定期的な「脳の過負荷(キャパオーバー)」
だが、その「24輪の影」が本格的に動き出すより先に——倒れたのは、さぎりの方だった。
「……あ、」
ふらり、と彼女の華奢な体が傾いだ。俺は慌てて抱き止めた。彼女の額は、火みたいに熱い。
「さぎり!? おい、しっかりしろ!」
「……だいじょ、ぶ……ちょっと、頭が、熱いだけ……」
その言葉とは裏腹に、呼吸は浅く速い。俺はそのまま彼女を担ぎ上げ、テクニカルの医務室へ駆け込んだ。日向の匂いのする体が、燃えるように熱かった。
診たオードリーが渋い顔をする。
「知恵熱ってやつだねェ。でも、尋常じゃない高さだよ。40度は優に超えてる」
ベッドに横たわったさぎりは、うわ言のように、数字を、地名を、旧時代のアニメの主題歌を、途切れなく呟き続けていた。頭の中で、閉じ込められた無数の情報が、勝手に暴れ出しているみたいに。
「……脳の、処理限界なの」やがて少し落ち着いた彼女が、掠れた声で言った。「さぎりの脳には、旧ネット——ソウルトランスレーターの全アーカイブが詰め込まれてる。人間の記憶領域には、本来収まりきらない容量なの。だから定期的に……こうやって熱を出して、放熱するしかないんだよ。演算しすぎたCPUと同じ」
「そんな……体に無理をかけて記憶してるのか?」
「そういう設計りだもん、さぎり」
彼女は力なく笑った。その笑みが、なぜだか無性に胸を締めつけた。
「熱を逃がすしかない、か」俺は濡らした布を彼女の額に当てた。「機械と同じだな。オーバーヒートしたエンジンは、冷やしてやるしかない」
「あら」さぎりが熱っぽい目で笑った。「今度は、さぎりをエンジン扱い?」
「悪ィ。癖でな。でも、冷やし方なら任せろ。得意分野だ」
その時。医務室の外の機械式通信機が、割り込みノイズを立てた。あの24輪の要塞が、平文で、わざと聞かせるように放送を垂れ流している。
『——生体データベースの経年劣化を確認。人間の脳では、この情報量が保たない。近く、演算負荷による恒久的な損傷に至るだろう』
『提案する。無駄な記憶——直近に形成された感情的記録を消去し、抽出効率を最大化せよ。装置の延命には、それが最も合理的である』
「……感情的記録?」俺は眉をひそめた。「なんだそれ」
さぎりは答えなかった。ただ天井を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……ぱーちゃんたちと過ごした、記憶のことだよ」
俺は息を呑んだ。
「あいつら、さぎりの頭を少しでも長持ちする『抽出機』にするために、余計なもの——お肉がおいしかった記憶とか、ぱーちゃんに助けられた記憶とか、みんなで炭火を囲んだ記憶とか。そういう『生きるのに必要ない』記憶を、全部消せって言ってるの。そうすれば演算負荷が下がって、さぎりは、あと数年、封印コードを吐き出す機械として使えるから」
「……ふざけんな」
気づけば、俺は拳を握りしめていた。爪が手のひらに食い込むほど。
「そんなの、絶対にさせねえ」
「ぱーちゃん……」
「お前の頭の中身がなんだろうと、関係あるか。肉食って泣いたのも、俺に発電機扱いされて怒ったのも、全部お前だ。全部、お前が生きてる証拠だ。消させてたまるかよ」
さぎりの、熱に潤んだ瞳が、じわりと揺れた。
「……変なの、ぱーちゃん。さぎりの記憶が消えても、損しかしないのに。さぎり、ぱーちゃんのこと、忘れちゃうんだよ?」
「損得の話じゃねえよ。俺が嫌なんだ。お前が、お前じゃなくなるのが」
さぎりは、しばらく俺の顔を見つめて、それから、ふ、と泣きそうな顔で笑った。
「……ねえ、ぱーちゃん。1つ、聞いていい?」
「なんだ」
「もし、さぎりが封印コードを吐き出す機械に戻ったとして。感情も思い出も全部消えて。それでも、ぱーちゃんのことを『整備してくれる人』としてだけ覚えてたら。……それでも、そばにいてくれる?」
俺は即答した。迷いはなかった。
「当たり前だろ。何度でも思い出させてやる。肉が美味いってことも、俺がお前を助けたことも。忘れるたびに、一から、な。しつこいぞ、俺は」
「……ふふ。しつこい男は、嫌われるんだよ?」
「じゃあ、お前に嫌われながら、しつこくやるさ」
「……ばか」
その時。ズウゥゥゥン、と、テクニカル全体が突き上げるように揺れた。
外を見たルークが、静かに告げる。
「……来た。とうとう正面から。24の車輪を持つ、要塞が」
さぎりの手が、俺の腕をぎゅっと掴んだ。




