第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その千五十七
―――ノヴァークは油断していたわけではなく、虚を突かれただけだ。
シドニア・ジャンパーが取りうる選択のなかに、それを想定してはいる。
祭祀呪術の生贄として、彼が消費されるリスク。
ノヴァークは考えていないわけじゃなく、策略に踊らされただけ……。
―――実際のところ、シドニア・ジャンパーは速かったんだ。
ノヴァークに接近して、抱きしめるのも。
少年の首筋に対して、思い切り噛みつくのも。
その噛まれた場所に呪術が刻まれて、皮膚ごと血管が切れるのも……。
「が、は―――」
『の、ノヴァーク!?』
「私のために、死んでくれよ、ノヴァーク」
「しょ、少尉……っ」
―――頸動脈を傷つけられたのだから、大量の出血は即座に始まっている。
爆発するように血が噴き出して、ノヴァークは後ずさりしながら首を押さえた。
シドニア・ジャンパーを見つめるその表情に、怒りはない。
そこにあったのは迷子の仔犬みたいな、悲しさと寂しさだけ……。
『な、何てことをするんです!?』
「私の部下だ。私のために、死ぬ覚悟は出来ていたはずだぞ」
『か、彼は貴方を傷つけようとしていなかった。そ、それなのに』
「ああ。分かっているとも。私はな、やはり、とても悪い女なのだよ。帝国軍は処刑しておくべきだったろう」
「しょ、少尉……っ」
―――その場に倒れ込むノヴァークに向けて、ジャンは動いた。
『狼』のすがたから、ヒトのすがたへと戻りながら。
傷口を押さえたまま、シドニア・ジャンパーを見つめる少年に。
『止血の秘薬』を、大量に塗り込んでいく……。
「だ、大丈夫だよ、ノヴァークっ。し、死なせないからね」
「う、うう……」
「人道的なことだな。猟兵というものは、もっと残酷だと思っていたよ。まあ、私に背を向けられるのも、強者ゆえの傲慢な態度とも言えはするか」
「じゃ、邪魔はしないでください。あ、貴方だって、ノヴァークを死なせたくないでしょう!?」
「バカを言うなよ。死んだって構わないと判断したからこその、生贄だ」
「ち、違います。貴方は、き、きっと、無理をしているんだ……っ」
「無理でも無謀でも、構わないんだよ。とっくの昔に、私は限界を超える覚悟などしているのだ。敬愛する姫さまが、亡くなられたのだぞ?復活させるなどという、奇跡。それを行うためには、どんなものだって犠牲にする覚悟は必要になる」
「そ、そんな覚悟は、さ、さみし過ぎるでしょう!?」
「そうだ。さみしくて、とても痛ましいよ。ノヴァーク、意識はまだあるか?だとすれば、お前自身にも死ぬための努力をして欲しい」
「しょ、少尉……っ」
「き、聞いちゃダメだ!!し、死のうとするなんて、ぜ、絶対にダメなんだから」
「そんなはずはない。ヒトには、ただ自分の命よりも、大切なことが見つかる日が用意されているだけだ。忠誠にしろ、それを、愛と呼ぼうとも、自由だ。ノヴァーク、ノヴァーク。お前を許して、愛してやるためにも。生贄になって、私を助けてくれよ」
―――死へといざなう言葉は、とてつもなく傲慢なものだけれど。
どこか愛情的な見返りを、定義してもいたのさ。
ノヴァークは考えてしまう、今日の午前までの関係性に戻れるのならば。
愛しくて必死なシドニア・ジャンパーのために、死んでやるのも悪くはないと……。
―――それが愛だと定義するには、ちょっと怖さがあるわけだけれど。
それでも、シドニア・ジャンパーとの距離が近づくのは確かだった。
シドニア・ジャンパーとの関係性は、ノヴァークにとって居心地が良かった。
愛している人物と認められる、ただ唯一の相手なのは確実だった……。
「私を愛してくれているなら、私のために死んでくれよ。それが、何よりの愛情の証明と言うものになるんだ。ノヴァーク。もう、お前は子供じゃないんだぞ。愛しい女のために、どこまでだって、やっていい立場と言える。証明してくれ、私との日々が、お前にとってどれだけ大切だったのか。どれだけの代償を支払ってでも、戻りたい関係性なのか」
―――死へといざなわれる言葉は、愛情が良く似合うのも事実だ。
愛のために死ぬ者たちは、いつだって詩的な美しさを帯びているからね。
詩人としては、その種の悲恋も大好物だよ。
愛を表現するための壮絶さは、やっぱりキラキラかつギラギラと輝くものさ……。
「しょ、少尉……少尉……っ。少尉のためなら、オレは……っ」
「そうだ。死んでみせてくれよ、私の可愛いノヴァークよ」
「や、やめてください!!や、やめろ!!し、死なせようとしないでください!!それは、ど、どう考えても間違っています!!」
「間違いだって選べるのさ。それこそが、本当に自由な状態と言える。さあ、愛を示してくれよ、ノヴァーク」




