図書委員会と香坂さん
「あ、それと図書委員は放課後、図書準備室へ行くように。諸連絡は以上」
担任が一度だけ、こちらを見た気がした。
「起立。気を付け、礼」
「さようなら」
金曜日の放課後。号令とともに気の早い生徒達が立ち上がる。珍しく帰りの準備を済ませていたわたしは、そんな彼女達に倣って立ち上がった。
「あ、芙雪は今日、委員会?」
「そうだよ」
教室のドアに向かう途中、真咲に声を掛けられる。
「というわけで、バイバイ」
「おう。頑張って行って来いよ」
「また明日ね」
京子と泉に手を振って、わたしは教室を後にした。
ここ、加古屋女子高校では、係や委員会は学期毎に変わる。先日のLHRで分担決めが行われ、わたしは今期も無事に図書委員になれた。
図書委員は各クラスから一人ずつ選出して構成されている。主な仕事は昼休みと放課後の図書当番と、あとは色々。わたしみたいな本好きには、それなりに人気のある委員会だ。
「失礼します」
ノックをして、図書準備室に入る。中は既に話し合いの準備が終わっており、長机が長方形に並べられていた。
「あら、芙雪さん。一番乗りね」
「本当? 早く来た甲斐がありました」
図書室に通じるドアから、飯田先生が入ってきた。昼休みぶりだけど、今日も可愛い。若くて気さくで、生徒の人気も高い先生だ。
「みんなが揃ったら始めるね。芙雪さんも座って待っててもらえる?」
「はい」
飯田先生はまだ何か準備があるのか、また図書室の方へ行ってしまった。わたしはとりあえず、奥の方の机まで歩いて、パイプ椅子に座った。
準備室にも本はたくさんある。新しく購入してまだラベルを貼ってない本、古くなって修繕が必要な本、貴重だから普通の貸し出しは行っていないなど、一般の生徒ならお目にかかる事が出来ない本がいっぱいだ。
ぼーっとそれらを眺めていると、他の図書委員達が入ってきた。他のクラスでも委員会が変わった人はいないのか、見た事のある顔ぶれだった。彼女達はそれぞれお喋りに興じたりして、椅子に座っていく。
わたしの隣の一つを除いて、席は埋まった。
「揃ったかしら?」
図書室から、飯田先生が入ってきた。前のホワイトボードのところまで歩いて、机をぐるりと見回す。
「あら。椅子が一つ、空いているわね。どのクラスかしら。いないのはえーと、二年生の……」
ガラガラ。
その時、飯田先生の言葉を遮るように、ドアが開いた。
「すみません。遅れました」
「あら香坂さん、あなただったのね。席に着いてもらっていいかしら」
「はい」
準備室に入って来た人物は、直接は知らないけど見覚えがあった。隣のクラスの人で、今知った情報によると名前は香坂さん。
他人を覚えるのが苦手なわたしがなぜ彼女に見覚えがあったのかというと、それは香坂さんがいわゆる美少女だからに他ならない。凛としたクールな感じで、見ているだけで目の保養になる。
香坂さんがここに来たという事は今期の図書委員という事だけど、彼女が図書委員になるのは初めてだ。わたしは彼女がどうしてこの委員会を選んだのか、少しだけ気になった。
静まり返った室内を悠然と香坂さんは歩く。わたしはそんな彼女にぼーっと見とれていた。
「隣、いい?」
「え?」
だからわたしは、唯一空いていたわたしの隣の席に来た香坂さんに、咄嗟に対応出来なかった。
「隣」
「あ、ああ、どうぞ」
「どうも」
うわあ。やってしまった。
自分の顔が熱くなったのが分かった。
どうもわたしはコミュニケーション能力が低くていけない。人、特に知らない人との会話にあまり慣れていないため、スラスラと言葉が出て来ないのだ。
しかし、そんな内心一人でテンパっているわたしをよそに、香坂さんは全く気にしていない様子でさっさと椅子に座った。うん、わたしの失態を気にしていないのなら良かった。
「それじゃあ、全員揃ったみたいですね」
飯田先生が言う。
「では、二学期最初の委員会を始めます」
×××
今日の議題は、委員長決めと図書当番の割り振りについてだった。
