強要
17、強要
あれから数日、タイは帰って来たり、不意に消えたりする。帰ってくるたびに情緒不安定な態度をとる彼にほとほと疲れてしまい、一体彼が何をしたいのか考えるのもやめてしまいたかった。
しかし、島での唯一の生存者として、放っておいていいのか悩んでしまう。
優しくすれば突き放され、相手にしないようにすればなにかを持ってくる。そのたびに混乱する私の心を見抜いて、わざとやっているんじゃないかと勘ぐってしまう。
そして、数日後の夜。
その日は新月で、おまけに曇っていて星すら見えない暗い夜だった。気分を高めようと焚き火を盛大に燃やし、大きな炎をあげさせる。しかし、逆に炎の明かりが暗闇を押しやりせめぎ合っていた。私は明かりの範囲から出られずにいた。
彼は丸一日姿を現しておらず、私の頭の中の混乱の中にぽっちりと平安があった。
そして、タイがひっそりと現れた。振りかえると、暗闇の中で立ち尽くしオレンジの揺れる明かりに照らされるタイは、もう以前のタイではない。ひきつる顔に表情はなく、眉間による深いしわが強い葛藤の中にいるのを物語る。
絶えずぶつぶつとひとりごとを言い、まるで想像の中の誰かと諍いを起こしているようだ。
私を見ているようで見ていない。見ていないようで凝視している。
無言のやり取りが交わされる。先に沈黙に耐えかねたのは私だった。
「タイ……」
「それ、返してくれないか」
手をのばしてゆっくりと近づいてくる。こめかみがひくつき極度の緊張を見せる。
「な、何を……なんのこと?」
座ったままじりじりと後退する私に同じ速さでついてくる。
「それだよその指輪」
「これ……あなたの?」
「そうだよ。なぜここにあるのかわからないけど。それがあると困るんだ」
そう行った彼の目は至極まっすぐで苦悶の顔だ。
急いで首から指輪をはずして、投げつけた。傷ついたような顔をする彼の胸に当たった指輪はそのまま落ちるかと思いきや、しっかりと彼の手に握られた。
紐を引きちぎり、指輪の内側を目を細めて見つめる。苦悶の表情は一転して歓喜に変わる。
「これはね、僕の家に伝わる家宝でね。代々嫡男に受け継がれてきたんだよ」
はめてはいけない宝物。証としての紫。
目の前にかざす紫は彼の指を許した。
右手の薬指にはまるその指輪は、いかにも正式な物の手に渡り安堵したかのように光り輝いていた。
彼が己の右手をうっとりと見つめている今のうちにと、四つん這いで急いで逃げだした。
向かうのは海。泳げばまだ逃げられるかもしれないから。
このところまともな食事をしていないせいか、すぐに息が上がってしまう。目の前を星がちらついて、貧血状態でふらふらしながら必死で這う。
西の岩場へ向かおう。出来るなら、北の浅瀬の木の下へそう決めて泳ぎ出した。
「逃げられないよ!」
背後から声が聞こえた。そりゃそうでしょうよ。足先がない私が逃げ切れるなんてはなから思ってないもの。試したかっただけ。
それでも必死に泳いだ。時折潜って場所をくらます。
彼は、猫がネズミをわざと逃がしていたぶるように、私が疲れ果てるのを待っていた。
北の岩場まで。疲れ果てた私を見て、最後の一撃を加えようと彼がよってくる。
私の右手にはげひた笑いで水をはね散らかす彼がいた。最後のチャンスかもしれない。
今だと反動をつけて水の中にするりと潜る。すると、この暗い中よく見えるもんだと感心するくらい正確に私の足首が掴まれた。何とか逃れようと左足で蹴ろうとしたが、届かない。
とうとう、逆さまのままで軽々と引きずり出されて、鼻に大量の海水が入った。
何度となく海に出し入れされて、大量の海水を飲みながら必死で息をついだ。意識がもうろうとして、もうあきらめかけた時だらりと垂れた手に硬いものが当たった。
