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転校生(ナギ)の襲来

 結局のところ、僕の人生は「調整」の連続だった。

 一条組という、コンクリートと鉄筋で出来た巨大な怪物の胃袋の中で、僕は常に適切な「一条零」という部品であることを求められてきた。瑛理香という高カロリーな劇薬を適量摂取し、結衣という清涼剤で精神の均衡を保つ。それは、どこか深夜放送のフェーダーを微調整する不毛な作業に似ていた。


 だが、その日。

 僕の人生という「生放送」は、唐突に、そして決定的なハウリングを起こした。


 教室の扉が開いた瞬間、流れ込んできたのは、季節外れの寒気にも似た、研ぎ澄まされた静寂。

「本日からこのクラスに編入することになりました、凪冴です」

 教壇に立つその人物を、僕は最初、精巧に作られたマネキンか何かだと思った。

 凪冴。鳳瑛理香の影であり、執行者。

 先日、洗面所で僕の頸動脈に指を這わせ、僕のバイタルを無機質に読み取ったあの「ナギ」が、あろうことか僕と同じ制服を纏い、転校生として僕の目の前に現れたのだ。


 教室内が、その中性的な美貌に色めき立つ。男子生徒は「王子様系女子か?」と色めき立ち、女子生徒はそのミステリアスな佇まいに溜息を漏らす。だが、僕だけは知っていた。その制服の下に隠された、一切の無駄を削ぎ落とした「戦うための肉体」を。そして、その瞳の奥に宿る、観測者特有の冷徹な光を。


 休み時間。凪――いや、冴は、周囲の喧騒を透明な壁で隔てるようにして、僕の席の前に立った。

「……一条様。お嬢様の身の回りに、あまりに『不純なノイズ』が混じりすぎていると判断しました」

 彼女の声は、デッドなスタジオの防音壁に吸い込まれるように、残響を残さず僕の鼓膜を叩く。

「ノイズ?」

「お嬢様のバイオリズムが、貴方と接触するたびに異常な振幅を見せている。それは単なる『偽装』の域を超え、お嬢様の精神構造を根底から揺さぶり始めている。私は、その原因を……貴方という『個体』を、より至近距離で解体、もとい、検分する必要があります」


 何を言っているんだ、この女は。

 だが、言い返す言葉を失った僕の背後に、さらなる混乱の火種が落ちた。


「あら、凪。あんた、私の許可なく勝手に動くなと言ったはずよ」


 鳳瑛理香。彼女が教室に現れた瞬間、凪冴の「静寂」と瑛理香の「熱」が衝突し、教室内はさながら過熱したボイラー室のような圧迫感に包まれた。

「お嬢様。これは護衛官としての正当な判断です。この男……一条零は、お嬢様を誑かす害虫、あるいはシステムを破壊するウイルスになりかねない」

「……不愉快だわ。私の所有物を、あんたの物差しで測らないで」


 瑛理香の放つ「闘争心に近い熱」が、僕の神経を逆なでする。

 坂石遊作なら、ここで「二人の女性に奪い合われる自分」というシチュエーションに酔いしれることもできただろう。だが、今の僕が感じているのは、ただひたすらに生理的な「重圧」だけだった。瑛理香と冴。火と氷。その両極端な周波数に挟まれ、僕の不感症だったはずの心臓は、不器用なドラムのように不協和音を刻み始める。


 放課後。

 冴は僕を体育館の裏へと呼び出した。

「一条様。貴方の『本当の周波数』を、ここで暴かせていただきます」

 彼女はスカートを翻し、一瞬で間合いを詰めてきた。突き出された掌を、僕は反射的に受け止める。

 その瞬間、触れた掌から伝わってきた感触に、僕は言葉を失った。


 しなやかだ。

 瑛理香のような「衝突」でも、結衣のような「静謐」でもない。

 冴の身体は、ただひたすらに「最適化」されていた。

 骨格、筋肉、皮膚の質感。そのすべてが、一分の狂いもなく「機能を果たすこと」だけに特化している。揉み合ううちに、彼女の肘が僕の胸を打ち、僕の指が彼女の細い手首を掴む。

 その摩擦、その抵抗。

 冴の肉体は、驚くほど滑らかで、それでいて冷徹な「機能美」に満ちていた。

 それはまるで、一切の装飾を剥ぎ取った後に残る、剥き出しの「理性の化身」だ。


「……一条様。貴方の拍動、また乱れています。私と接触することで、何を感じているのですか?」


 冴の顔が、僕の視界を占拠するほどに近づく。

 彼女の青い瞳は、僕の内側にある「飢え」を、冷徹に解析し続けていた。

 僕は、彼女の隙のない動きに圧倒されながら、同時に奇妙な安堵を覚えていた。

 それは、恋などという甘いものではない。

 自分の不規則な拍動が、彼女の「機械的なリズム」に強制的に調律されていくような、暴力的なまでの矯正。

 僕は自覚する。瑛理香の熱に焼かれ、結衣の優しさに飢える僕にとって、この「凪」という名の冷たい真空もまた、一つの逃避行になり得るのだと。


 だが、その揉み合いを、最悪のタイミングで目撃する視線があった。


「……何してるの、あんたたち」


 校門の方から現れたのは、瀬那陽葵だった。

 結衣を少しだけシュリンクさせ、その分、生命の純度を三倍ほど濃縮したような少女。

 彼女が僕を一瞥した瞬間、冴との間で築かれつつあった「冷たい秩序」が、一瞬で瓦解した。


 心臓が、跳ねた。

 いや、そんな可愛らしい表現じゃ足りない。僕の肋骨の内側で、一匹の飢えた野獣が、自分の檻を見つけた瞬間に狂喜乱舞し、内側から激しく壁を叩き始めたような感覚。

 陽葵は、僕と冴の絡み合った手元を睨みつけ、鼻を鳴らした。


「姉さんを騙せても、私は騙せないよ。……あんた、自分でも抑えきれない『獣の匂い』が充満してる」


 彼女の言葉が、僕の喉元を鋭利なナイフでなぞった。

 冴の「機能的な美しさ」に安らぎを覚えかけた僕の自意識を、陽葵の放つ「圧倒的な生の不純さ」が引きずり戻す。

 

 瑛理香。結衣。冴。そして、陽葵。

 僕という「ゼロ」の器に、異なる周波数の熱が次々と流し込まれていく。

 嵐が来る。それも、すべてをなぎ倒し、更地にしてしまうような、理不尽なまでの嵐だ。

 僕は、自分の胸を押さえた。

 そこには、複数のヒロインという名の「毒」によって、かつてないほど激しく、そして醜く脈打つ、救いようのない僕の本能がのたうち回っていた。

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