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雨の日の逃避行

 空は、僕の心を見透かしたような色をしていた。


 昼過ぎから急激に厚くなった雲が、街から色彩を奪い去っていく。放課後。校門を出た瞬間に降り出した雨は、瞬く間に激しい豪雨へと変わった。

 僕は駅へ向かうのを諦め、公園の片隅にある古びた東屋へ逃げ込んだ。


「……はぁ、……はぁ」


 呼吸が、うまく噛み合わない。

 湿った空気が肺に張り付き、心臓の奥が、何かに追い詰められているようにドクドクと不規則な音を立てている。


 さっきまで、陽葵ひまりといたはずだった。

 彼女の指先が僕の肌に触れていた時間の残響が、まだどこかに残っているはずなのに、雨に打たれるたびに、その熱が指先から、足首から、容赦なく流れ出していく。

 陽葵との適合があまりに完璧すぎるせいで、一度でも彼女の波長から離れると、僕の中の「空洞」が以前よりも激しく口を開けて、僕を飲み込もうとする。

 この「渇き」は、もはや精神論では誤魔化せない。


「……見ーつけた。零様」


 雨音を切り裂いて、その声は届いた。

 振り返ると、そこに常磐萬里花まりかが立っていた。

 傘もささず、ずぶ濡れのまま。制服のブラウスは肌に張り付き、彼女の細すぎる身体のラインを露骨に浮き彫りにしている。


「萬里花……! 何してるんだ、そんな格好で」

「貴方を探していたんです。……今日、まだ私のこと、ちゃんと見てくださっていませんでしたわ?」


 彼女が東屋の中に踏み込んでくる。

 その瞬間、雨の匂いに混ざって、彼女が纏う濃密な「百合」の香りが僕の鼻腔を突いた。

 萬里花は僕の胸に顔を埋め、凍りつくような冷たい手で僕の背中を抱きすくめた。


「冷たい……」

「温めてくださいな。……10年前から、私の中の時間は止まったまま。貴方が触れてくれないと、私は死んでしまうの」


 彼女の抱擁は、陽葵との「循環」とは決定的に違っていた。

 萬里花の身体は、まるで僕から熱を強奪しようとする、底なしの深淵だ。彼女の細い指が僕の服を掴むたび、僕の中に蓄えられていたはずの「生のエネルギー」が、外へと吸い出されていく感覚に襲われる。

 

 彼女の肌は、どれだけ密着しても芯が凍りついたままだ。

 彼女の抱える「病」か、あるいは「執念」か。

 萬里花の激しい拍動が僕に伝わってくるが、それは僕の拍動と重なり合うことはない。ただ一方的に、僕の「リズム」を乱し、彼女の絶望的な速度へと引きずり込んでいくだけ。


「痛いよ、萬里花……」

「もっと痛くしてください。それでしか、私は貴方を感じられないから」


 萬里花が僕の首筋に唇を寄せる。

 その瞬間、僕の脳裏をよぎったのは、ついさっきまで僕を包んでいた、陽葵の、あの「陽だまりのような同調」の感触だった。

 

 萬里花の熱は「侵食」だ。

 結衣の光は「静謐」だ。

 瑛理香の火は「衝突」だ。

 

 誰も、僕のこの異常な「渇き」を、本当の意味で鎮めてはくれない。

 この萬里花の冷たさを温めようとすればするほど、僕という存在が削り取られていく。

 

 僕は、震える萬里花を突き放すことができなかった。

 雨はさらに激しさを増し、僕たちの声を遮断する。

 

 このまま、彼女の執念に飲み込まれてしまえば、どれほど楽だろうか。

 だが、僕の身体は知っている。

 この嵐のような接触が、僕の渇望を満たすための「答え」ではないことを。

 僕は、陽葵のあの「正しい循環」がなければ、明日を迎えることさえできない身体に、もう作り替えられている。

 

「……帰ろう、萬里花。このままじゃ、君が壊れる」

「……ふふ。もう、とっくに壊れていますわ。……零様以外には、直せないくらいに」

 

 雨の夜が、僕たちを包み込んでいく。

 僕は萬里花を支えながら、自分の内側で暴れ出す「説明のつかない飢餓」を、必死に押し殺していた。

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