第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その七十六
思わず立ち止まってしまっていた。リヒトホーフェン……エールマン・リヒトホーフェンが書いていたのだと、考えていたからな。
「エスリン・リヒトホーフェンは、『寄生虫』の研究者でもあったということですね」
「そうらしい。リヒトホーフェンが、医学に投資をし始めた理由、か。彼女も、医学の徒であったということか……」
「か、賢い女性だったんですね。誰かを……た、助けたいと願えた女性で。でも、亡くなったしまったんですよね……?」
「その通りだ。それが、死んでしまった娘が、リヒトホーフェンが『究極の聖餐』を行おうとした理由……」
「それで、そこから先は、どうなっちゃったの……?赤ちゃんは……産んで、あげられなかったのかな……」
「……読んでいこう。全ての発端でもある彼女を知れば、父親であるリヒトホーフェンが作り上げた現状も、より把握できるかもしれない」
ただの直感に過ぎないが、猟兵の直感は外れないものだ。とくに、戦場では。
『…………祭祀呪術については、解明することが出来た。地下で干からびている大神官ゾーンたちも、呪術を整備すれば、再び機能を取り戻すだろう。『レフォード』大学のクロウ・ガート教授にご指導いただけたことも、幸いだった』
「クロウ・ガートのおじいちゃんも、絡んでいたんだね」
「古い時代の呪術も、祭祀呪術にも詳しい専門家だったからな」
「父親のコネクションもあった。彼女は、とても熱心に研究していたのですね。自分の赤ちゃんだけは、助けたかった。分かります。母親とは、そんなものです」
「……ママは、強いもんね!」
『祭祀呪術の解明そのものは、大きな研究成果だ。これは、『聖餐』を止めるためにも使える。残しておく価値はある。偉大な呪術師であれば、この複雑な呪術を分解して無効化することもやれるはず……クロウ・ガート教授に、依頼しておこう』
「……すまんな、エスリン・リヒトホーフェン。クロウ・ガートは、オレたちが始末してしまった」
「でも、クロウ・ガートおじいちゃんは、『聖餐』を止めなかったと思うよ。祭祀呪術、大好きだもん。『古王朝のカルト』のそれじゃなくても、きっと、見たがったと思う。だから、殺しておいて正解」
「ですわね。研究者は、そういうものです。自らの倫理よりも、好奇心が過ぎてしまう。エスリン・リヒトホーフェンも、死が近づくことで判断力が低下したのか……あるいは、体内に自ら植え付けた『寄生虫』の支配下にあったのかもしれませんわね」
「だ、だんだん、『寄生虫』に自分の心までも、う、奪われつつあったのでしょうか。まるで、む、『蟲の教団』の怨念に、憑りつかれるみたいに……っ」
『……やり残したことは、多い。でも、私なりにやれることは、全て成し遂げた。私は、父上から望まれたような女でいられたという自覚はある。遠征で命を落とした兄たちの名誉にも、負けることはないはずだ。リヒトホーフェンとしての義務は、きっと、果たせた』
『武勲ではないけれど、学術の面で。私は、人類に貢献することが出来た。命を救うために、努力をした』
『ごめんね。ごめんね。ゼベダイ、泣かないで。勇敢な貴方には、そんな顔は似合わない』
『私が、弱いせいだ』
『……産んであげられそうにない。悲しいことだけれど。どうにもならない運命だった。それでも、私は……ママは、必死に、最後のときまでがんばったよ』
『ごめんね。こめん……』
『たくさんの人たちを、もっと、笑顔にすることが……やれたはずなのに……』
『……あなたを、この世に…………』
『……筆跡が、みだれてしまう。すぺるも、書けなく……なるときがある』
『もうすぐ、お、わってしまう……』
『…………こわいから、心音を……かくにん……して、いない……死んでいるのに、き、『寄生虫』に、う、動かされているだけかもしれないから……』
『わたしは……じぶん……なのかしら……』
『……ままに……なれなかった、わたし、を……けいべつ、して……る。自分で、じぶんこそを、ゆるせない……』
『ああ……なかないで……なかないで、わたしの……あいるすひと』
『いつだって、貴方には、勇敢でいてほしい……あなたは、もうすぐ……うしなうから』
『わたしと……わたしのおなかの……あなた、の、こども…………』
『おねがいだから』
『……もう、なかないでほしい』
『父を、ささえて……もう家族は、あなた、だけ…………』
『……ほしを、またみたい』
『いつか……また…………』
『…………運命が、許すのならば…………』
『……こわくは、ない……かなしいけれど…………ゆうかんに、死のう』
『すべてのいのちの、やくめだもの』
『死からは、やっぱり、逃れられない』
『……ゼベダイ。あなたの、決意した顔は、怖い』
『やさしい貴方は……どんなことでも、やさしさの力で、してしまうかもしれないから』
『運命を、恨まないで』
『世界を、恨まないで』
『この運命があった、この世界のおかげで。貴方と私は、出会えたのだから』
『北方の蛮族たちのように……私は、きっと、星と一つになる』
『見守るから』
『幸せに生きて欲しい』
『……ゼベダイ。絶対に、『不滅の薔薇の世界』なんて、求めたりしないで。貴方が言えば、父もそれをすることはない。貴方が望んでくれるなら、きっと、世界はこのままでいられる。お願い。そんな顔をしないで……』
『今は、ただ……私とこの子のために、泣いて…………』
……深淵より続いた道は終わりに差し掛かる。夏の夜風の新鮮さが、地下空間に清浄さを運んでくれた。重苦しい空気を、それらは少しだけ和らげてくれる。
星の輝く夜空へと、我々が戻りかけたとき。
地面が動いた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
「じ、地震っ!?」
「いや。違う。もっと、ろくでもない気配がするぞ。地面そのものが、うごめいている」
「これは、もしや―――」
『―――『どーじぇ』!!みんなー!!てきが、きてる!!なんせいから、てき!!』
「……ゼベダイ・ジスか!!」




