第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その三十五
―――戦いの始まりを告げたのは、ルチア・クローナーの矢。
迷宮都市の北に陣取り、長く伸びる矢を星空に並べた。
海からの風の乗った矢に貫かれ、帝国兵の一人が射殺される。
反撃が直ちに起きるが、エルフの矢の距離には敵わない……。
「風を頼る!環境を上手く使いこなすんだ!敵の撃ち方は、限定的!夜に隠れて動ける私たちの方が、強い!!力を、証明するんだ!!」
―――帝国兵どもとの矢の応酬になるが、エルフたちは当たり前のように勝利する。
弓の専門家でもあるし、風を読む戦いにも慣れ始めていた。
帝国兵の矢の距離も、彼らは完全に把握していく。
撃たれず撃てる絶好の間合いに出入りしながら、城塞の敵影を次々と沈める……。
―――東へと回り込んだジャンに、注目が集まっていた。
大人しい性格の男ではあるけれど、戦場では誰よりも勇敢で目立つ。
とくに『巨狼』の姿は、帝国兵どもに恐怖と警戒心を強めさせた。
矢の雨を放って追い払おうとするものの、ジャンの加速に幻惑される……。
「なんて、速さだ!?」
「巨大なのに、あんな動きを……ッ」
「ば、バケモノめ……っ」
「ソルジェ・ストラウスは、竜以外にも、あんなものを飼っているのか!!」
―――記憶に刻み付けられた恐怖は、行動方針を強めてしまう。
狂ったように矢を放つが、全ては『巨狼』の影に刺さった。
ジャンも成長し続けているんだよ、矢の雨を避ける術は理解している。
目立つことが『囮』としての使命だとも理解して、敵の視界に留まった……。
―――狼に怯える敵は、統制は取れた一斉射を行うものの無益に終わる……。
誰をも傷つけることのないままに、荒野の土へと突き刺さる。
その様子を確認しながら、ジャンは大きな狼の頭をうなずかせた。
作戦をしっかりと確認し、自信に満ちた顔でつぶやいた……。
『も、もっと、目立たないと……っ。ほ、吠えた、方が、いいかな……?ほ、吠えてみよう!!そ、損にはならないはずだから……っ』
―――夜に響く狼の遠吠えは、ヒトの本能をくすぐった。
死の危険を伴う響きには、誰しもが注意を引かれてしまう。
原始性を帯びた、古い恐怖がその声には宿っていることまではジャンは知らない。
気づいてはいないけれど、だからと言って使いこなせないはずもないんだよ……。
―――原始性の良いところは、とてもシンプルで迷いも思考も必要がないところさ。
『巨狼』の放つ死の咆哮は、竜のそれにとてもよく似ている。
敵の方が、その事実には敏感に気づいてしまうだろう。
ジャンを知る者は、この死の歌を素直に感じ取ることは出来ないからね……。
―――人の良さがそこにはあるから、死の歌の本質を知覚するのを妨げる。
これはとても恐ろしい力だけど、ボクたちこそが気づきにくい。
普遍的な圧を持った、狼の死の歌を浴びて帝国兵は恐怖に支配される。
牙に噛まれて殺される自分の姿が心に浮かび、闇雲に矢を放たせた……。
―――ジャンが名付けた、ソルジェの死者の力である『歌』属性。
ジャンがその力をそう呼ぶのは、とても本能的だった。
自らの『巨狼』の咆哮が、自覚無きままに示していたんだよ。
これらはとても古い原始の力、生命の本質めいたところの領域の力だと……。
「……森を、感じるなあ。まるで、アレは……森そのものだ」
―――ケットシーの狩人は復讐の矢を放ちながら、敵を引き付ける狼を見ていた。
連想したのは深い森、狩人たちの仕事場だった。
それは実に正しい認識で、彼はやはり優れた職業人だったんだよ。
森の深みから響く死の気配があり、それは多くの者を怯えさせる……。
「……焦るはずだな。必死になって、盲目的になる……罠にかけるための集中力があるはずだよ……鏑矢を、使うタイミングだね」
―――意味のない信号を、ケットシーの狩人は戦場に投げつける。
鏑矢の歌が夜空を駆けて、音を響かせていった。
帝国兵どもは空に流れる音に意味を探し、警戒を深める。
こちらの作戦が動いているのかと、闇のなかに視線を走らせていく……。
「敵がいるのか!?」
「誰に、合図をしたんだっ!?」
「いるのか……近くに、いるのか!?」
「ちくしょう!こういうときに、どうしてゼベダイ・ジス大尉はいない!?」
―――音に恐怖をあおられて、帝国兵どもは不在の戦士に不満を持った。
ゼベダイ・ジスは連中のなかで、あきらかに最強の軍人だからね。
リヒトホーフェンの守護者であるべき男が、今ここにいない。
それの異常性に、彼らは納得がいかなった……。
「もしかして……リヒトホーフェン伯爵は……このまま、『オルテガ』を我々ごと放棄する気ではないのか!?」
「自分だけ、本来の領地に逃げ帰る気かもしれない……」
「馬鹿な、ジス大尉は……我々を見捨てるような方ではないぞ!?」
「し、しかし……伯爵に忠実な方だ。誰よりも、伯爵に……」
―――疑念が募る、帝国軍として考えるのならば『オルテガ』を死守すべきだ。
大きな利益をもたらす貿易の道の中核、守らねばならない土地。
『プレイレス』を『自由同盟』が解放した今、『オルテガ』の価値は大きい。
それを死守するためにこそ、帝国軍はここで戦っているのだが……。
「リヒトホーフェン伯爵は、何を考えているのだ……ッ」
「ジス大尉や、戦力を……貴重な戦力を、どうして、どことも分からぬ場所に派遣しているんだよ……」
「逃げ道を、確保するためでは?ゼベダイ・ジス大尉は……オレたち兵士よりも、帝国軍よりも……伯爵自身への忠誠で戦っている方なんだ……」
「…………そ、それに……リヒトホーフェン伯爵は……」
―――誰もが他者の言葉を批評して、その真偽を査定していく。
真実を見つけたがっているが、誰もが全てを知っているわけではない。
見聞きしたのは現実の一側面でしかないが、それでも評判は成り立った。
リヒトホーフェン伯爵に報いが下される、彼の裏切りを兵士は忘れない……。
「士官たちに、む、蟲を植え付けていたんだ。し、死体たちにもだ……ッ」
「それは、ソルジェ・ストラウスの罠だと、説明されただろう!?」
「敵の罠だ……敵が、我々に……ソルジェ・ストラウスこそが、蟲を植え付けて……」
「…………オレは、見たよ。あの竜騎士は、蟲と死体のバケモノを、でかい蠅を、倒してくれたんだ」




