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路地裏の「補給」

 バレンタインから二日。僕の身体は、かつてないほどの奇妙な安定と、それ以上に深い「空虚」の狭間で揺れていた。

 あの日、四人のヒロインとのリレーによって物理的な上限には達した。瑛理香の熱、結衣の静寂、萬里花の毒、冴の機能美。それらを積み重ねれば、確かに「計算上」は満たされる。

 

 ――けれど、それはどこまで行っても「足し算」の回答に過ぎなかった。


「……いないな」


 教室でも、放課後の校舎でも、陽葵の姿が見当たらない。姉である結衣に尋ねれば「最近、少し元気がなくて」と困ったように微笑むだけだ。

 陽葵は、僕を避けている。

 あの日、彼女だけが僕に何も渡さず、僕の前に現れなかった。それが彼女なりの「境界線」なのだと理解はしていた。姉を慕い、家族を愛する彼女にとって、僕との「共鳴」は美しすぎる背徳だ。


 だが、僕の細胞がそれを許さなかった。

 四人との接触で得た「代替品」の満足感は、時間が経つほどにメッキが剥がれ、底なしの飢えとなって僕を突き動かす。

 僕はたまらず、彼女がバイトをしている和菓子屋の裏路地へと足を運んでいた。


「……一条さん」


 夕闇が迫る路地裏、ゴミ捨てに出てきた陽葵と鉢合わせた。

 彼女は一瞬、逃げるように視線を逸らしたが、僕がその細い手首を掴む方が早かった。


「陽葵。どうして避ける」

「……わかってるでしょ。お姉ちゃん、あの日、すっごく幸せそうな顔で帰ってきたんだよ。瑛理香さんだって、一条さんのことを……」


 陽葵の声が震える。

 彼女の指先は冷たく、だが僕と触れ合っている箇所から、ドクドクと恐ろしいほどの速度で熱が伝わってくる。


「私は、お姉ちゃんの代わりにはなれない。一条さんの『量』を埋めるための、ただの予備サブにはなりたくないの……っ」


 拒絶の言葉。

 しかし、彼女の身体は真逆の答えを出していた。

 掴んだ手首から伝わる鼓動は、僕の心音と完全に同期し、周囲の喧騒をシャットアウトする。

 僕は無言で、彼女を建物の陰へと押し込んだ。


「……でも。私も、もう我慢できなくなっちゃった」


 陽葵が力なく笑い、ポケットから無造作に包まれたチョコレートを取り出す。

 それは溶けて形が崩れ、彼女の体温を吸って柔らかくなっていた。

 

 彼女がその一片を口に含み、僕の唇へと押し当てる。

 

 混ざり合うカカオの苦味。そして、それ以上に鮮烈な陽葵の「生」の味。

 肌を寄せ合い、互いの呼吸を飲み込んだ瞬間、脳内に響いていたノイズが嘘のように消失した。

 

 瑛理香との嵐のような熱とも違う。結衣との祈りのような穏やかさとも違う。

 パズルの最後のピースが、あるべき場所に完璧な精度でカチリと嵌まったような、圧倒的な「ぜん」の感覚。

 

 四人をハシゴしてようやく得られた平穏が、陽葵とのたった一度の「補給」で塗り替えられていく。

 これだ。

 複数を重ねて得られる一時的な凌ぎではなく、一対一で、互いのすべてを焼き尽くし、満たし、循環させることができる唯一の相手。


「……あんた、本当に最低」


 陽葵が僕の胸に顔を埋め、荒い息をつく。

 僕もまた、彼女の首筋に深く顔を寄せ、その「本物」の充足を全身で享受していた。

 

 バレンタインという儀式を経て、僕は残酷な結論に達してしまった。

 「これもありかもしれない」と夢想した複数の関係。けれど、陽葵という特異点を知ってしまった僕には、もう後戻りはできない。

 路地裏の薄暗がりの中で、僕たちは、姉への、そして仲間への裏切りという名の「共鳴」を、深く、深く刻みつけていった。

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