そのうち、委員長についてはすぐに決まった。三学期以外はだいたいどの委員会も三年生が委員長を担当するし、図書委員は文芸部員が委員長をする事が多い。三年生で文芸部員、さらに前期も委員長をしていた人がいたので、何事もなくその人が委員長になった。
問題は、図書当番の方だ。
「それじゃあ金曜日の放課後は、鳥居さんと香坂さんでいいかしら?」
そう、わたしと香坂さんがペアを組むかもしれなくなったのだ。
図書当番について、少し説明しよう。図書当番は、昼休みと放課後に二人ずつで行う。昼休みの当番は毎日部活があるような人から優先的に割り振られるため、わたしみたいな帰宅部は放課後に回される事が多い。
そこまでは予想済みだったし、放課後でも全然構わないのだけれど、香坂さんも帰宅部だとは思っていなかった。
「私は大丈夫です」
「鳥居さんは?」
「あ、はい、わたしも……」
「ありがとう。それじゃあ、金曜日は二人にお願いするわね」
先生はホワイトボードの金曜日と書かれたところに、香坂・鳥居と書き込んだ。
わたしはよく知らない人だけど大丈夫かなと、そっと隣の香坂さんの顔を窺ってみたけど、その表情からは何も読み取れなかった。香坂さんはただ、まっすぐに前を向いているだけだった。
曜日の担当決めが終わると、今学期の大まかなスケジュールの説明があり、委員会はお開きとなった。今日の曜日の放課後当番は早速、用具を持って隣の図書室へと向かう。他にも、部活や用事がある生徒は足早に出て行ったり、何も無い生徒は談笑したり。
わたしは香坂さんに、これからよろしくとでも言おうと隣の席を見たら、一体いつの間に帰ったのやら、そこにはもう誰もいなかった。
一人、また一人と生徒が準備室から出て行く。
「芙雪さん、今日は図書室に残るの?」
部屋の片付けをしながら、飯田先生が問うて来た。いつまでもここにいると、先生の邪魔になるかもしれないな、とわたしは考えた。
「いえ、今日は帰ろうと思います」
「あら、そう。じゃあ、明日からはよろしくね」
「はい。失礼しました」
一礼をして、わたしは準備室を後にした。
×××
「ねえ、真咲。ちょっといい?」
「ん? いいわよ」
夜。わたしは真咲の部屋を訪ねていた。
部屋主の許可が下りたので、ドアを開けて中に入る。さすが優等生、真咲は勉強をしていたようで、椅子に座ったままこちらを向いた。
「どうしたの?」
「えーと、ちょっと聞きたい事があって……」
「なあに?」
歯切れの悪いわたしに真咲が興味津々、という感じで詰め寄ってくる。
ちょっとだけ躊躇した後、わたしは思い切って聞いてみた。
「あのさ。真咲は香坂さんって知ってる?」
「香坂さんって、隣のクラスの香坂巴さん?」
「あ、うん。そう」
正直に言うと、香坂さんの下の名前は知らない。でも真咲は隣のクラス、と確かに言ったので、あの香坂さんで間違いないだろう。
「香坂さんってどんな人か知ってる?」
わたしの言葉に、真咲はうーんと考え込んだ。そして、私もあんまり知っているわけじゃあないけどね、と口を開く。
「確か、部活には入ってなかったわね。でも勉強の方はすごくて、全国模試の名前掲載の常連よ」
「それって、真咲よりすごいの?」
言ってから後悔した。わたしの発言に、真咲は一瞬ムッとした表情を作る。真咲はあれで、プライドが高い面がある。もしかしたら地雷を踏んだのかもしれない。
「勉強という面ではそうかもね」
真咲は一旦、言葉を切った。次に見せた表情は、端から見る分にはいつも通りだった。
「後はそうね、誰かと一緒にいるところは見た事ないわね。一人が好きなのかも。──それより、芙雪はどうしていきなり香坂さんの事を?」
「えーと……図書当番、一緒になったから」
「あら? 香坂さん、図書委員会だったかしら。整備委員会じゃなかった?」
わたしは内心、おいおいアンタどんだけ詳しいんだよ、と思ったが口には出さなかった。
「へえ、そうなんだ。でも今期は図書委員会だよ。──うん、ありがと真咲。じゃあね」
「もういいの?」
「うん」
自室に戻って、わたしはベッドに寝転がった。日課のゲームは、する気にはなれなかった。
