第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その八十四
不可解なことが起きているようだが、試すべきことがある。
「行ってみればいい」
『おっけー!!』
ゼファーは羽ばたいてくれる。空の高みのさらに高く、高く……しかし、気づいた。
「風が、ほとんどない」
「そうだね。さっきまで、吹いていた海からの風が、ない」
「わずかな風しか、吹いていないな。どうにも弱々しい。この高度で、これほど弱い風しか吹かないなどということは、ありえないはずなのだが……まあ、薔薇が空に咲いている時点で、とっくの昔に普通という状況は逸脱してしまっているか」
問題は、いくつかある。竜の飛び方というものは、風を利用する部分も多い。
つまり、飛びにくいというわけだよ。
『……あがり、にくい……っ。それに、おかしいよ。これだけ、とんでいるのに。あのまち、ぜんぜん、ちかくに、こないんだ……っ!』
「ああ。オレの魔眼にも、そう映っている。まったくもって、近づかん」
「空間がおかしいようですわね。『不滅の薔薇の世界』という場所では、常識なんて通用しないのかもしれません」
「常識の通用しない世界か。だが、確実に失われるものもある。オレたちの体力と魔力だ。ゼファー、そろそろ止めておくぞ。いくら飛んでも到着しないのであれば、体力をムダに奪われてしまうだけだ」
『う、うん。ちょっと、くやしいけれど。むだにつかれるのは、だめなことだもんね』
「まだ、戦場だ。倒さなければならない敵もいる」
『ギルガレア』、『侵略神/ゼルアガ』であるこの強敵を、倒さねばならん。そうすれば、この狂ってしまった空間も終わるのだろう?エールマン・リヒトホーフェンよ。
『ふー……っ』
ゼファーは上昇を停止して、旋回を始める。ゆっくりとした動きで休息しながら、かがやく薔薇の群れに覆われた『オルテガ』の街並みの上空を飛んでくれた。
体力を回復するために呼吸を整えるゼファー、その鼻息を聴きながら思考する。
「上はダメだと来た」
「ですわね。ならば、上以外で確かめてみるというのはいかがでしょうか?」
「そう、だな。海も見えない。海が見えないのならば、あるべき場所まで飛んでみるか。高さを利用して、そのまま滑空で向かってくれ、ゼファー。そうすれば、疲れずに済む」
『らじゃー!』
ゼファーは迷わずに北上してくれる。そう、オレの感覚も『北』を理解しているよ。
「方角の感覚は奪われていないようだ」
「そうだね。私も、こっちが『北』だと思える」
『ぼくも。ここは、なんだかせまいかんじがするけれど、そこは、かわっていないかも』
「狭い感じか。いつから、オレたちは術中にハマっていたのだろうな」
「この薔薇かもしれませんわね。とても、象徴的で、大きな範囲の呪術です。それに……ちょうど、この空間の中心にあるように見えますので」
「中心……そうだな、地上から見ても、空の……もう一つの『オルテガ』から見ても、中心にあるのは、この薔薇どもか」
赤くかがやく薔薇を見下ろす。これに見惚れている瞬間に、祭祀呪術に呑み込まれたとすれば、何とも間の抜けたハナシだった。美しい薔薇には棘がある。有名な教訓が、北方野蛮人のバカなアタマにも浮かぶ。
目くらましにしては、あまりにも壮大だが、祭祀呪術の象徴的な化身というレイチェルの予想は正しいだろう。今までも、ツタは見ていたが、こんな空に咲き狂う光る薔薇など、見たことはない……。
「……この理不尽な力は、『火烏の軍勢』にも似ている」
「『蟲の教団』側の『ギルガレア』の、軍勢なのでしょうか」
「そのうち、何かしらの攻撃が始まるのかもしれない。だが、今は……」
『うみは、みえないよ。それに……なにか、くろいもやもやがある……っ!?すいこまれる……っ!?』
吸い込まれる。
というゼファーの感覚に、オレの感覚も一致していた。世界が伸びていた。オレたちがいる空間そのものが、無理やりに引き伸ばされるような感覚。引き伸ばされながら、動かされてもいた。
ゼファーごと、オレたちの周囲の空間が、どこかに吸い込まれて―――ねじれた、気がする。
違和感を伴う時間が終わり、落下が始まった。
「ゼファー!!羽ばたけ!!」
『う、うんっ!!』
漆黒の翼が必死になって空を打ち、落下を止めてくれた。
「ふー。落ちるかと思っちゃった」
『ごめんねー。なんだか、うねうねってしたから、おどろいたの』
「あれは、何だったのか……」
「リングマスター、街が、『前方』にありますわ」
「……っ!?」
レイチェルの言う通りだった。目の前に見えるのは、薔薇どもと、それに上空を占拠された『オルテガ』の街並みだ。
「本当だね」
『おかしい。ぼく、あっちから、きたはずなのに?』
「なるほど。そういう法則に閉じ込められているようです」
「……ああ、つまり、空は高くは飛べずに、水平に動いたところで、限界がある。ある程度、進むと……無理やり引き戻されてしまうようだ」
訳が分からん。
だが、これが『不滅の薔薇の世界』という空間の特徴らしい。これは、つまり一種の檻だった。これを打ち破るか、どうにかして、脱出の方法を見つけない限り、この空間に幽閉されることになるのかもしれん。




