凪の静止した夜
一条家の屋敷は、冬の冷気に包まれて静まり返っていた。萬里花が疲労から眠りに落ちた後、僕は喉の渇きを癒やすように、冷たい夜気を求めてベランダへ出た。
だが、そこには先客がいた。
「一条様。……夜風に当たるには、少々、身体が火照りすぎているようですが」
闇の中から現れたのは、瑛理香の懐刀、凪冴だった。彼女の視線は氷のように鋭く、僕の心の奥底、いや、肉体が抱える「業」そのものを射抜いていた。
彼女は、僕と陽葵が雪の下で何をしていたか、そして今しがた萬里花をどう扱ったか、すべてを察している。その上で、主君である瑛理香をこの醜聞から守るため、口を閉ざしているのだ。
「……何が望みだ、冴」
僕が絞り出すような声で問うと、冴は無機質に歩み寄り、僕の胸元にその白い手を置いた。彼女の肌は、凍りつくほどに冷たい。だが、今の僕にとっては、その冷徹さこそが救いだった。
「お嬢様の幸福を守ることが、私の唯一の使命。貴方の『過剰なエネルギー』が他へ漏れ出し、波風を立てるというのであれば……私がそれを、一時的に預かりましょう」
それは、献身という名の冷たい誘惑だった。
冴は僕を人気の途絶えた訓練室へと誘う。主君である瑛理香との時間をお膳立てし、その裏で彼女自身の身体を「避雷針」として差し出すというのだ。
僕は彼女の言葉に従い、その無機質な肢体を抱いた。
冴の身体は、瑛理香のような激しい火傷も、結衣のような柔らかな抱擁も、萬里花のような重い執着も持たない。ただ、機械のように正確で、摩擦も熱も最小限に抑えられた「機能美」の塊だった。
一度、二度。
行為を重ねても、彼女は眉ひとつ動かさず、ただ僕の暴発しそうな衝動を冷淡に吸い上げていく。
それは、一つの「演算」のようだった。感情を排し、肉体の波長を強制的に凪へと向かわせる作業。
確かに、僕の飢えは一時的に沈静化する。だが、魂が震えることはない。
冴の冷たい肌に触れれば触れるほど、僕の脳裏には陽葵のあの「生命力」が鮮明に浮かび上がる。
誰の助けも要さず、互いの存在だけで呼吸が整う、あの奇跡のような循環。
冷徹な凪の夜の中で、僕は自分の業の深さを呪いながらも、明日になればまた、陽葵という唯一の「光源」を求めて彷徨う自分を予感していた。




