第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その七十四
―――『蟲の教団』の『聖典』を、ソルジェの双眸が探っていく。
暗い深淵からゆっくりと脱出しながら、魔眼の暗視の力で細かな文章を読み耽る。
『究極の聖餐』についての記述は、長く複雑にして怪奇な序文があった。
『蟲の教団』は大半の教義を、『究極の聖餐』のために費やしていた……。
「『ゼルアガ』である、『ギルガレア』の力に、自らの思いのままに世界を変えさせるとなれば、おぞましい数の犠牲と……途方もない時間がかかったわけだ。これは、たしかに、信仰ではあるのだろう」
「何世代にもかけて、受け継がなければならない祭祀呪術。宗教団体でなければ、これほどの非生産的な行いには、耐えられなかったかもしれませんね」
「怖いね」
「で、ですね。で、でも。それだけ、多くのヒトが、期待して、ゆ、夢を見ることがやれたというわけですよね……?」
―――邪教の一種として、多くの者が『蟲の教団』を認めることは間違いない。
それでも、言えることは一つあるのだ。
彼らは心からの真剣さで、望みのままに世界を変えようと試みていた。
それらは間違いなく一種の『善意』であった、見境のないほどの必死さでもある……。
―――『究極の聖餐』が目指したものを、理解するには狂気が要る。
ソルジェには理解できないが、かつての翻訳者ならば理解が及んだらしい。
『不滅の薔薇の世界』とは、つまりは死者と生者の境目のない世界。
死者と生者が融合した、巨大な薔薇の蟲を生み出すことだという……。
「薔薇の、バケモノになって……その中で、死者も生者も一緒くたとなって暮らして行こうというらしい。意味は、分からんが、『蟲の教団』は、それをしたかったようだな」
「死者も生者も、『寄生虫』に置き換わった自分ではないニセモノだというのなら、空しいことです。それでも、彼らは、良いとしたのでしょうね」
「そのようだな。全員で、蟲の生贄になり。蟲で一つに融合して……世界を……渡る、そうだぜ……」
「世界を渡る。『ゼルアガ』の来る場所とは……我々の世界とは、異なる世界ですわ。つまり、『蟲の教団』は、『ゼルアガ』と契約することで、自分たちが望む異世界に、移住したかったのでしょう」
―――レイチェルの感覚は、当たる。
『人魚』の勘はとても鋭くて、復讐者たちの気持ちも良く理解しているからね。
自らの所業に由来するとはいえ、迫害を受けた『蟲の教団』たちは追い詰められた。
彼らは復讐ではなく、この世界からの逃亡を選んだらしい……。
―――この世界と彼らの教義は、あまりにも合わなかったから。
『ギルガレア』の『片割れ』からも、『蟲の教団』は攻撃されるほどだからね。
彼らの願いは、自分たちの融け合った薔薇が枯れることのない特殊な環境。
それがある異なる世界へと、自分たちを渡らせたいと願った……。
「神々が用意した楽園へと向かう宗教は多くありますが、自分たちで楽園を生み出そうという宗教は、なかなかに珍しい気がいたしますわね」
「自らの世界を愛せぬからこそ、世界に復讐されることもある。憎しみや怒りは、己にも返って来るものだ。『蟲の教団』たちは、どうにも潔癖過ぎるというか、過剰だというか……他者の叫びや苦しみや、疑問に答えるような存在ではなかったように見える」
「純度が高い。狂気もそれだけ、深まっていくものですね。周りが見えなくなるのは、良くも悪くも、信仰らしいところです」
「他者を生贄にせずに、巻き込むこともなかれば、好きにしていてくれて構わんのだが。宗教は、どうにも世界を変えたがるからな」
―――翻訳者のリヒトホーフェンさえも、『蟲の教団』は嫌いだったようだ。
だが、目的のためには十二分に利用することが可能なものだった。
何せあの医療集団『ゴルゴホ』の始まりとなった者たちだ、医学の知識も豊富にある。
ヒトを『寄生虫』と置換していくことで、健康を取り戻せる……。
―――死ぬほかに道がないとすれば、『寄生虫』とだって共生する者もいる。
死ぬかもしれないということは、大いなる動機になるものだった。
少なくとも翻訳者リヒトホーフェンは、彼らをおぞましく思いながらも読解した。
多くの命を救うための方法が、この狂気の根底には流れているのだから……。
「……必死さだけは、伝わって来やがるぜ。リヒトホーフェンは、どうにかして『蟲の教団』の力を得たいと願っていたようだ。当初は、あくまでも医学的な動機に基づいて」
「始まりは、そこだったのですね」
「お、大きな不幸が、あったから、ですね。歪んでしまった。そ、その、『お母さん』もそうだったんです。ぜ、善意での始まりが、必ず、正しい道を進めるとも、限りません。お、大きな失望や、挫折が……変えてしまう……親しいヒトの死は、とても、大きい」
「ああ。分かるぜ。それは、オレやレイチェルには、痛いほどに分かる。誰もが、そういう痛みを放つ記憶のために……生き方を選ぶことにもなるのだ」
―――翻訳者リヒトホーフェンも、そんな人生の痛みに負けた者の一人だ。
多くを助けようとして、邪教の呪術にさえも手を染めていく。
呪わしい側面をも探すのだ、悪意などではなく善意のために。
助けたい者が大勢いたし、やがて助かりたい者の一人となっていた……。
「研究は難航したらしいが、それでも、『蟲の教団』が封じていた『寄生虫』を発見した。そして、リヒトホーフェンは知ったんだな。死者と生者の融け合う薔薇と、それが棲息することの可能な世界を……そこに行くために、無数の『聖餐』を繰り返した……」
「祭祀呪術を、無効にする方法は?」
「…………これだな。『避けねばならない最大のシナリオ』。ふむ。つまり……『ギルガレア』同士をぶつけて……討たれることだ。南のエルフたちの信じる『ギルガレア』が勝利すればいい。だが、弱い。あちらは『聖餐』の数が違う。『今度は勝てる』」
「……な、なら。助勢するしか、ないですよね?南の『ギルガレア』に、雇われる……ボクたちが?」




