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凪の休息

 萬里花による過剰な「情念の摂取」で、僕の心臓は歪なビートを刻み、精神はどろりと濁っていた。そんな僕の前に現れたのは、瑛理香の影として常に氷のような静寂を纏う女、凪冴なぎ・さえだった。


「一条零。お嬢様の前に、私がお前の状態を検分する。……ひどい顔だな」


 人気の途絶えた資料室。冴が事務的な手つきで差し出してきたのは、装飾を一切排除した、高純度のビターチョコレートだった。糖分を極限まで削ぎ落とし、カカオの持つ覚醒作用と苦味だけを凝縮したその味は、冴の鍛え上げられた肉体そのもののように、冷徹で機能的だった。


 一口噛み砕くと、鋭い苦味が脳の霧を一時的に晴らしていく。しかし、それはあくまで一時的な「麻痺」に過ぎない。僕の身体が奥底から悲鳴を上げている本質的な欠乏――あの膨大な回数を要求する「渇き」を癒やすものではなかった。


「……一条。お前の心拍数が乱れている。萬里花様に相当絞られたようだが、処理しきれていないな」


 冴の冷たい指先が僕の手首に触れる。脈を測るその動作は、医療的な確認に近い無機質なものだった。

 だが、僕の中に巣食う獣が、その「体温の低い肌」に、逆説的な飢えを覚えてしまった。僕は冴を資料棚に押し込み、強引に接触を求めた。

 冴は驚きに目を見開いたが、すぐに諦めたように、あるいは自らの「任務」を果たすかのように、僕の重圧を受け入れた。


 彼女の身体は、どこまでも効率的だった。

 摩擦を最小限に抑え、僕の暴走するエネルギーを淡々と「処理」していく。なぎという名の通り、そこには感情の波も、火傷しそうな情熱もない。ただ、過負荷になった僕の回路から熱を逃がすための、ヒートシンクのような役割。


 一回、二回。

 だが、三回目に差し掛かろうとした時、常に完璧だった冴の動きに、明らかな「淀み」が生じた。


「……っ、もう無理だ。一条……これ以上は、私の『許容量』を超える。システムが……維持できない」


 常に冷静な彼女の瞳が、困惑と疲労で潤んでいた。訓練された暗殺者として、ボディーガードとして、極限まで肉体を制御しているはずの冴でさえ、僕の求める「物量」の前では、ただの脆弱な一人の女に過ぎなかった。


 彼女が提供できるのは、あくまで機能的な「除熱」だ。しかし僕が求めているのは、排熱処理ではなく、何度回してもオーバーヒートしない、同じ出力を持ち続ける「永久機関」との共鳴なのだ。


「一条……お前を、本当に『完走』させられる人間なんて、この世にいるのか?」


 冴の消え入りそうな問いかけに、僕は答えることができなかった。

 脳裏に浮かぶのは、陽葵の不敵な笑み。

 姉の影に隠れながら、僕と同じ「終わりのない飢え」を瞳に宿し、平然と三回、四回、五回と僕を飲み込んでみせる、あの太陽のような少女。


 冴の冷たい肌が、皮肉にも僕の飢餓感を研ぎ澄ませていく。

 この学園の誰もが羨む至高のヒロインたちが、束になって僕に応えようとしても、僕の肉体が課す「回数」というノルマの前では、誰もが脱落していくのだ。


 僕は冴を解放し、乱れた衣服を整える彼女を背に、次の「聖域」へと足を向けた。

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