頭に浮かぶのは、香坂さんの事だ。放課後からこっち、ずっと香坂さんの事を考えている気がする。それがなぜかは、自分でもよく分からない。
もやもやした気持ちを抱えたまま、わたしは布団に潜り込んだ。
×××
「えーと、だいたいこんな感じ。分かった?」
翌日。つまり、金曜日の放課後。
わたしと香坂さんは図書室のカウンターにいた。もちろん、図書当番としてだ。
まずは今日が初めての仕事となる香坂さんに、図書の貸し出しと返却の仕方を軽くレクチャーする。どちらもバーコードの読み取りをすればいいので、やる事は簡単だ。
わたしの言葉に、香坂さんは軽く頷いた。昨日から思っていたが、どうやら香坂さんは口数がわたし以上に少ない人のようだ。
放課後の図書室は、ガランとしていた。学園祭が近づいているこの時期、図書室の利用者は多くない。いつも見る常連さんくらいだろうか。
開け放している窓から、吹奏楽部の楽器の音や、運動部の声が聞こえてくる。
図書室は、そんな華やいだ世界とは別の、まるで時が止まった空間の中にあるようだった。
今図書室にいるのは机に向かっている生徒や書架の間をうろうろしている生徒だけで、貸し出しはおろか、返却に来る生徒さえいない。つまりは、図書当番の仕事がなく、手持ち無沙汰な状態だ。
沈黙が耐え難いので先程から何度も隣の香坂さんを横目で見ているけど、香坂さんは別にそうでもないようだった。やっぱりどこか一点を、微動だにせずに見ている。
雑談程度に話し掛けてみようかなと思っているけど、何となくためらってしまう。わたしのコミュニケーション能力では会話が続くか不安だし、香坂さんに悪い印象は与えたくない。こういう時は真咲や京子が羨ましい。
しばらく色々考えて、そうだ、どうして図書委員会に入ったのかという事や、本は好きなのかという事を聞いたらどうだろうと思い至った。これなら無難だし、会話が広げられそうだ。
……そう思ったは良かったが、わたしはなかなか香坂さんに話し掛けられずにいた。
無視されたらどうしようとか、変に思われないかなとか、今は話し掛けていいタイミングなのかとか、チキンなわたしには嫌な事ばかり浮かんでくる。全く、自分の事だけどこんなダメダメな性格は本当に嫌気が差してくる。
でも、ここで話し掛けられなかったら次はもっと難易度が高くなるだろう。昨日から感じていたもやもや──それが、ようやく分かった気がした。多分、わたしは香坂さんと友達になりたいんだと思う。
頭の中で何度も台詞を確認し、なけなしの勇気を振り絞る。意を決して、わたしは声を出した。
「ねえ、香坂さ──」
「すみませーん。貸し出し、いいですか?」
おい、この場面でかよ!
見ると、カウンター前に女子生徒が二人いた。学年章を見るとわたしと同じ二年生らしいけど、見覚えは無かった。
まったく。タイミングの悪い。
胸中で悪態をつきながらも、業務はこなす。ここはわたしが対応する事にした。
「学生証をお願いします」
「はい」
わたしはカウンターのパソコンを貸し出し場面にして、差し出された学生証と本の裏表紙のバーコードを機械で読み込む。無事に手続きが終了した。
「期限は二週間なので、お願いします」
「ありがとうございました」
本を手渡すと、二人は図書室から出て行った。
日誌の貸し出し数の所に正の字を書こうと振り返ると、既に香坂さんが日誌を開いていた。一度の説明で業務をきちんと覚えていたらしい。さすがだ。
「そういえば香坂さん──」
あ。しまった。咄嗟に、そう思った。
頭の中でもう一度シミュレーションしてから香坂さんに話し掛けてみるつもりが、つい口が滑ってしまった。
香坂さんが、何? という表情でこちらを見てくる。わたしは頭をフル稼働させて、言葉を絞り出した。
「えーと、香坂さんは何で図書委員になったの?」
うわあ。ちょっと馴れ馴れし過ぎたかな? タイミング的におかしくなかったかな。
わたしは内心すごく動揺していたけど、全神経を使ってそれを表に出さないように努めた。そんなわたしとは裏腹に、香坂さんは何でもないように口を開く。
「誰もいなかったから」
「へー」
って、アレ? それだけ?
