崩壊する均衡
鳳瑛理香との「偽装」という名の防波堤が決壊した結果、僕を待っていたのは、ロマンチックな自由などではなく、鉄格子のない監獄だった。
一条家の奥の院。古色蒼然とした和室に、僕は文字通り「軟禁」されている。
庭先に広がる枯山水を見つめながら、僕は自嘲気味に笑った。一条組と鳳家——ゼネコンの巨頭とITの寵児。両家の合併プロジェクトが白紙に戻ることを恐れた大人たちは、原因を作った僕を外界から遮断し、事態を「洗浄」しようと躍起になっている。
「……クソ。身体が、重いな」
畳に横たわるが、背中に伝わるその感触ですらノイズに感じられる。
指先が小刻みに震え、視界の端が絶えず明滅している。陽葵という「正解」を知ってしまった今の僕は、ただの重度なジャンキーと変わらない。
彼女と共鳴することでしか得られない、あの脳を直接掻き回されるような、暴力的なまでの充足感。
それが絶たれて三日が過ぎ、僕の細胞は飢餓に悲鳴を上げていた。
これまでは、瑛理香の刺すような熱や、結衣の柔らかな光を交互に浴びることで、なんとかこの異常なまでの需要を分散させてきた。だが、陽葵という「完全に一致するプラグ」を見つけてしまった今、他の誰の肌も、僕の回路を正常に動かすことはできない。結衣の癒やしすら、今の僕にとっては薄めた毒に等しい。
戸が開き、食事が運ばれてくる。
運んできたのは、顔馴染みの若い衆ではない。父がどこからか連れてきた、感情を一切見せない監視役だ。
「一条様、お食事です」
「いらない。……それより、外と連絡を取らせろ。スマホを返せ」
「お立場をお考えください。鳳家との抗争が再燃し、街の空気は最悪です。貴方様が不用意に動けば、今度こそ血が流れる」
血、か。笑わせるな。
僕の身体の中では、もうとっくに、制御不能な情動という名の血が逆流し、内側から僕を焼き尽くそうとしているっていうのに。
陽葵は今、何を思っているだろう。
姉である結衣との間に、修復不可能な亀裂を入れ、その上で僕という拠り所まで奪われた彼女。
陽葵の身体もまた、僕と同じ「飢え」に支配されているはずだ。彼女は向日葵だ。太陽である僕の供給なしでは、その瑞々しい生命力も、あっという間に萎れて、土に還ってしまう。
僕は立ち上がり、障子を乱暴に開け放った。冷たい風が、熱を持った皮膚を撫でる。
このままここにいれば、僕は「一条の跡取り」として再構築されるだろう。
瑛理香との新しい契約、あるいは結衣との「政略的な純愛」。そんな、表面上だけ整った構造物に、僕は再び組み込まれる。
だが、今の僕の指先が求めているのは、そんなコンクリートのような安定じゃない。
泥臭くて、生々しくて、一瞬でも離れれば呼吸困難に陥るような、あの陽葵との「狂おしいほどの相性」だ。
彼女と繋がれるのなら、この家の利権も、将来の約束も、全部ドブに捨てたって構わない。
「……待ってろよ、陽葵。今すぐ、そのエネルギーを回収しに行ってやる」
僕は、床の間に飾られた高価そうな壺を、迷いなく壁に叩きつけた。
粉々に砕け散る陶器の音が、僕の理性という最後の壁が崩れた合図だった。
均衡はもう、崩壊した。
大人たちが築いた偽りの城を、僕の剥き出しの本能が、内側から食い破ろうとしていた。




