不協和音の夜
建設業界の頂点に君臨する「一条組」と、爆発的なスピードで世界のインフラを書き換えたIT財閥「鳳」。この二つの巨頭が手を取り合うというニュースは、経済界にとっては福音だが、当事者である僕にとっては、ただの「公開処刑」でしかない。
会場のホテルのロビーは、不自然なほど磨き上げられた大理石が冷たい光を反射していた。
僕の隣には、鳳瑛理香。
最高級のシルクドレスに身を包んだ彼女は、まるで計算され尽くした芸術品のように完璧だ。しかし、一歩そのパーソナルスペースに踏み込めば、彼女が放つ「苛立ち」という名の高周波が鼓膜を突き刺してくる。
「一条、言っておくけど、不快な真似をしたらその瞬間にあんたの人生をデリートするから」
「奇遇だね。僕も自分の人生を再起動したいと願っていたところだ」
そんな会話を交わしながら、僕たちはカメラの列が並ぶバルコニーへと促された。
広報担当が耳打ちする。
「……お二人とも、もっと『親密さ』を。合併プロジェクトの信頼性は、この一枚にかかっているんです」
親密さ。
それは、ビジネスという名の台本に書き込まれた、最も空虚なト書きだ。
僕は瑛理香の腰を引き寄せ、彼女は僕の肩に細い指先を這わせた。
その瞬間、世界から音が消えた。
――熱い。
ドレス越しでもわかる、彼女の異常な体温。
それは以前感じた「不協和音」をさらに増幅させた、暴動のような生命力だった。僕の腕に触れる彼女の指先が、まるで剥き出しの電線のように火花を散らす。
「……近いわよ」
瑛理香の吐息が首筋にかかる。彼女の瞳は「拒絶」を叫んでいるのに、その身体は僕の体温を貪るように激しく脈打っていた。
周囲の記者たちが「接吻を!」と囃し立てる。最悪の公開生放送だ。
僕は覚悟を決め、彼女の顔を両手で包み込んだ。
唇が重なる。
それは「愛」の感触ではなかった。
それは「戦い」であり、互いの領域を侵食し合う「略奪」だった。
瑛理香の舌先から流れ込んでくる、圧倒的な情報量。彼女の傲慢さ、孤独、そして言葉では決して表さない「飢え」が、ダイレクトに僕の神経系をジャックする。
脳内が、ノイズで真っ白に発光する。
瀬那結衣と過ごす「聖域」のような静寂とは真逆の、地獄のような大音量の共鳴。
演技の範疇を超えて、僕は彼女を強く求めていた。いや、僕の「細胞」が、彼女のその暴力的なエネルギーを吸い込もうと勝手に暴走を始めている。
唇を引き離したとき、瑛理香の瞳は潤み、激しく肩で息をしていた。
僕も同じだ。心臓が、肋骨を内側から叩き壊さんばかりに暴れている。
これが、僕の中にある「零」を「一」に引き上げるためのコストだと言うのか。
あまりに刺激が強すぎる。このままでは、僕の精神が焼き切れてしまう。
「……あんた、今の……」
瑛理香が何かを言いかけたとき、会場の隅に、冷徹な監視者の影が見えた。
彼女の秘書、凪冴。
その無機質な瞳が、僕たちの「偽りの褥」に潜む、取り返しのつかない綻びを確実に見抜いていた。