香坂さんを見ると、もう前に向き直っていた。本当に理由はそれだけらしい。これでは会話のキャッチボールも何も、あったものではない。
会話を続けなきゃ。
そう思ったわたしは、次の話題を振ってみる事にした。
「じゃあさ、香坂さんは本が好き? オススメの本とかある?」
わたしの言葉に香坂さんはもう一度こちらを向き、考えるような素振りを見せた。
「本は……ミステリとか読む。横溝正史とか、アガサ・クリスティとか」
ミステリかあ。あまり読まないジャンルだなあ。
横溝正史なら金田一シリーズを二・三作読んだ事があるが、それ位だ。後は東野圭吾とか京極夏彦とかは読んだ。
そういえばミステリといえば、百合好きにとって外せない作品がある。イギリスの女流作家が執筆した作品で、舞台は十九世紀の英国。二人の少女が主人公のミステリだ。この作品は物語の面白さもさることながら、百合的に素晴らしいのである。
他にも病室の安楽椅子探偵ものも読んだなあとか思っていると、チャイムが鳴った。時計を見ると十七時。図書室を閉める時間である。気付けば生徒達は帰る準備をしており、わたし達も準備をしなくてはならない時間だった。
「香坂さん。パソコンと日誌、お願いしていい? わたしは見回りをしてくる」
そう言って、わたしはカウンターから出た。窓を閉めたり、忘れ物やまだ人がいないかをチェックして回る。
全て終わってカウンターに戻った時、香坂さんはまだ日誌を開いていた。あれ、日誌にそこまで書く事あったかな? と思いながらも声を掛けてみる。
「香坂さん、どうしたの? 何か分からない事ある?」
わたしの声に香坂さんは頭を上げた。そしてこれ、と日誌を指差したので覗き込んでみる。
……ああ、そういう事……。
日誌を見て納得した。それと同時に馬鹿らしくなってがっくしした。
日誌には当番の名前を記入する欄があるのだけれど、そこには香坂巴としか書かれていなかった。──つまり、香坂さんはわたしの名前を知らなかったという事だ。
「えっと、わたしの名前は鳥居芙雪。神社の鳥居に、花の芙蓉の芙に、白い雪で芙雪。──そうそう、その字。あと一応、隣のクラスだよ」
香坂巴の隣に鳥居芙雪が並ぶ。読みやすくて綺麗な文字だった。
「これで図書当番の仕事は終わり。返しに行こう」
道具をまとめて、図書室を出る。鍵を掛けて準備室へ向かった。
「失礼しました」
今日の仕事は本当にこれで全部終了。
わたしと香坂さんは並んで廊下を歩く。十七時過ぎとはいえ、九月の今はまだ陽も高い。微妙な時間なので帰る人もいないのか、周囲はガランとしていた。
「それじゃあ。私、こっちだから」
校門から少し歩いた分かれ道で、香坂さんが言った。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
わたしはそのまま歩いて去りそうな香坂さんを呼び止める。言いたい事──昨日、言えなかった事があるのだ。
「その……こ、これからよろしくね」
振り返った香坂さんは、相変わらず何を考えているのか分からない表情を浮かべていた。わたしはというと、これだけの事を口に出すのにも心臓がバクバクしているのに。
反応が無い事に不安を覚え始めた時、香坂さんがようやく口を開いた。
「うん。よろしく、鳥居さん」
たったこれだけの言葉だったけど、何だかとても嬉しい。
「また明日ね!」
歩いて行く香坂さんの背中が見えなくなるまで、わたしは手を降り続けた。
……あれ、そういえば明日は学校が無かったっけ。……ま、いいか。




