第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その千五十八
―――愛があるから、幸せなんていらない。
そんな深さの狂った愛もあるけれど、それはノヴァーク少年が求めてはいない形だ。
もっと、ほのぼのとしたものだった。
ありふれた日常的な愛情が、まさかシドニア・ジャンパーにあるなんて……。
「こっちは、世界の理のようなものに挑んでいるんだよ、ノヴァーク!!そんな私に、まともな愛情を求めてくれるな!!私はな、お前のお母さんじゃないんだよ!!」
「は、母親を少尉に、求めちゃいないっ」
「動かないでっ。き、傷が開いてしまうから!?」
「開けばいいさ。ざっくりと開いて、命を捧げればいい」
「あ、あなたはおかしいです!!」
「当然だよ、猟兵。呪術師だ。会計将校でもある。しかも、今は、もっと恐ろしい存在でもあるぞ。聞き給え。聞こえるはずだぞ!!これは、幻聴なんかではないからな!!」
「こ、この音は……っ」
「私の可愛らしい祭祀呪術が、発動したのさ。誰かが死んだのかもしれないな。生贄が、足りたんだ」
「だ、団長たちの血のニオイは、しちゃいませんから!!」
「ならば、あいつらだろうか。猟兵を相手にしては、あいつら傭兵コルテスの猛者たちも生き残れるとは限るまい」
「か、彼らの血のニオイはするけれど。し、死んだとは限りません!!」
「あいつらを心配するのか?敵だろうに」
「そ、そうですけれど。あ、あなたの生贄になんて、なりはしませんっ。傭兵はしぶといものですからっ」
「どうして、そんなに否定したがるのか。ああ、あれだな。そうか。つまり、君の心は」
「な、何だっていうんですか!?」
「かつて、生贄にされたことがあるな」
―――ああ、賢い者と戦うべきじゃないよね。
ジャンの心の傷を、その良くも悪くも賢明な嗅覚で嗅ぎ分けてしまっていた。
詐欺師である彼女の言葉は正しい、信用の逆説的な利用者のくせに。
アリアンロッド、ジャンが『お母さん』と呼んでしまう悪神だ……。
―――シドニア・ジャンパーは、その『ゼルアガ』の存在を知らないけれど。
目の前にいる我らが若き猟兵が、生贄の責め苦を知っている者と看破していた。
反応や態度といったものから、探り当てていく。
会計将校らしいという技巧なのか、それとも詐欺師のそれなのか……。
「多くの嘘つきを、私は相手にしてきたからな」
「だ、黙ってください。黙れ……」
「どれだけの多くの嘘を見破ったのか。隠し通そうとした情報だって、必ず見つけ出す。拷問さえも必要がない。お前の目を見れば分かるのだよ、狼よ」
「う、うるさい。黙って。今は、の、ノヴァークの止血をしなくちゃならない……っ」
「作戦目標は、そいつじゃないだろう」
「そ、それは……」
「私を逃がしてもいいのかな。ジャン、魔王ソルジェ・ストラウスの忠実な番犬」
「ぼ、ボクは番犬じゃない。お、狼であり……魔王の、騎士なんだ」
「なるほど、魔王の騎士か。それは素晴らしい。何かしらの邪悪な存在への生贄に差し出された男には、相応しい立場じゃないか!!」
「だ、黙って!!ぼ、ボクを、怒らせないでください」
「怒るようなことか?お前は、生贄にされた。だが、生き残った。何かを裏切ったんだな。生贄にされて生き残れる者は、この世にほんのわずかしかいない。お前は、何かを裏切らなければ、生き延びられなかったはずだ」
「そ、それを、あなたに知らせるつもりはありません」
「人外の存在を推し量るのは、それほど難しいことじゃない。神だ。神が、生贄を求めてきたのだろう。どこの神だ?今日日、生贄を求めるとなれば……田舎の神。あるいは、そもそも……普通の神ではない」
「の、ノヴァークの治療に、集中させてください。あなたも手伝って」
「私をノヴァークに近づけたいのか?そうじゃないだろう。私だってな、そいつを確実に始末する方法はいくつか持っているのだ」
「だ、だったら、せめて黙って。邪魔は、しないでください」
「無視できないほどの痛みなのだな。それは当然だ。『被害はきっと、お前だけじゃなかったのだからな』」
「だから、だ、黙って……っ」
「『仕方がないさ。『ゼルアガ』が相手だったのだろう。お前は、きっと幼かったんだろうしな』」
「ど、どうして……」
「おい……ジャン・レッドウッド。の、乗せられるな。少尉の話術にハマれば、どんな秘密だって、暴かれてしまうぞ」
「は、はいっ」
「真実は痛いかな、狼。ジャン・レッドウッド。より多くを、私は知っている。口調からして、北方出身者であるとか、幼少期に学問を習わなかった者に特有な、知的な劣等感だとか。お前は、単純な計算も、まして文字さえ、最近まで読めなかったのだろう」
「…………ど、どうして、そこまで」
「怯えるな。少尉は、賢いんだ。分析しているだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。アンタ自身から、情報を盗み出しているだけ」
「サクッと刺してやったのに、元気だな。お前が死ねば、祭祀呪術は本格的に動き始めるというのに」
「だから、死なないんだ」
「私を愛してくれていると思っていたよ。男はやはり、期待など出来ない動物だ。とくに愛情が絡むと、からっきし役立たずだ」




