第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その千五十九
―――止血の秘薬は効いているから、すぐに死ぬ危険はない。
だが、ジャンは動けなかったよ。
シドニア・ジャンパーを拘束するべきだったけど、人命救助を優先している。
それは悪いことじゃない、とても合理的なことではあった……。
―――シドニア・ジャンパーは、追い詰められているからだ。
彼女にはもはや余裕はない、孤立無援の状態だからこそ。
手負いの獣のように、何も考慮などせずに極端な解決策に走るだけ。
シドニア・ジャンパーには、逃げるべき場所さえもはやない……。
―――降参すべき状況だろう、帝国軍には競馬詐欺のことがバレている。
ライザ・ソナーズ一味も壊滅状態だ、彼らが生きていればもっと狡猾に動けた。
追い詰められた彼女に、実力行使は最後の最後まで必要じゃない。
ソルジェたちもじきにたどり着くのなら、ノヴァークを捨てることはない……。
「し、死なないから。安心してくださいね、ノヴァーク」
「わ、わかっている。だから、死って言葉を、口走らないでくれ……」
「わ、わかりました。ごめんね。ふ、不安だよね。でも。必ず、死なせないから」
「『過去』がさせるのだな。ジャン・レッドウッド。どれだけひどい目に遭ったんだ?」
「ぼ、ボクのことなんてどうでもいいでしょう!?」
「いいや。興味があるのさ。お前を攻略すれば、私に勝ち筋が戻ってくるような気がしているからな」
「そ、そんなことは起きません」
「だったら、安心して話してくれたまえ。私は最前線で戦うタイプじゃないんだ。だから、会話をしながら何かを企むのは……不得意かもしれないだろう」
―――ジャンは、混乱していたから。
判断ミスをしてしまう、シドニア・ジャンパーの言葉に説得力を覚えた。
それは稀代の詐欺師としての才能というか、技巧だったよ。
ジャンはそのせいで、またトラウマを自らこじ開けなくちゃならない……。
「こ、孤児院で……っ」
「なるほど。善意と搾取、悲劇が根幹にある施設だな。君は、そこに捨てられていたんだな
「す、捨てられたわけじゃ…………い、いえ。そ、そうです。たぶん、捨てられたんです」
「少尉、悪趣味な真似はやめろよ。アンタは、そんなことしなくても……」
「『呪われた血』が忌み嫌われるのは、その存在を隠して一般社会に溶け込むからだ。多くの場合、その血の覚醒は、特大の悲劇を伴うことになる」
「少尉、やめろ……彼をいじめても、アンタには得なんてないだろう!?」
「ないだと?バカを言えよ。今まででいちばん、私に勝ち目のある状況だ。最強の敵である猟兵が、うろたえているのだからな!!」
「ぼ、ボクは、うろたえてなんて……」
「罪と向き合う勇気がないんだろう。それは、誰しもそうだ。とくに、お前の場合はな。ジャン・レッドウッド。素朴な名前ではあるが、その悲劇は特大だったらしい。『ゼルアガ』と、『狼男』の出会い。いいや、もっとおぞましい邂逅が、君の運命を決定づけたんだろう」
「あ、ああ、ああああ……っ」
「ジャン・レッドウッド。こら、ジャン。落ち着け。少尉のペースに乗せられるな。最強の詐欺師なんだぞ!?心だって、いくらでも操られてしまう」
「それを分かっていたとしても、私の技巧は止まらないよ。知っているだろう、ノヴァーク。お前の師匠である私はな、ターゲットの心につけ込むのが最高に上手なんだ」
「……ジャン・レッドウッド。逃げた方がいいかも」
「逃げられはしないさ。『自分の価値』を守りたくて必死なそいつは、この痛みを伴う作戦からは逃げられない。居場所が大切だからだ……ああ、孤児院育ちのお前からすれば、『パンジャール猟兵団』は、まさに『家』というわけだ。それは、絶対に逃げられないな。お前からすれば、取り返しがつかないほど壊してしまった対象だからな」




