星屑のアルカディア
あれから、季節が1つ巡った。
古代AIと核の脅威は、永遠に潰えた。ロークは罪を償うため、そして失った秩序を今度は「支配」ではなく「助け合い」で取り戻すために、各地の孤立した集落を繋ぐ旅に出た。別れ際、彼は初めて憑き物の落ちた穏やかな顔で笑った。「貴様らのおかげで、私はもう一度、人間に戻れた。ありがとう」と。あの重厚な悪役の最後の言葉は、ただの1人の疲れた男の、感謝だった。
モーリスは相変わらず金に汚くて、けれどいざという時は誰よりも先に空へ飛び立つ。オードリーは新しい爆薬の調合に今日も余念がない。ルークは相変わらず無口に、ディーゼルの排気音に耳を澄ませている。みんな、それぞれの不便で愛おしい日常に帰っていった。
世界はまだ不便だ。電気は死んだままで、飯は焦げるし、機械はすぐにすねる。誰も完璧じゃない。
でも——最高だ。
「ちょっと、ぱーちゃん! このジープ、ボルトが2ミリ緩んでるよっ!」
助手席で、さぎりがふんぞり返って文句を言う。青い髪が、朝風にさらさら揺れている。ガソリン臭いオープンカーのジープ。荒野を2人でゆく。
「わかってるよ。後で締める」
「後で、じゃダメなのっ。振動で走行中に脱落する確率、34パーセント。今すぐ停めてっ。さぎりの計算は正確なんだからっ」
「はいはい」
俺は笑ってジープを停めた。ボルトを締めながら、隣の生意気な完全記憶能力者を見る。朝日に照らされた横顔を。
あの日、ベランダに逆さまに引っかかっていた少女は。世界のすべてを記憶する、孤独な兵器だった少女は。今はこうして、俺の隣で、くだらない文句を言っている。誰より人間らしく。
「ねえ、ぱーちゃん」
「ん?」
「さぎりね、まだ覚えてるよっ」さぎりが、少しだけ照れくさそうに言った。膝を抱えて。「あの時、ぱーちゃんに初めて焼いてもらった、塩漬け肉の味。じゅわって、脂が弾けて、香ばしくて。……あれ、さぎりの記憶の中で、一番おいしいものなの。旧文明のどんなご馳走のデータより、ずっとずっと」
「……そうか」
「ずっと忘れないから。何度、脳の容量がいっぱいになっても。あれだけは絶対に消さないっ。……ぱーちゃんと過ごす、これからの全部もね。1つ残らず、大事に取っておくのっ」
俺はボルトを締める手を止めた。そして、彼女の青い髪に、ぽんと油まみれの手を置いた。
「なら、いっぱい作ってやるよ。お前が忘れたくないって思う思い出、これから山ほどな。約束しただろ」
「っ……!」
さぎりの顔が、朝日みたいに真っ赤に染まった。彼女はいつものように俺の腕をぽかぽかと叩く。けれど、その拳はちっとも痛くない。
「ば、ばかっ! そういうこと、真顔で言わないでっていつも——! もう、いいから、早くボルト締めて、お肉焼きなさいっ! このっ、肉食系メカニックーーーっ!」
「へいへい。……あ、そうだ。お前の頭、もう知恵熱、出さないのか?」
「それがね」さぎりは、ちょっと驚いたように言った。「モヘンジョダロで、AIに無駄知識を全部ぶつけてから、なぜか楽になったの。頭の中がすっきりして。もう、あんな高熱は出ないんだよっ」
「へえ。デトックスってやつか」
「たぶんね。さぎり、ずっと抱え込みすぎだったの。旧文明の重たい記録を、全部1人で。……でも今は、ぱーちゃんたちと作る新しい記憶のための余白が、ちゃんとあるんだっ」
彼女は青い空を見上げた。眩しそうに。
「これから、いっぱい上書きしていくの。古いデータじゃなくて。ぱーちゃんと焼いた肉の味とか、ジープで走った風の匂いとか。そういうのを」
「いいな、それ。じゃあ今日の晩飯も、しっかり記憶に刻んでもらわねえとな」
「うんっ。えへへ」
荒野に、彼女の弾けるような笑い声が響く。青い空に吸い込まれていく。
完璧なんて、いらない。不便で、焦げた肉が美味いって笑い合える——これが、俺たちのリアルだ。
俺たちの、星屑のアルカディアだ。
油臭いジープは、朝焼けの荒野をまた走り出す。2人分の笑い声を乗せて。
2人の新しい冒険は——まだ、始まったばかりだ。




