余白
古代AIとの戦いが終わってから、半年が過ぎた。
世界は相変わらず不便だった。
電気は戻らない。
電子機器も復活しない。
けれど、人々は前よりずっと前を向いていた。
壊れた橋は木材と鋼材で繋がれ、閉ざされていた交易路には荷車が走るようになった。
人は案外しぶとい。
便利がなくなっても、生きていける。
いや。
生きるだけなら、前より上手くなったのかもしれない。
「ぱーちゃん」
「んー?」
俺はガレージの床に寝転びながら返事をした。
目の前には分解中のディーゼルエンジン。
隣には工具箱。
いつもの光景だ。
違うのは――。
「ボルト、また落としたね」
青い髪の少女がいることだった。
椅子に座ったさぎりが、本を読んでいる。
いや。
正確には書いている。
分厚いノートに。
万年筆で。
さらさらと。
「なあ」
俺は天井を見たまま言う。
「前から気になってたんだけど」
「なに?」
「お前、なんで日記なんか書いてんだ?」
ペン先が止まった。
さぎりは少しだけ首を傾げる。
「変かな?」
「いや」
俺は笑った。
「だってお前、忘れねえだろ」
完全記憶能力。
見たものも聞いたものも。
全部覚えている。
だったら日記なんて必要ない。
そう思った。
でも。
さぎりは静かに首を振った。
「違うよ」
「ん?」
「忘れないためじゃないの」
青い瞳がノートに落ちる。
少しだけやわらかく。
少しだけ愛おしそうに。
「残すため」
沈黙。
風が吹いた。
ガレージの外で風鈴がちりんと鳴る。
「記憶は頭の中にあるでしょ?」
さぎりが言う。
「でもね」
「うん」
「誰かと生きた時間は、形にもしておきたいの」
ノートを閉じる。
表紙には小さな文字。
『星屑のアルカディア』
そう書いてあった。
「そのうち誰かが読むかもしれない」
さぎりは笑った。
「世界の秘密なんかじゃなくて」
「うん」
「お肉がおいしかったこととか」
「くだらねえな」
「くだらないねっ」
彼女は楽しそうに笑った。
それから。
ノートの最後のページに何かを書き込んだ。
俺には見えなかったけれど。
きっと。
とても大事なことを書いたんだろう。




