雪下の補給
凍てつく空気さえも、今の僕にとっては狂おしいほどの焦燥を煽るスパイスに過ぎなかった。
華やかなパーティー会場の喧騒を背に、僕は一人、一条家本宅の広大な裏庭へと急いだ。
先ほど鳳瑛理香との接触で得た「熱」は、僕の渇きを潤すどころか、火に油を注ぐ結果となっていた。彼女の爆発的なエネルギーはあまりに鋭利で、僕という「零」を一時的に焼き尽くすだけで、持続的な充足を与えてはくれない。むしろ、半端に刺激された僕の中の獣は、さらに激しい「適合」を求めてのたうち回っていた。
だが、僕は知っていた。この極寒の夜、この広大な屋敷のどこかに、僕と同じ「欠落」を抱えた少女がいることを。
「……一条さん?」
厨房の通用口の影、配送業者のトラックが作る巨大な死角。そこに、彼女はいた。
陽葵だ。姉の結衣に付き添い、調理スタッフの補助としてこのパーティーに紛れ込んでいた彼女は、僕のなりふり構わないメッセージを受け取っていた。
僕は言葉を交わす暇さえ惜しみ、彼女の細い手首を引いて、さらに暗い森の境界へと連れ出した。
「ちょ、一条さん、待って……! お姉ちゃんがすぐ近くに――」
「頼む、陽葵。……今、君じゃないとダメなんだ。もう限界なんだよ」
雪の上に押し倒すような勢いで、僕は彼女を抱きしめた。
厚手のコート越しでもわかる、陽葵の放つ独特のバイブレーション。瑛理香のような攻撃的な過電圧でも、結衣のような弱すぎる静止でもない。それは、僕の脈拍と完璧な公差で噛み合い、不足した生命力を隅々まで流し込む「真の共鳴」だった。
指先が重なり、肌が触れ合った瞬間、僕の視界を支配していた砂嵐がピタリと止んだ。
「……はぁっ、……あんた、本当にひどい顔。また、あのお嬢様に中途半端に『汚されて』きたのね」
陽葵は毒づきながらも、僕の凍えた首筋に温かな両手を回し、自ら深く密着してきた。
氷点下の闇。雪の結晶が僕たちのまつ毛に触れては消えていく。その静寂の中で、僕たちは貪り合うように肌を重ね、互いの「心音」を交換した。
これは愛の交歓という情緒的なものではない。もっと切実で、剥き出しで、生存のために欠かすことのできない「食事」そのものだった。
「はぁ、……陽葵、それだ。そのリズムが……僕の『零』を埋めて、一に戻してくれる……」
「……私だって、同じよ。一日に何度もこうやって確認しないと、自分が透けて消えてなくなりそうなの。……もっと、強く。お姉ちゃんのことなんて、一瞬で忘れちゃうくらいに」
陽葵の瑞々しい脈動が、血液に混じって僕の神経へと染み渡る。
一度、二度、三度。
重ね合うたびに、僕のノイズだらけだった思考が、嘘のようにクリアに整っていく。
陽葵というフィルターを通すことで、僕という壊れた個体は初めて「正常な一条零」として再構築されるのだ。
十分後。
僕たちは乱れた呼吸を整え、互いの服に付いた雪を、儀式のように丁寧に払い合った。
「……よし。これで、あと数時間は一条零でいられるわね」
陽葵はどこか清々しい、しかし酷く歪んだ「共犯者の笑み」を浮かべて暗がりに消えていった。
僕もまた、乱れたネクタイを締め直し、冷たい雪を頬に当てて「完璧な御曹司」の仮面を被り直す。
会場に戻れば、再び瑛理香が不機嫌そうに、あるいは結衣が心配そうに僕を待っているだろう。
だが、今の僕の奥底には、陽葵から受け取った確かな「律動」が根付いている。
この雪下の密会という名の補給こそが、僕たちがこの残酷で美しい世界を「人間」のフリをして生き抜くための、唯一の燃料だった。




