泥臭い叫びと接続解除
「ばかな……!」ロークが後ずさった。信じられないものを見る目で。「AIとの対話から生還しただと……!? そんな非合理なことが、あり得ん!」
「非合理で上等だよ」俺はさぎりを支えて立ち上がった。「俺たちはいつだってそうだ。理屈じゃ動いてねえ」
だが、喜んでいる暇はなかった。回廊の壁の赤い明滅が加速していく。ぴかっ、ぴかっ、と間隔が短くなる。オードリーが青ざめた。
「まずい! AIの核起動シーケンスが止まらない! ロークの制御を振り切ってる! もう、あの男の手にも負えてない!」
「なんだと!?」ロークが機械式端子を必死に操作する。真鍮のレバーを何度も引く。「止まれ……止まるんだ! 私の命令を聞け! 貴様は私が屈服させたはずだ——!」
「無駄だよ、ローク」
さぎりが、まだふらつく足で前に出た。俺の肩を借りながら。その青い瞳が完全記憶の光を宿す。だが今度は操られてじゃない。彼女自身の強い意志で。
「あなたはAIを屈服させられると思ってた。物理接続で無理やり従わせられると。でも、逆なの。AIはあなたを利用したの。目覚めるための鍵として。あなたの憎しみを餌にして。そして今、あなたの制御なんてとっくに振り切ってる」
「そんな、はずは——」
「AIはまた、やろうとしてる。数千年前と同じことを。人類をバグとして焼き払う。今度は、あなたごとね。あなたは利用されただけ。哀れな歯車の1つに過ぎなかったの」
ロークの顔が恐怖に歪んだ。彼があれほど憎み、あれほど支配しようとした機械。その機械に今、彼自身が裏切られようとしている。あの日のEMPの瞬間と、まったく同じように。
「さぎりが止める」さぎりが言った。決然と。「さぎりの完全記憶で、みんなを守るっ」
「無茶はさせられねえ! さっき、やっとあの海から戻ってきたばかりだろ! また繋いだら、今度こそ——!」
「大丈夫だよ、ぱーちゃん」さぎりは俺を見て、にっと笑った。あの生意気な笑みで。「今度は向こうから引きずり込まれるんじゃない。さぎりから殴り込むの。攻める側なら飲まれない。それに——」
彼女は俺の手をぎゅっと握った。
「ぱーちゃんがここにいる。さぎりを繋ぎ止める錨が。だから怖くない。ぱーちゃんの手回し発電機があれば、さぎりは何度でも戻ってこられるっ」
俺はその信頼に応えるしかなかった。
「……わかった。行ってこい。ただし、ヤバくなったらすぐ言え。全力で引き戻す」
「うんっ。頼りにしてるよ、さぎりのアナログな命綱っ」
「AIは完璧な論理回路よ。矛盾を許さない」さぎりは、自らの後頭部の端子に、俺が繋いだ銅線を逆に握りしめた。「だったら、その論理回路に、さぎりの頭の中の膨大な『無駄知識』をぶち込んでやるの。矛盾と、無意味と、非合理の洪水を。処理しきれないノイズの津波を」
「パティ! もう一度ハンドルを! 今度はさぎりからAIへ送るっ! さぎりの記憶を逆流させて!」
「わかった! 存分にやれ!」
俺はハンドルを回した。さぎりの完全記憶が逆流していく。電子の海へ。彼女の青い瞳が爛々と輝く。
「聞きなさい、古代AI! 前文明の検索エンジンのシェア率、上位100社! 旧時代のカップ麺の待ち時間の地域別統計! 闇市の干し肉がカピバラである確率と判別法! 大好きだったアニメの、第387話の作画監督の名前! 初恋を思い出そうと3日悩んだ女子高生の日記! 賞味期限切れのキャンディを6個、後生大事に取っておく少年の心理! どうでもいいけど、確かに人が生きた証の——無駄で、愛おしい記憶の全部を、受け取りなさいっ!」
膨大な無意味の奔流が、AIの完璧な論理回路へと雪崩れ込んだ。整合性を求める知性に、整合しない洪水が。
『……なぜ……なぜ、こんな無意味な記録に……これほどの重みが……』
AIの声が、初めて戸惑いを見せた。効率でも合理でも測れない、何かに触れて。
回廊が激しく明滅する。地の底で、巨大な知性が初めて、混乱の悲鳴を上げた。ギチギチと、歯車が軋むような断末魔を。




