第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その十一
左手に星の映る海を、右手には乾いた夏の大地を、そして……正面には近づきつつある『オルテガ』の灯りを見る。街の規模の割りには、かがやきの数がやけに少ない。
「し、市民に、出回らないよう命じているんでしょうか?」
「おそらくな。リヒトホーフェンや帝国軍も理解している。市民が自分たちの敵となることを」
「うんうん。帝国軍は侵略者だもんね!」
「で、ですが。し、市民に危害を、与えたりするかもしれないって、ことでもありますよね……?」
「ああ」
リヒトホーフェンは残酷というか、邪悪だった。市民が敵となるリスクへの対処として、市民の虐殺なども考えに入れるかもしれない。
しかし。
「『ルファード』軍が目前に迫るなかだ。あえてそれをすることにより兵士を消耗させる選択は、軍事的にも愚策だ。もっと、時間的な余裕があれば、軍も虐殺を選んだかもしれないが」
「な、なるほど。それを、させないために……」
「虐殺を防ぐためにも、進軍し続けなくちゃならないんだねー」
『だねー』
「そういうことだ。しかし、帝国軍が選ばなくとも、リヒトホーフェンが選ぶ可能性はある。ヤツは、読めん。己の目的のみを、追求しているような印象だからな」
「こ、怖いですね。暴走状態というか……っ」
「対処は、けっきょくのところ早さということだ。悪事を働く前に、殺しておけば解決するかもしれん。少なくとも、新規の悪事を計画することも無くなる」
野蛮だという評価もあるだろうが、悪人を殺すという解決策は、実のところ有効性が高い。それゆえに大昔から、戦士の主な仕事はそれだった。
邪悪な権力者など、生きていられるだけで不幸な者と死者が増える。
火災と同じようなものだ。燃え続ける火は、早めに消すに限るじゃないかね。
偵察のための飛行は、すぐに魔眼を用いなくても『オルテガ』と周囲の状況を明らかにする。
城塞の外には帝国兵の姿はない。静まり返ったその土地を動くのは、風に吹かれて舞う乾いた砂か、小型の野生動物のようなものだけだ。
「明確な戦術方針だぜ」
「あいつら、『守備』に徹する気だね」
「戦力を、城塞のなかから出さないようにしている。徹底的に、守り続ける気だ。自力で勝利する気はない。外部からの戦力供給に、頼ろうという腹だ」
「じ、時間を稼げば、ほ、他の土地から帝国軍が、やってきますもんね……っ」
「城塞に立てこもれば、戦力の消耗も防げる。歴史上では、何年も城塞都市のなかで耐えしのいだ者たちさえもいるからな……迷宮都市とまで呼ばれる街ならば、その選択もあながち愚策ではない」
十分な陣地に守られた敵を攻め落とすという行為は、実に難解なものでね。地面を削られ、起伏を極端にされるだけでも、騎兵の威力は消せるし、歩兵隊の突撃の速度も遅くなってしまうものだ。
幾重にも組まれた城塞が守る『オルテガ』は、上空から見れば異様さが目立つ。
「ごちゃごちゃな街だね」
『ごちゃごちゃだね』
「ま、迷子になっちゃいそうですよ。く、暮らしにくそうですよね」
「慣れれば、動きやすいのかもしれんが……慣れるまで住まない限りは、迷いやすさがありそうだな。居住性を捨てることを住民が許容するほどに、この土地は奪い合いの対象だったということさ」
『プレイレス』が解放された瞬間から、『オルテガ』の重要性は増した。『中海』から東南東に向かって伸びる長大な水道は、やがて外海へと行き着く。この水道を越えるための最短距離と『オルテガ』は近いのだよ。
左手で、その水道を指差した。北側と南側の陸地のあいだは、最も狭いところで約6キロメートルといったところか。『オルテガ』一体の海は、他に比べればずいぶんと狭まっている。
「ここなら、泳いででも渡れてしまう。沿岸部には、軍港もあるが、小さな商船用の港が多数あるな」
「う、海を渡るための時間が、み、短く済むから……商人たちに、人気ってことです?」
「そうだ。ほかの場所ならば、もっと時間がかかる。積み荷を運ぶための時間が、倍にでもなれば、売り上げは半分ともなりかねん」
商人も合理的だった。戦場と同じか、それ以上に。
「効率だけで考えれば、この土地は、商業の中継地点としては優れているんだよ。それだけに、奪い合いも多かった。『王無き土地』であることも、その点では災いしたかもしれん……独立独歩であるがゆえに、直接、狙われることもある」
王の庇護下に入るということを、『王無き土地』は嫌う。その気概は買うが、この世にあるあらゆる選択には、メリットとデメリットが紐づけされていた。
もしも、『オルテガ』が『王無き土地』でなければ……王に統治された街であれば、この街を狙う野心家は『オルテガ』を直接攻撃して奪いに行くのではなく、支配者である王が君臨する場所を攻めただろう。
地上を見回せば、『オルテガ』周辺には古くからの破壊の跡が転がっていた。荒野の土に呑まれるように沈みかけている、石材の残骸たち……かつては家の基礎だったのさ。そういうものがいくつも集まったまま、放置されて数十年だかそれ以上。
かつては村があったのかもしれないが、戦火に巻き込まれて消滅したのだろう。王による支配があれば、王だけを狙えば済んだかもしれない。王に支配されることを耐えがたい屈辱とする『王無き土地』の人々からすれば、これもまた受け入れるべきリスクではあるのだろうが。




