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陽葵の決別宣言

 放課後の教室。西日が長く伸び、僕と彼女の影を不自然なほど歪ませていた。

 陽葵ひまりは窓の外を見つめたまま、一度も僕と視線を合わせようとしない。その横顔は、いつもの快活さが嘘のように硬く、まるで精巧に作られた氷の彫像のようだった。


「……一条先輩。もう、私たち、こういうことはやめにしましょう」


 その言葉は、静かだが鋭いナイフのように、僕の鼓動を切り裂いた。


「補給も、放課後の密会も、全部です。……今日を最後に、他人の振りをしてください」


 僕は息を止めた。理由を聞くまでもなかった。彼女の視線の先、机の上に置かれたスマートフォンの画面には、姉である結衣ゆいからのメッセージが光っていたからだ。

『陽葵、零君のこと、私、本当に大切に思ってるの。応援してくれるかな?』

 結衣の、汚れなき、聖域のような想い。それが陽葵の背中に、罪悪感という名の冷たいくさびを深く打ち付けていた。


「お姉ちゃんのあんな顔、初めて見た。……あんなに幸せそうに笑って、先輩のことを話すんだよ。私、あんな純粋な愛を裏切ってまで、自分の『充足』を優先するなんてできない」


 陽葵の肩が、微かに、しかし激しく震える。

 彼女の選んだ決断は、あまりに正しく、そして残酷だった。

 僕たちの関係は、ただの「需要と供給」の一致だったはずだ。一日に何度も繰り返される枯渇を埋めるための、互いを「生命維持装置」として利用するだけの、無機質な契約。

 ……そう。そうだったはずなのに。


「……わかった。君がそう言うなら、僕は――」


 引き止めようとして伸ばした僕の手が、空中で凍りつく。

 だが、その瞬間。

 別れを告げたはずの陽葵が、弾かれたように僕を振り向き、その瞳に大きな涙を溜めて僕を凝視した。


「……なんで、そんなに絶望した顔するの。先輩、私のこと、ただの『便利な器』だと思ってたんじゃないの?」

「それは、君の方こそ……」


 互いの顔を見た瞬間、隠しようのない真実が、せきを切ったように溢れ出した。

 単なる身体の相性。単なる生存のための儀式。そう自分に言い聞かせてきたはずの「補給」の時間は、いつの間にか、互いの魂が唯一、息をすることを許される聖域になっていたのだ。


 瑛理香との激しい熱も、結衣との静かな思い出も、今の僕にとっては、この「陽葵という名の欠落」を埋めることはできない。

 彼女を失う。それは単に「一日の回数」を失うということではない。

 僕という存在が、再びあの暗く冷たい、永遠の飢餓に閉ざされた「ゼロ」に引き戻されることへの、底知れない恐怖。


「……嫌だよ」

 陽葵の声が、かすれて零れた。

「お姉ちゃんは大切。でも……先輩の鼓動が聞こえない世界なんて、私、もう一秒も耐えられない……っ」


 僕たちは、自分たちの「業」が単なる肉体の乾きを超えて、救いようのない「共依存の愛」へと変質していたことに、決別という極限状態の中で初めて気づかされた。

 陽葵の瞳に宿る、激しい葛藤と、それを凌駕するほどの剥き出しの執着。

 姉を愛する自分と、僕を求める自分。その狭間で引き裂かれながらも、彼女の身体は僕を求めて一歩踏み出した。


 理性が叫んでいる。ここで彼女を突き放すのが、唯一の正解だと。

 けれど、僕の右手は、吸い寄せられるように彼女の頬を包み込み、その熱をむさぼるように求めていた。

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