芙雪の趣味
人には言えない秘密というものは、誰にだってあると思う。完璧超人に見えるわたしの姉にだって、人に言えない事の一つや二つはあるに違いない。内容はちょっと想像出来ないけど。
もちろん、わたしにも人に言えない秘密というものは存在する。
それは、わたしの趣味に関するものだ。
×××
夜。寝る前の至福タイム。わたしは自室で、パソコンに向かっていた。
耳にはヘッドホンを装着し、右手はマウスの上。人差し指は先ほどから何回もクリックを繰り返している。
そう、わたしはパソコンゲームを、世間一般的にアドベンチャーゲームと呼ばれているものをプレイしていた。
わたしは集中して画面の文章を読み進んでいく。物語は佳境だ。マウスを持つ右手に汗が滲む。
画面に出てきた二つの選択肢を、少し考えて上の方を選んだ。どうやら正解だったみたいだ。画面の中の二人の距離は縮まり、そして──
「芙雪ー、ちょっとお願いがあるんだけど」
「のわあああ!」
わたしはとっさにノートパソコンを閉じた。
「またゲーム? 課題は終わったの?」
「お、終わったから! それより真咲、勝手に部屋を開けないでって言ってるじゃん!」
見られた? 見られていない?
心臓がバクバクと音を立てている。真咲は、ゴメンゴメンと笑った。
「そうそう、芙雪。お願いしたい事があったの。ちょっと英和辞書を貸してもらえない? 学校に忘れちゃって」
「いいよ。──はい」
「ありがと。終わったら返すわね」
「明日でいいよ。わたしはもう寝るから」
「そう。じゃあお休み」
「お休み」
真咲が出て行ったのを確認して、わたしは机に向かった。スリープモードになっていたパソコンを起動して、再びゲームに没頭する。
ああ、やっぱりゲームの世界は素晴らしい。わたしは画面上の一枚絵に心を奪われた。
画面の中では二人の人物が──二人の"女の子"が、口付けを交わしていた。
わたしは、百合愛好者である。植物の方ではない。女の子同士の恋愛、ガールズラブの方だ。
いつの頃からかはもう分からないけど、わたしは女の子同士の恋愛に胸がときめくようになっていた。今ではもう、百合にしか心が動かされない。我ながら、難儀な体質である。
わたしは百合好きではあるけど、だからといって同性愛者というわけではない。別に好きな人はいないけど。
女の百合好きは肩身が狭い。まず百合市場は圧倒的に小さい上に、世の中の女子の多くはBL好きだ。わたしは未だかつて、わたし以外の百合好きに会った事がない。
そんなわけで、今日もわたしは密かに百合に萌えているのである。
ちなみにわたしが現在プレイしているのは、とある有名な百合ゲーの二作目である。伝奇と蘊蓄を売りにしたこのシリーズは、PS2の一作目をやってみて素晴らしかったので、二作目もすぐに買った。二作目の方はパソコン版も出ていて、つまりこれである。PS2版も買ったのでストーリー展開は知っているけど、細かいところは忘れているし追加要素もあるので、買った事を後悔はしていない。
×××
翌朝。わたしは珍しく七時には起床し、八時には学校へ行く準備は万端だった。
ピンポーン。
今日も我が家の呼び鈴は、八時きっかりに鳴る。
「お邪魔しま──って珍しい、芙雪が先に来てるなんて。真咲は?」
「あれ、真咲から聞いてない? 今日は部活の方でミーティングがあるとかで、朝早くに出たよ」
「そうなの。──ま、いいわ。行きましょ、芙雪」
そんなわけで、今朝はわたしと泉の二人切りでの登校となった。
「それにしても、久しぶりね。芙雪と二人っ切りって」
「そうだね」
そう、実はわたしと泉という組み合わせは珍しい。大抵は三人、もしくは真咲とわたし・真咲と泉という組み合わせだ。泉は昔から真咲寄りの人間なのだ。
「……」
「……」
まあ、会話が続かない。わたしに話術などというモノは無いし、泉はわたしへの興味は真咲ほどには無いのだろう。仕方ないのでわたしは、好きなアニメの好きな百合カップルで妄想を開始する事にした。
このカップリングの二人はかつて、敵同士だった。幼い頃に出会い、何度もぶつかり、悲しい事があったけど後に和解。それ以来ずっと親友で、義理ではあるが娘まで出来た。現在は片方が出張がちではあるが、三人で仲睦まじく暮らしている。最近は娘の年上の彼女を交えた二組のカップルを妄想するのがわたしの中のトレンドだ。
この二人は百合界でもメジャーなカップリングである。二人に関しては子供の頃の方が良いという人もいるが、わたしは断然大人派だ。娘を始め色んなキャラが増えたため、周囲の人間関係を想像するのが楽しいし、何より大人になった事で子供の頃には出来なかった──
「──ねえ、芙雪」
おっと。妄想は中断。
「何?」
「そういえば芙雪って、昔はもっと活発だったし真咲とも張り合っていたじゃない? どうして最近は、何て言うか、無気力な感じなの?」
……それ、わざわざ今聞く事かな?
