次元
23、次元
この宇宙には、人間の知らない、感じることのできない次元が最低10はあるという人がいる。人によっては11次元だという人もいるし、もっとあるという人もいる。それが隣り合って薄い紙一枚のところにあるといってる人もいるくらいだから、ビイちゃんの言うように重なり合っているということもあるかもしれない。
こういう証明のされてない学説っていうのはそれこそごまんとあるわけで、十人十色、何でもありで人の数だけあっていいんだ。
ただ、今証明されているのは4次元まで。空間に時間を足したもの。
でもビイちゃんによると、私達はその上の次元にいるらしいのだ。その二つをつなぐのは黒い渦。
ビイちゃんの作りだした5次元の無人島。
『あたしには、何もなかった』
悔しそうな様子をしたビイちゃんが語りだした。
『生まれることも、大きくなることも出来ない。歩くことも、ご飯を食べることも、笑うことも、泣くことも。こんな姿のままずっとエイちゃんの中で指をくわえて見てるしかなかったんだ。エイちゃんの中にいる限り、欲しいものはエイちゃんのものであたしが触れることはなかった』
「……」
『あたしが勉強していくら頭に詰め込んでも、知識はエイちゃんの中に移動する。見て!』
そう言って辺りを見回す。見えるのはどこまでも続く白い壁と大きな窓。色彩は窓の外。
『そう、何もないの。学んだ物も、もらったものも、感情も……思い出すら。エイちゃんの中には大きな世界があって、時が流れてる。あたしは空っぽ、砂の一粒すら落ちてないんだ』
少し首を傾けて、目は大きく見開かれたまま虚空を見つめる。その思考は平坦で抑揚がない。
『でね、考えたの。あたしも実体を伴って返ることが出来たら空っぽじゃなくなるよね。そしたら、次の次元にも行けるようになるんだ。あたしはこの空間に色とたくさんの世界を詰め込んで次の次元に行くの』
急に焦点を合わせたその大きな眼の眼球だけを動かして私のほうを見る。
『だから、邪魔は、させない』
彼女が不気味な笑いを見せた時、私は見えない何かに吹き飛ばされた。
ガラスにぶつかり床にくず折れる。あまりの衝撃に、目の前はちかちかと星がまたたき、ウワンウワンと耳鳴りがしていた。言うことを聞かない体を懸命に動かすが、横ざまに倒れることしかできなかった。
ビイちゃんの哄笑が反響する中、ようやく目を開けた。くらくらする頭を両手で支えて起き上がる。
『まあ見てなさいよ』
大きな窓から見える風景が動いて、雑な作りの素人ビデオのように見える。空を仰ぐその端に人が見え隠れする。空の角度が変わり、人にズームする。下から見た角度の顔。ああビイちゃんの視線なんだ。
時折り見下ろすその顔は、
「タイ……」
目を真っ赤にしてしばたたかせている。
『わかる?あたしもそうやって見ていたの。気分はどう?』
興味のないテレビを無理やり見せられているみたい。目をそらしても何もない、動かない空間で唯一動いているものに目は向いてしまう。
彼が泣いているのは、私のせい?
外の世界では私は死んでいる。悲しんでくれるんだ。
「冷たくしてごめんねえ。タイにはタイの事情があるのにね」
私も泣けてきた。
『なに言ってんの?彼はただのオス。この島でのたった一つの仕事をしただけじゃない』
冷淡に言ってのける彼女に腹が立った。
「私をレイプするように操作したのはあんたじゃないの!あの時私の中で喜んでたのはあんたね?!」
『そうよ』
「そんなんだから何もないのよ!お母さんもお父さんもあたしも。みんなあなたのことを愛してた!それを受け入れなかったのはビイちゃん、あなたよ!」
『正論ぶちかましたわね』
苦笑交じりにまた話をそらした。
「あなたは自分が賢いと思ってるかもしれないけど、間違ってる。勉強ができるのが賢いんじゃないの。人を操って喜ぶような人は消えてしまえ!」
『強いものが弱いものを操る。当たり前じゃない。甘っちょろいこといって、リーダーが人を導くのと同じことよ』
「違う!」
そうは言ったものの惑わされていた。心は違うと言っているが、頭がそうかもと思わされた。頭が心を支配する。でも違う。どうして違うのと頭が問う。
『なぜ違うの?』
私が黙り込むと、ビイちゃんのバカにした笑いが広い空間に反響した。耳をふさいでも針のように頭につきささる。
「やめて!もう、やめて」
ピタッと音が消え、逆に静寂がうるさかった。ビイちゃんにわかってもらうにはどうしたらいいんだろう。
止まっていると自分の鼓動がうるさいから、広い空間を歩きだした。聞こえるのは私の足音。引き返す時に視界に入る窓の外は、刻々と時が過ぎていた。
『見て!』
目線を落として考えごとをしながら空間の周囲を歩き続ける私に、興奮したビイちゃんの声が聞こえた。顔を上げて辺りを見回すと、真っ白な壁に囲まれて中央辺りに、ぽっちりと赤い点が見えた。そのどす黒い赤色はさっきの足の間の染まった砂の色とおんなじで、嫌な感じがする。
恐る恐る近づくと、5メートルくらいのところでそれ以上は近づけなくなった。
私の喉が鳴る音が他人のもののように聞こえて、体がびくっとした。
それは、まるでロウ人形。血にまみれた赤ん坊。
片腕を思い切り前に突き出し歯を食いしばっている。小さなかわいらしい手は血と粘液のマーブル模様で何かを求めるように掴もうとしている。
恐ろしいほどの執着。これが最初の記憶だなんて……
『これで帰れるよね?』
目を離せないまま、誕生の瞬間を見つめ続けた。そんなに期待を込めて聞かれてもわかんないよ。でもね、さっきと同じ。
心は否定してるよ。
すっかり道がそれていない?そんな思いでつながるの?
そのまま帰ってビイちゃんが誰に受け入れられるの?居場所はどこ?
「悪いけど、私は今のビイちゃんが嫌い」
『なぜ?』
「双子だけど、助けてもらったかもしれないけど、そこでなぜって聞くならずっとわかんないままだよ」
『何を言ってるの』
ビイちゃんの声には怒りがこもる。
『あたしを怒らせたら、ずっとそこに閉じ込めるよ。さもなくばこの島で朽ちることなくさまよい続けなさい』
「勝手にしなさいよ。ああもう十分勝手だったわね」
本当に腹が立っていたのに笑ってしまった。こんなに簡単なことがわからないなんて、永久に近い時を過ごしていたって無意味じゃない!
声がかれるほど、お腹が痛くなるほど、顔が元に戻んないんじゃないかと思うほど笑い続けた。まだまだ笑ってやろうと、大きく息を吸い込んで頬を伝う涙をぬぐった。
え?涙?笑いすぎだよお、もう!
違う、哀しいんだ。
ビイちゃんが哀れで、泣いてるんだ。
こんな簡単なことがわからないなんて……
かわいそうだね。




