表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

93/100

再会、それぞれの道

潮の香りが混じる仕事場のデスクで、僕は一通の招待状を眺めていた。

 母校の創立記念式典。十年という歳月は、かつて僕たちを縛り付けていたゼネコン財閥の家系図も、IT財閥との血みどろの抗争も、遠い昔の神話のように塗り替えてしまった。


「零くん、準備できた? ……あ、その顔。また昔のこと考えてるでしょ」


 背後から陽葵ひまりが腕を回し、僕の項に鼻先を寄せる。その瞬間、僕の脳内にあった過去の残像は一瞬で霧散し、現在という鮮烈な色彩が戻ってくる。彼女の肌の温度。それは僕の神経を「零」から「一」へと引き戻す唯一のスイッチだ。


 式典の会場は、かつての僕たちが「偽り」を演じていたあの学び舎だった。

 そこで僕を待っていたのは、懐かしくも、決定的に異なる道を選んだ「かつての配役キャスト」たちだった。


「あら、一条。……いえ、今はもう違う苗字だったかしら。相変わらず、冴えない顔をしてるわね」


 最初に声をかけてきたのは、鳳瑛理香おおとり えりかだった。

 彼女は今や、世界を股にかけるIT企業の若き女帝として、その名を轟かせている。彼女が放つオーラは以前にも増して熾烈で、触れれば火傷しそうな熱量は健在だった。だが、今の僕にはその熱に呑まれることはない。


「久しぶりだね、瑛理香。君こそ、世界を相手に戦っているって記事、読んだよ」


 続いて現れたのは、瀬那結衣せな ゆいだった。

 彼女は教育者として、この町の次世代を担う子供たちを導いているという。その瞳はかつての「聖域」のような清廉さを保ちつつも、誰かを包み込むような深い慈愛に満ちていた。


「零くん、陽葵。……二人で、幸せにやってるみたいだね」


 結衣は静かに微笑んだ。その微笑みには、かつて鍵を巡って争ったことへの後悔も、僕を失ったことへの恨みもない。ただ、教育者として「正しい場所」に辿り着いた者だけが持つ、凪のような静けさがあった。


 瑛理香、結衣、そして萬里花や冴。

 彼女たちは、再会した僕の姿を見て、一様に目を見開いた。

 かつての僕は、周囲に期待される「イチ」という器を埋められず、常に内側が空っぽな「ゼロ」だった。何不自由ない環境にいながら、常に飢え、何に反応すればいいのか分からず彷徨っていた亡霊。


 だが、今の僕の瞳には、陽葵との日々によって刻まれた、揺るぎない芯が通っている。

 家柄でも、約束でも、過去の記憶でもない。

 ただ、特定の異性と「毎日三度の共鳴」を繰り返すことでしか得られない、肉体的な充足。その圧倒的な生命の循環が、僕を「一条零」という一人の男として完成させていた。


「……ふん。あんた、なんだか見ないうちに、随分と『図太い面』になったわね。昔の、あの死にかけの魚みたいな目はどこへ行ったのかしら」


 瑛理香がからかうように笑う。彼女も、結衣も、気づいているのだろう。

 僕が選んだ道が、決して「王道」でも「理想的」でもなかったことを。

 それでも、誰よりも深く、誰よりも生々しく、互いを満たし合える相手を見つけた者だけが持つ、静かな矜持。


 式典の喧騒を離れ、僕と陽葵は校庭の隅にある、かつて二人で「補給」を行ったあの場所を眺めた。


「ねえ、零くん。みんな、すごいね。……でも、私は今の私たちが一番すごいと思うんだ」


 陽葵が僕の手を強く握る。

 それぞれの道。それぞれの正解。

 僕たちの正解は、今夜もまた、この指先から伝わる鼓動によって証明される。

 

 かつての仲間たちが進む光り輝く大通りとは少し違う、僕たちだけの湿り気を帯びた裏路地。

 そこには、他の誰にも開くことのできない、僕たちだけの「真実」が、今日も静かに拍動していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