そう思ったけど、多分これは泉なりの気遣いなのだろう。わたしとの会話が続かない事に気まずくなったのと、わたし活を入れたいのだと思う。
別にわたしは無言である事を気にはしないし、現状に満足していないわけではないが、泉は昔から生真面目なのだ。
「うーんそうだね……。何だろ、別にわたしが頑張らなくても、真咲がいればウチは安泰というか」
「何それ」
「まあ、わたしにも色々あるんだよ」
言葉を濁したけど、わたしが頑張らない理由なんて単純だ。真咲にはどうやったって叶わない、ただそれだけである。
わたしがこの事実に気付いたのは確か、小学校高学年の時。自分の中で色々あったけど、それ以来わたしは競争を辞め、スローライフを満喫しているのだ。
そうこうしているうちに、学校に到着した。
正門から入って、泉と並んで昇降口まで歩く。と、前方昇降口のあたりに、真咲がいた。
「あ、真咲」
「え、どこ──」
真咲は一人じゃなかった。名前は知らないけど、真咲の側でよく見かける弓道部のちっちゃい後輩と一緒だ。後輩は真咲と腕を組んで、後ろから見ても分かるほどウキウキと歩いていた。
わたしは隣の泉をそっと伺う。泉は前方の二人を見て、おそらく無意識に表情を険しくした。
「ちょっとごめん」
わたしにそう言い残すと、泉はツカツカと早足で歩き出す。そして真咲に声を掛けた。
「真咲!」
「あら、泉じゃない。おはよう」
「おはよう──ってそんな事より、どうして今日は早く行くって、昨日言ってくれなかったの?」
「あら、言ってなかったかしら。ごめんなさいね」
「もう。まあとにかく、教室へ行くわよ。早くしないと遅刻するし。──宮下さん、あなたも早く教室へ行かないと遅れるんじゃない?」
「ええっと……それじゃあ真咲先輩、また放課後お会いしましょう!」
「ええ。じゃあまた部活でね」
残されたわたしはというと、一部始終をボケーッと見ていた。あの後輩の名前は宮下というのか、と考えていた。
「怖えー。泉怖えー」
後ろから知っている声が聞こえた。
「京子」
「よっ芙雪」
「おはよう。京子もアレ、見てたんだ」
「まあね。目立ったし」
朝の登校ラッシュという事で、どうやら野次馬は結構いたようだ。真咲は校内でも有名人だし、京子の言う通り何かと目立つ。
真咲と泉が先に行ってしまったので、わたしは京子と並んで歩いた。
「しっかしまー、お前のねーちゃんモテるな。運動部だとあの宮下以外にも狙っているヤツは多いし。ここ、共学じゃないのにな。──妹としてはそこら辺どうなのよ。わたしのお姉ちゃんを盗らないで! とか思ったりするの?」
「いや別に。勝手にすればって感じ」
「冷たい妹だねえ」
京子は楽しそうに笑った。
「泉のヤツも相変わらずだねえ。昔っからあんな感じなんだっけ?」
「そうだね。だいたいあんな感じだったよ」
そう。昔から泉はあんな感じだ。真咲に近寄る虫には、男女関わらず牙を剥く。
これは予測に過ぎないが、泉は真咲の事が好きなんだと思う。もちろん恋愛的な意味で。わたしの百合脳が告げているから間違いない。
「っていうか急げ、芙雪! チャイム鳴るまであと一分もない!」
「えっ、わ、本当だ」
あの騒動に時間をとられ過ぎたようだ。わたしと京子は廊下を走った。京子はギリギリ間に合ったけど、わたしはあと少しで間に合わなかった。
×××
昼休み。今日もわたしは図書館のお気に入り席にいた。
わたしが手にしているのは、とあるノーベル賞受賞作家の全集のうちの一冊である。この巻に収録されている三作品のうち二作品が、何というか百合的に素晴らしいのだ。
舞台は(多分)昭和の女学校。いわゆる"エス"と呼ばれる女学生同士の疑似姉妹的な関係を扱った物語である。その友情は美しく、また旧字体で書かれた綺麗な言葉遣いも相まって、読めば読むほど当時の環境に浸れるのだ。もう何回読み返したかは分からない。
中学の時からこの物語の存在は知っていたが、何分古いし代表作というほどメジャーではない。絶版だったり中古は高かったりで半ば諦めていた所、この図書室で全集に出会う事が出来た。あの時の驚きと感動は言葉には言い表せないだろう。
物語を読み終わった所で本を閉じ、余韻に浸る。
エス、もしくは某百合界の金字塔ラノベの言葉だとスール、という制度は本当に素晴らしい。どうしてこの学校には無いのだろうか。あれば陰からこっそり愛でるのに。
一つ言っておくと、わたしは別に自分のスールが欲しいわけではない。わたしとスールになりたいというような人がいるとは思えないし、自分から誘えるような積極性も甲斐性もない。真咲なら引く手数多だろうけど。
少し話がそれたけど、つまりわたしは当事者にはならずに、横で静観しているポジションになりたいのだ。
そろそろ掃除の時間という事で、わたしは全集を抱えて本棚に向かった。午後の授業中の妄想はスールネタにしよう、と思った。
×××
夜。今日もわたしはパソコン前に座って、ゲームをしていた。昨日のうちに二人目のヒロインのグッドエンドを見て、またいくつかのエンディングを回収し、今日は三人目のヒロインのルートに取り掛かる所である。
実はわたし、このゲームの中ではビジュアルが公開された時からこの三人目のヒロインが一番好きだったりする。
彼女は主人公の親戚で、主人公の事を妹みたいにずっと可愛がっていた。ビジュアルはクールな女性という感じなのに、主人公に対してはだだ甘だったり、何かとうっかり抜けていたりとギャップもいい。
このゲームの体験版が公開された時には真っ先にダウンロードしたけど、体験版の範囲にこのヒロインだけが登場しなくて、悲しい思いをした事もある。(一応言っておくけど、わたしは別に姉萌え属性ではない。確かにこのゲームの前作での一番好きなヒロインは主人公の従姉だったりもするが、わたしは姉萌えとは断じて違うのだ)
今宵も百合ゲーをしながら更けていく。
わたしの人生は何て素晴らしいのだろうと思った。
芙雪の楽しい百合ライフ。
作中で芙雪が語る作品には、全てモデルがあります。




