第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その七十三
「リングマスターが、何かをしてくださったのですね」
「この呪術の生贄を増やすわけには、いかないからな」
「そうですわね。でも、『本物の』エールマン・リヒトホーフェンは喜んだと思います。愛情の裏側から生えた、怨念じみた面影ではなく。かつて、ただのヒトであったころには、他者を思いやれる人物でもあったのでしょうから」
「……面影か」
『寄生虫』に喰われ過ぎて、もはや、エールマン・リヒトホーフェン本人と呼べるモノではなかったと、レイチェルは感じているようだ。
だとすれば、レイチェルとの最期の交流は、ヤツにとって有意義だったに違いない。心と肉体が、どこから分かれてしまうのか……どれぐらいの割合、自分を失えば、自分ではなくなっているのか。
なかなか、判定するのは難しいことだった。
自分の考えも感情もまとまらないような状況でも、すべきことがあるのは幸いだ。エールマン・リヒトホーフェンであった、虫けらの残骸に近づく。
腹があったはずの場所の奥底に、手を突っ込み。それを見つけた。ヤツの語った通り、本がある。この重たげな感触が『聖典』らしいよ。
それを、体の奥底から引きずり出して、既視感と遭遇する。
楽しくない既視感だ。
「リングマスター、どうかしましたか?」
「いや。こいつが、あまりにも似ているからな」
「似ている?」
「ど、どこかで、見たことがあるんですか……?」
「ああ。『メイガーロフ』で見た。これは、蛇神の寺院の地下にもあった……ヒトの皮膚で表紙が作られたものだよ」
「……ひ、ヒトの皮……っ!?」
「呪いの本らしいですわね」
「不気味だね。お兄ちゃん、呪われないように注意してね」
「ああ。魔眼は、しっかりと使っている。呪いは、これからは出ていない。ジャンは、何かを感じられるか?」
「い、いいえ。ボクも、そ、それからは感じられません」
「そうか。おそらく、安全だろう。さてと……読みながら、進もう」
「じゃあ、私が先に行くね」
「おう。頼むぜ、ミア」
ミアが先導してくれれば安全だな。さて、問題は……。
「オレが読めるかについては、大きな問題がある。オレは、アホだからな……千年前の文字で書かれていたら……」
自信がない。まったくもって、そんなものを読めるという自信はないのだが、本を開いたところで唇がニヤリとしちまったよ。
「ありがたいことだぜ。翻訳文付きだ。リヒトホーフェンが、書いた……のか?器用で小さい文字だな……」
細かくびっしりと書かれている。千年前の古い文字……というか、そもそも古さ以前に、見たこともないほどの歪な形をしているというかね。これは、もしかすると……。
ああ。
当たりだ。リヒトホーフェンの『注意書き』を見つけた。
「『翻訳にあたりの注意点。『蟲の教団』の独自使用の文字……『蟲文字』を現代語に変換する作業において、この独特の文法は混乱を招く点が多くあり―――』……『蟲の教団』は、独自の文字まで作り出していたか」
「あら。なかなか気合いの入った信仰心ですね」
「秘密主義者だったのかもしれん」
「邪教ゆえのことかもしれませんが、南のエルフたちからは迫害されていたようですので。敵対者に、自分たちの秘密を守りたかったのかもしれませんわね」
「あ、相手に読めないように?あ、暗号そのものですね、それって……わ、分かり合うことには、つながらないかもしれませんね……」
相互理解のためにも、ちゃんと言葉がつながり合うということは大きな意味を持つ。拒むためか、守るためか。閉鎖的な思想が、ここにはあった。『蟲の教団』は、自ら居場所を失う流れに乗っていたのかもしれない。
意固地となり、周りが見えなくなる。ヒトには、じつにありがちなことではあるものだ。
「……まあ、ありがたいことにリヒトホーフェンは、翻訳してくれている。読めそうだ」
「な、なかなか、賢い人物だったんですね」
「貴族だからな。教養はあるだろう。さてと……項目は、多いな……全部を読んではいられん。必要なのは―――」
「『聖餐』についてですわね。あるいは、祭祀呪術。生贄にされた者たちから、命を吸い上げて成り立つ、新たな罰……」
「……ああ。見つけた。『聖餐』について。繰り返し、この項目は、確認していたようだな。難しい文字が並んでいるが、どうにか読んでみるとしよう……」
不得意な分野が、スタートしたな。
「『究極の聖餐』は『寄生虫ギルガレア』を介して、『不滅の薔薇の世界』と『蟲の教団』どもが呼ぶ一種の『楽園』を、この世に成立させるための祭祀呪術である。『蟲の教団』は、およそ千年に渡り人々に『寄生虫ギルガレア』を寄生させたり、『深淵』と呼ぶ戦死者の血を回収する仕組みを使用したり、複数の方法で、祭祀呪術の完成を目指した……」
「じゃ、邪悪ですよね、やっぱり」
「邪教ではある。少し、飛ばすか。必要なのは、この『究極の聖餐』とやらを、発動させないための方法だ」
「方法が、あるはずですわね。そうでなければ、リヒトホーフェンは、わざわざこれを託さないですもの」




