第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その八十一
作戦は実行される。ゆっくりとした南下をつづけた後で、小さなオアシスへとたどり着いた。馬の背中に手足をだらんと伸ばして、猫さんモードで眠っていたミアは、水の気配に気がつくと飛び起きた。
そして、砂の上に軽快な足音を残しつつ、星を映したオアシスの池へと向かって走っていたよ。
「おー。水、キレーだ!」
「そうだよ。ミアちゃん。『イルカルラ砂漠』に点在しているオアシスの水は、どこも澄んでいるものなんだよ」
オレたちを先導しているナックスは、ミアとちょっとした友情を築いているのか、まるで自分の親族にでも話しかけるような顔で語る。やさしげで、どこかさみしそうな笑顔だ。幼い少女を見ると、悲しさがこみ上げてくる理由でもあるのかもしれない。
……長らくの戦場だ。この土地には、多くの人々の霊魂が漂っている。
無邪気なことが許される年齢であるミアは、ただニコニコとした笑顔になりながら、その池の前に座った。小さな両手を合わせることで、オアシスの澄み切った池の水を汲み取り、目と鼻で毒性が無いことを確認した後で口に含んでいた。
「んー。美味しい水。かーなりゴリゴリしてて、よく冷えていて、喉ごしが良いタイプの水さんだー!」
なかなかの名水らしいな。オアシスの水というものは。大人たちも、馬を下りて、ミア・マルー・ストラウスの行動を模倣することにした。池へと向かって歩く蛮族の耳に、知力の高いキュレネイ・ザトーとククル・ストレガの会話が聞こえてくる。
「砂により濾過されているでありますな。土による濾過よりも、かなり澄んだ水が提供されているのかもしれないであります」
「はい。それに、ミアちゃんの舌が硬度を感じ取ったのも、その影響があるかもしれません。土壌の砂が、水に融けている……そもそも、この地下の水系は、北にある『カナット山脈』に山肌に当たった水でしょうから。鉱物が取れた土地の水が、地下で濾過された」
「なるほど。ゴリゴリしたお水の完成というわけでありますな」
……遭遇した現象を分析することが出来る才能ってのは、実に羨ましいもんだ。賢さがあるヤツって、目の付け所がオレみたいな蛮族のアホと異なっていたりする。憧れるな。オレはそういう境地にたどり着けるんだろうかな?
本を読もう。
この劣等感を少しでも克服するには、そんな手段に頼るしかないだろうからな。
「ソルジェよ、顔を引きつらせてどうしたのだ?」
「……何でもないさ。ちょっと、疲れてもいるんだろう」
「そうか。お前たちは、南でも戦って来たわけだからな……肩を揉んでやろうか?」
「鎧を脱ぐのが面倒だし、そんなに年寄り扱いしてくれなくてもいいぜ」
「うむ。がんばれ、私の夫」
「がんばるよ。欲しい『未来』があるんだからな……」
「お兄ちゃん、なかなかの名水だよ!」
池の近くにたどりつくと、ミアのニコニコした笑顔に癒やされる。セシル・ストラウス。永遠の7才となった、オレの妹を感じてしまうのは―――夜風の冷たさにガルーナの朝を見たからだろうか。
……妹たちを比べることは、間違っているような気もする。秘密にすべき感情だと判断しつつ。オレも砂に膝をついた。近くにいる笑顔を見ていると、なんだか手が勝手に動いてしまい、ミアの黒髪をナデナデしちまうのさ。
「どーしたの?」
「ミアが可愛いから、何となく撫でたくなったのさ」
「そっかー。罪作りなオンナなんだね、私」
「……どこでそんな言葉を思えたんだ?」
「レイチェル」
「そうか。なんか、分かったよ」
「どういう意味なのでしょうか、リング・マスター?」
ミアの向こう側に美しい『人魚』の踊り子が星明かりに照らされながら現れる。苦笑を選び、場を誤魔化そうとする。ガルーナ人の文化さ。オンナ絡みで困ったときは、引きつった類いの笑顔を使って、状況をスルーしようとする。
……まあ、レイチェルにはそういう手段が通じないってことは、分かっているからな。オレは苦笑しながらも言葉を使うことになった。
「君は罪作りなほどに美しいからってことだよ」
「あら。素敵な言葉。リエル。貴方の旦那サマに、口説かれてしまいましたわ」
「ソルジェはスケベだからな」
「……口説くってほどに、大層な文句じゃないだろうよ」
実際のところ、レイチェルは聞き慣れているような言葉だろうからな。美しいって言葉は、美女からすれば与えられて当然の言葉でしかない。もっと、知恵を使った別の言葉のほうが、美女の心に響くかもしれない……そんな持論を頭に浮かべつつ、オレもオアシスの水をすくって喉を潤していた。
夜に冷まされた水が、歯に冷たさを、舌に新鮮な感触を、喉にはグルメな猫舌の分析のとおりに、ちょっとゴロゴロした喉ごしを与えてくれる。
「……いい水だ。酸味が少ないから、若い赤ワインでメシを食うときに合いそうだぜ。舌がリセットされそうだ。赤ワインの風味とか、きっと楽しめる」
「そーなんだ。20才になったら、赤ワインにはゴロゴロして酸味の少ない水ーって、覚えておくね」
「ああ。20才になったら、酒も色々と教えてやる。ガルフからも、たくさんのことを教わっている。オレが、お前に伝えるべき『パンジャール猟兵団』の伝統の一つさ」
「うん!」
兄妹はお互いの顔を見つめ合いながら、にんまりとした意地悪な猫みたいな表情になりながら笑っていたよ。
「……んー。ほんとうにいい水っすね!」
「そうだよ、カミラちゃん。オレ、オアシスの水は美味しいって言ったろ?」
「あはは。そうですね。疑っていたわけじゃありませんっすよ?……戦いの前に、皆の心が鋭気を回復することが出来そうっす」
「ああ。君たちにも、オアシスの水を飲んでいて欲しかったんだ。オレたちの同志となるのだからな……『イルカルラ血盟団』も、『自由同盟』も……帝国に槍を向けて戦う仲間だ」
「……はい。だから、ナックスさん」
「……分かっている。何度も聞かされたからね。無駄死にさせる兵は、少ない方がいい」
「そうですな。団長たちが、大穴集落のドワーフ族と話をつけてくれたのです」
「……感謝しているよ、サー・ストラウス」
「仲間だからな。当然なことだ」
「良い言葉だ。砂漠の夜風には、とても似合うよ」
「……恩に着せるつもりはない。だが、せっかくの好機だ。活かしてくれ。ガンダラからアドバイスは受けているな?」
「ああ」
「……ナックス殿。『イルカルラ血盟団』が敵を砕ききることは、戦力的に困難です。我々の作為が全て良い方向に機能したとしても、この戦力差は覆りはしません」
「……死地に皆が突っ込むことになる。分かっているよ。だからこそ……オレたちの勢いが消えちまったときは、東に逃げる」
「ドワーフ族のテリトリーには、帝国軍も気を使っているでしょう。メイウェイ配下の兵士たちは、彼らの誇りを守ろうとしていますからね……ドワーフとの戦も、メイウェイは望んではいない」
「……ヤツは、割りといいヤツじゃある。姫さまを見つけ出して、捕らえようとしていたっていう点は、気に食わないがな……利用させてもらうよ」
「……一人でも多く、生き残って下さい」
「カミラちゃんは、いい子だな……生き残るようにする。オレたちは、生き残ることで、得られるチャンスがあるってことも、オレが証明したい」
「……ガンダラ、ナックスに『パンジャール猟兵団』の書状を持たせたな?」
「もちろん。ナックス。捕虜であった貴方が合流したとき、『イルカルラ血盟団』にあらぬ誤解を受ける可能性もあります」
「……捕虜が、いきなり土壇場の戦場に現れたら、感動するヤツと、疑うヤツがいるだろうからな」
「後者のヤツには、オレの名が入った書類を見せろ。お前が解放されていることは、彼らも知っているはずだが……戦場ってのは、判断力を鈍らせるからな」
「興奮していれば、理性はかき消える。とくに、こんな戦をする夜は、きっとそうなっているだろうからなぁ……」
「仲間に誤解されて死ぬようなことは避けろ。そして、オレたちが君らの突撃をサポートすることを伝えてくれ」
「……竜で、爆撃するってことかい?」
「そうするつもりだ。元々の疲弊に、砦を奪う戦をした直後だ。君らも、スタミナには自信があるまい。砦を防御にして敵の攻撃に耐えるよりも……夜間に乗じての攻撃を選ぶ」
「……ああ。砦に向かった連中の目的は、より多く殺して、ドゥーニア姫のために散ることでもある……」
「裏をかく攻撃だが、メイウェイという男が軍才のある強者であるのなら、そこまでは読むだろう。あえて、突撃を受けるさ……逃がす気にもなりはすまい」
「決戦に付き合い、オレたちを滅ぼす機会にするということか」
「おそらくな。メイウェイは、オレたちの工作の結果、今までよりもずっとアルノア伯爵のことを敵視し警戒する」
「敵の数を、減らすことを望むか。バルガス将軍の特攻作戦に付き合うことには、ヤツもメリットが大きいわけだ」
「隊列を組み、待ち構えるだろう。自分たちのスタミナも、彼らは気にしている。君らの突撃に対して、ヤツらの隊列を崩してやる。ゼファーで強襲し、援護してやる」
「迷わず突っ切れか」
「そうだ。串刺しにしてやれ。メイウェイは軍勢を左右に広げて取り囲むように動こうとするだろう。包囲殲滅。帝国軍はそれを好む。とくに、自軍が疲れているのなら、攻撃よりも防御を選ぶ」
「……その防御を、貫くか」
「隊列が乱れれば、戦場にはかなりの自由度が生まれるだろう。オレたちは西と北から陽動をかける。東に抜けやすくしてやるよ」
「……分かった。最初の突撃で、どれだけ敵を殺せるかにかかっているな」
「そうだ。長丁場は君らにはムリだ。ヤツらを開戦5分で、徹底的に打撃して、それからは逃げるなり、死ぬなり、それぞれが選べ……メイウェイが捕虜を取る男なら、あえて捕まることも良いだろう。生きていれば、それだけで敵の負担になることを忘れるな。君が戻って、敵を殺す。それで、生き抜くことの戦略的な意味を証明して来い」
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