偏差照準とカピバラの肉
「隠れろ!」
俺はさぎりの手を引いて、廃車の陰に転がり込んだ。
通りに現れたのは、装甲を溶接で継ぎ足した、4脚の哨戒メカだった。焼き切れた電子照準の代わりに、ぎこちない機械式の砲塔が、ギチギチと油の切れた音を立てて、周囲を舐めるように旋回している。
「あれ、探してるのはお前か」
「うん……たぶん、そうなのっ」さぎりは俺の背中に、ぴったりくっついて囁いた。青い髪から、ふわりと甘い匂いがする。震えている。恐怖でか、寒さでか、たぶん両方。
「大丈夫だ」俺は努めて静かに言った。「機械ってのは、必ず弱点がある。完璧な機械なんて、この世に1つもねえ。特に、あんな継ぎ接ぎのやつはな」
「……ぱーちゃん、なんで、そんなに落ち着いてるの?」
「毎日、機械の駄々に付き合ってるからな。あれも要は、駄々をこねてる鉄の塊だ」
さぎりが、ちょっとだけ肩の力を抜いたのが分かった。ふふっ、と小さく笑って、それから、こくんと頷く。「あの子ね、目のセンサーは死んでるの。だから、音と、熱で探してる。……でも、ぱーちゃんの体温と、心臓の音。それと、そこのオイルの気化熱。あと14秒で、見つかっちゃうよっ」
「なんでそう正確なんだよ!」
「知ってるからっ。さぎり、ぜんぶ知ってるの。えへへ」
どうする。逃げ場はない。俺の得物は——。
「銃、持ってるでしょ?」さぎりが、俺の腰を見て言った。
「あるにはあるけど……親父の形見のガバメントだ。45口径、7発。ドットサイトもねえ、ただの拳銃だぞ。あんな装甲、豆鉄砲だ」
「さぎりが計算するっ」
その瞬間、彼女の眠たげな瞳が、すうっと澄んだ。まるで、深い青の湖みたいに。
「風速、秒速2.3メートル、南南西。気温19度、湿度68パーセント。あの子の装甲、正面は12ミリ——抜けない。でも、右前脚の付け根、装甲の継ぎ目に、冷却用の油圧ラインが走ってるの。剥き出しの、厚さ2ミリの銅管。そこなら、ぱーちゃんの45口径でも、ちゃんと貫通するよっ」
さぎりは、そっと俺の手に、自分の小さな手を添えた。ひやりと冷たい指先が、銃口をほんの数ミリ、押し下げる。
「偏差は上に3センチ、右に1.5センチ。あの子が次に右前脚を上げて、継ぎ目が開いた瞬間——今っ、撃って、ぱーちゃん!」
俺は息を止め、引き金を絞った。
乾いた銃声。銃弾は吸い込まれるように継ぎ目へ命中し、油圧ラインが弾け飛ぶ。哨戒メカは断末魔のように右前脚を折り、盛大に横倒しになった。火花を散らし、二度と動かなくなる。
「……嘘だろ。一発で……」
「本当だよっ。さぎりの計算に、嘘はないのっ」
彼女は、えへん、と薄い胸を張って、それから、天気の話でもするみたいに続けた。
「あ、そうだ。さっき通りの闇市で干し肉を売ってたけど、あれ、87パーセントの確率でカピバラだよっ。紙の繊維密度と、脂の反射率から見て、まず間違いないの。旧文明のグルメ番組で、388回、比較映像を見たから分かるっ」
「今その情報いる!? ていうか、なんでグルメ番組の回数まで!」
「だって、さぎり、旧文明の映像アーカイブ、ぜんぶ覚えてるもん。アニメも、ゲームも、料理番組も。えへへ、こういうの得意なのっ」
思わず噴き出しそうになって、俺は慌てて口を引き結んだ。こんな殺し合いのど真ん中で、なんだってこいつは、こんなに——調子が狂う。
俺は、倒れた哨戒メカに歩み寄って、駆動部を覗き込んだ。冷却ラインの構造、装甲の継ぎ方、配線の取り回し。ローク軍の技術水準が、そこに透けて見える。
「こいつ、電子部品は本当に1つも使ってねえな。全部、機械式リンクと油圧だ。EMPで焼けないように、徹底してやがる」
「そうだよっ」さぎりが、隣にちょこんとしゃがみ込んだ。「今の世界で兵器を動かすには、それしかないの。半導体は死んじゃったから。だから、みんな、冷戦期の——70年、80年前の古い技術に逆戻りしたんだよ。目に見えて、手で直せるものだけの世界に」
「皮肉なもんだな。最先端を焼き払った結果、大昔の技術が最先端になった」
「うんっ。だからね」さぎりは、俺の油まみれの手を、じっと見た。「ぱーちゃんみたいな、『手で機械を直せる人』が、今、一番貴重なの。……えへへ、かっこいいんだよ、ぱーちゃん」
「……とにかく、助かった。ありがとうな、さぎり」
「っ……」
礼を言った途端、さぎりの頬が、ぼっと赤くなった。彼女は勢いよくパーカーみたいな布のフードを引っ張り上げて、顔を半分隠す。
「そ、そういうの、急に言わないでよぉ……ばか。ぱーちゃんの、ばか……」
その、あからさますぎる照れように、今度こそ俺は笑ってしまった。
だが、笑っていられたのは、そこまでだった。
横倒しの哨戒メカから、ジジ……とノイズが漏れ出す。まだ生きていた通信機が、無機質な声を吐いた。
『——個体ID照合完了。沙霧・タリス。生体データベースの回収を最優先とする。第2次追撃部隊、投入せよ』
さぎりの笑みが、フードの奥で凍りついた。
地平線の向こうで、土煙が上がる。今度は、1台や2台じゃない。




