第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その千百四十七
―――ノヴァークは双子に体を支えられつつ、教わった呼吸を頼った。
小刻みに息を吸い、また同様に吐いていく。
ゼファーの羽ばたきが行われ、腹の奥底で急激な重心の移動が起きた。
内臓がその場に取り残されるような、不安を感じる感覚だ……。
―――ゼファーの加速は、あらゆる攻撃のタイミングを乗り越える。
敵が想定した以上の速さであれば、このようなことも起きるものさ。
空振りして空に残った軌跡にだけ、触手の槍が襲い掛かる。
ゼファーは快感にニヤリと笑いながら、古木と融合した敵を見下ろした……。
『いまから、ぶっこわしてやるぞ!!』
―――同時に、『巨狼』も作戦を実行している。
ただひたすらに脚力に物を言わせた超加速、古木をまとった触手に肉薄した。
絶好の機会であるが、戦いに罠はつきものだ。
とくにこの祭祀呪術の融合体は、呪いの夢に引きずり込んでくる……。
『も、もう呑み込まれたりはしない!!』
―――樹皮の鎧の奥底から、にじむように黒い何かが広がった。
重さが伴う霧があったとすれば、おそらくこれに似ているだろうね。
レッドウッドの森の香りに似た、ここにないはずのニオイをそれはまとっていた。
触れるべきではないのは明らかで、ジャンはもちろん対処を行う……。
―――嗅覚呪術がくれたのは、霧にも似たそれの『実体』へのヒントさ。
うごめく不透明の不定形であるものの、ニオイの濃さには明瞭な差がある。
悪夢がその濃い部分にいるような気がしたし、それは当たらずも遠からずだったのか。
ジャンは薄い部分を狙って、頭突きを喰らわすように霧を突破する……。
―――記憶を刺激され、日記を読み返したときのように過去があふれた。
フラッシュバックする心の傷の群れに、ジャンは後ろ髪を引かれつつも。
もう呑まれることはなかったよ、危機が研ぎ澄ませた覚悟があった。
止まらず駆け抜ける、記憶の誘いを切り裂いて……。
―――アリアンロッドには、告げてある。
すべてを成し遂げたら、あの森に戻るかもしれないと。
遠い『未来』で、ジャンの魂をあの恐ろしくもやさしい『母』は。
たくさんの腕で抱きしめて、ようやく慈悲深い安らぎをジャンに与えるかも……。
―――今は、この瞬間に集中するのみ。
黒い霧の向こうには、横薙ぎ払いが待ち受けていた。
目くらましに使うなんて、知性を感じるよね。
武術の一種としか思えない、ソルジェたちならスマートに対処したはず……。
―――だが、ジャンの場合は異なるのさ。
武術の才は持っていないから、ある武器を使うのみだよ。
『狼男』として、おそらく代々受け継がれて来た力だ。
不幸を招き、ジャンを英雄の道へと押し上げる祖先からの呪いであり祝福……。
―――頭突きにつなげて、『巨狼』の大きな口を開いた。
銀よりも白く、死と破壊への連想を強いる獣の牙の列だ。
まるでノコギリみたいにギザギザで、原始的な力強さにあふれている。
この呪われた木も、見入られたのだろうね……。
―――獣の牙には、それほど圧倒的で純粋な暴力が宿っているものだから。
死と破壊へ引きずり込む、危険で傲慢で必死な何かがそこにはあって。
逃げようのない寒気が、全身を凍てつかせただろう。
いくら暑い日であっても、この冷酷からは逃れられない……。
―――風車小屋だって貫いたかもしれない、強烈で巨大な横薙ぎ払い。
それをはるかに上回る威力で、触手は『巨狼』に噛み潰された。
受け止められただけでなく、その次の瞬間というかほぼ同時にね。
圧壊させられながら、ねじ切られて引きちぎられていく……。
―――狂暴な破壊が、牙には宿るものさ。
口を使ったそれは、非常に高度な多面性を有した攻撃になる。
ジャンの嗅覚呪術には、逃げるように薄まっていく記憶があった。
レッドウッドの森の香りに、終わりが訪れる……。
『根っこから、引き抜いてやるぞ!!ボクが、この戦いを終わらせる!!』




