、最も合理的な生存戦略。
さあ、仕事に戻ろう。
夜、また彼女と「三回目」の、より深い、より徹底的な共鳴を果たすために。