痛みをこらえてその硬いものを手にした。人差し指が握るのを拒否したがそのほかの指はまだ私の言うことを聞いてそれを握った。
彼はニタニタと笑いながら、足首をつかんだまま私を引きずって陸へ向かう。その間もぶつぶつとひとりごとを言い続ける。
半身が波を受ける状態のまま、足を投げ出されて彼が私の上に覆いかぶさった。
自分のハーフパンツを脱ぎ、私の濡れて肌にくっつくジーンズを力任せに引っ張る。皮膚がめくれたかと思った。そして私の中に無理やり入ろうとする。
「やめて」
力ない声を発しながら、右手に力を込める。
私の情けない顔を見て、首をのけぞらして狂気の宿った笑い声をあげる彼が次に私の顔を覗き込んだとき、最後の力を振り絞った。
両手でかまえた岩を渾身の力を込めて彼の頭に振りおろす。
痺れるような衝撃と、彼の歯の根の合わさる音と、頭骸骨の中をうつろに反響する鈍い音が聞こえた。
白目をむいてがくりと力なく倒れこむ彼の下から、逃げることもできないまま息を切らす。重いからだが私の肺を押しつぶし深く呼吸ができない。
力は使い果たして、腕もすっかりふにゃふにゃになりただ波を受けていた。
目の前が白くなってきて、このままじゃいけないとようやく上半身を引っ張りだし、肺が自由になる。
息ができるようになると色が戻ってきた。ん?色ってことは……
曇天の夜空が晴れた。
見事な星空が白く白く辺りを照らす。
濡れた岩が光る。目の前に差し出した私の人差し指はおかしな方向に垂れさがる。
そして、何の前触れもなく彼が意識を取り戻して私をつかんだ。
頭から多量の血を流して顔も目も真っ赤になっている。怒った狂気が牙をむく。
私の腕を、肩を胸を狂気が噛みつく。彼の血なのか、それとも私のなのかその血は潮と混ざってぬるぬると滑り、
血は私の中へ……
私の頭の中の知らない私が、嬌声を上げる。体は彼を離そうとはしない。
心と体を切り離し今はもう何度も何度も繰り返される彼のその行為が、早く終わってくれることだけを願っている。
目を閉じても、まぶたを白い光が射す。
星は見ている。
薄く目を開けて星を見る。北の空にひときわ明るく輝くのは、彷徨う旅人に方向を示す北極星、ポラリス。
私の行く先もわかればいいのに。
感情の湧かないまま北極星を見ている。
…………あれ?ポラリス?
夜が明けて、眠りこける私を彼が部屋まで運んでいた。体じゅうの筋肉と噛みつかれた跡と、そして何度も繰り返されたあの行為で、痛い。
痛みがあるうちは生きてる証拠だとタカシが言っていたが、そんな生ぬるいもんじゃない。
もう死んでもいいじゃないか、と思ってしまうくらい痛い。
「大丈夫、治すから」
誰ともつかない声が聞こえて、見回しても姿はない。ほっとして、緊張を解く。
今ここにある最良の麻酔薬、意識の消失で苦痛の時間は過ぎて行った。
さらに翌朝、目が覚めてもひとりだった。タイがいないことにほっとする。
人差し指が腫れあがって痛い。ここに来てから一生分のけがをしている。
「ほんとに踏んだり蹴ったりだよ」
つらいことはどこまでも続く。生まれた時から人をくらって生きていたあたしがまともに生きられるはずはないんだ。
おなかが盛大に異論を唱える。痛くても、腹が減る。
いやしい自分が嫌い。
足を引きずりながら、外に出て食料庫を漁る。この間タイがとってきたたくさんのフルーツがもう完熟になっている。お腹がはち切れるほど詰め込んで、海へ入った。
海水が傷に染みる。爪の間や体のあちらこちらにこびりついた、どちらのものともいえない血を洗い流す。
タイはどこへ行ったんだろう。砂浜を見回してもいない。探しに行けるほど回復してないし。かといって怖いと思いながら、帰りを待つなんてしたくない。
腕や肩の歯型を見ながらそう思った。




