北へ!
11、北へ!
さらに時は流れてこの島に流れ着いてから2週間がたっていた。
朝食を終え、この二週間でできたルーチンワークをかたずける。
そのわきで私の献身的な看護と、見事な腕前でタイがほぼ元の調子に戻ったと言っている。
「ミヤ、なんか図々しいこと考えてないか?」
「いえ、ようやくタイを連れていけるので、興奮しております」
「……ま、いっか」
タイはあまり深く考えようとはしないので、気が楽だ。今まで私の周りにいたのは理屈っぽい人ばかりだった。学者ってそんなもんだろうとは思うけど。だからタイみたいな人は新鮮。
あ、タカシは、学者じゃない。れっきとした医者。私が講師で彼が講義を取ってただけ。
「じゃ、行きますか」
すでに準備は万端で、収穫用のかばんと飲み水、念のために杖が二本、ロープを二巻。手造りの斧が一本。救命ボートを切り、熱くした丸石で加工して作った不格好な浮き袋が二つ。
タイが動いていなかった間のことを考えて、荷物の重さは平等にした。
この二週間、まるで己の島のように歩き回った結果、3本の道ができていた。海へ向かう道、島を一周する道、山の頂上へ向かう道。今日は頂上へ向かう道を通って島の北へ。さらにロープが届く範囲でもう一つの島に向かって泳いで行こうという計画なのだ。
タイの様子を見ながら少しゆっくり目に歩いてたけど、思ったより調子は良さそう。
頂上に着くとタイは初めて見る景色に立ち止まった。
「風が強いな」
伸びた髪とひげがなびく。2週間で痩せた体にズボンもシャツもばたばたとはためいていた。
登りでうっすらとかいた汗が冷たい。
「休む?」
「いいや行こう」
そう、上からの景色は精神衛生上あまり良くない。まわりにぐるりと広がる海に北に見える島がひとつ。しかも海には見えない壁があって、私たちは出ることができないときたもんだ。
そして空、海。
望みは北の島とその見えない向こうだけなんだ。
「ゆっくりと行かないと転ぶよ」
北の斜面は砂礫でザラザラとしていて滑りやすい。しかも捉まるものがあまりない。
斜めに這うようにして降りる。
「上からきても止められないから。落ちてこないでね」
「わかった」
ゆっくりと這って行くとだんだんと岩場になる。
ひとまず平らかな部分で休憩を取り腹ごしらえをした。
「真ん中らへんは流れが早そうだな」
じっと海を見つめて言った。
こちらとむこうの間の海は少し盛り上がっているように見える。色も濃く見える。
「やっぱりそう思う?渦はまいてないけど、波の形が変だよね」
「やめたほうがよくないか?」
「タイ、ここまで来てそれはできない。万端の準備をしてきたし。一度だけトライさせて」
「ミヤがボスだからな……」
ボスになんてなったつもりはないけど。あなたよりは長く見てるからね。
「救命ボートと指輪はあのあたりにあったの」
そう言って指差した先は同じような岩ばかりで、漠然と指さすだけ。
そうか指輪預かっといてもらわなくちゃ。流されたら大変。
浮き袋をロープで編みこんで、ミヤの肩にしばりつける。仕方ないけどジーンズを脱いだ。スニーカーの代わりにロープと、ジーンズをひざのところで切った布で作ったサンダルをはいて岩を踏んでみる。うん痛いけど切れるほどじゃない。
ロープをタイに持っていてもらうために来てもらったんだ。いざとなったらひっぱってくれるように。
「じゃ、行ってまいります」
冗談みたいに笑って敬礼した。心配そうな顔してるけど、大丈夫と笑顔でこたえた。
岩場を越えて海に入る。ちゃぷちゃぷとしていた部分と違って、潮の流れはじめたところから突然深くなる。もちろん足はつかないけど浮き袋があるからすごく楽。
冷たい!立ち泳ぎの足元の冷たさが半端ない。
ただもう必死で泳いだ。島から出たい一心で。後ろを振り返ることなく、まっすぐ前を見て。
泳いでも泳いでもただ流されてるようにしか感じなくて、やっぱり無謀だったかもと思い始めたころ、少し近づいた感じがした。
いや、流されつつだけど。がんばれと自分を励ましながらひたすら泳いだ。こうなると二週間歩き続けたのは無駄ではなかったわ。体力がついたから。
明らかに近くなってもう少しでつくんじゃないの?と思ったら足がついた。
「え!?」
浅瀬だった。
予想していた壁はなかった。
「やったー!」
振りかえると遠くでタイが手を振っていた。私も手を大きく振って、聞こえないとは思うけど、着いたよと報告した。
歩く、歩く、木の葉が揺れる。
私は愕然とする。
「島じゃ、ない」
一本の木だった。
モンキーポッドのように大きく張り出した枝々にたくさんの葉がついていて、まるで島のように見えていただけだった。でもモンキーポッドとは葉の形状が全く違うから違う種類の木。大きさはこちらのほうがはるかに大きいけれど。
枝の内側から見ると太陽の光が見えて、スカスカなのがよくわかる。
幹は想像できないくらい太くて、作り物か映画のようだ。見上げていると首が痛くなって、下を見る。
放射状に張り巡らせた根がこの浅瀬を作ってるんだ……
もうため息しか出ない。ここには何もない。ずっと続く浅瀬に生えてる、この大きな木以外は。枝の間から透けて見えるさらに北側は海。幹のところまで歩いて行って、ミヤにしばりつけたロープがぴんと張った。もう限界だ。
力が抜けてしゃがみこんだ。
「なにがなんやら、もう」
眉をひそめてしゃがみこむ私は本当に情けない顔をしていると思う。そう言えば自分の顔もしばらく見ていない。まあとくに見たいほど美しい顔でもないのでかまわないが、情けない顔はしたくない。
「あ、タイ、待たせてるんだった」
結構な時間がたったと思う。落胆の涙をぬぐい木の枝の外に出た。
岩に座り込み、頬杖をついてつまんなそうにしているタイに、腕で大きくバツ印を掲げ、対岸を指さす。
戻るからと言うのは伝わっただろうか?
戻るのは行った時よりも大変だった。タイがひっぱてくれなけりゃ、きっと海に沈んでたと思う。浮き袋も空気が抜け始めてて、市販品みたいに後から息を入れるなんてことができないし。私も消沈して力が出てないから。
「ミヤ!」
力強く私を海から引っ張り上げてくれた。
「どうだった?」
出た言葉は一つだけ、
「島じゃない」
冷たい海で凍える体をタイに摺り寄せてがたがたと震えることしかできなかった。
岩場に上がって、タイに島の様子を伝えた。
「ここにいるしかないのかな?」
私は、疲れていたんだと思う。二週間のハードワークに、睡眠不足、冷たい海での遠泳。そして、希望がついえたことに。世界がたったの二人だけになったことに。
果てのない海を見ることに。
タイの暖かさは魅力的だった。
とても。
緑色の朝、もやがかかった中を一睡もできずに起きだした。私は宗教とか信じてるわけじゃないけど。これはなんとなく信じてた。結婚してからこういうことするんだって。
今は自分が信じられない。タカシと言う婚約者がいるのに、遭難した先でこんなことになって。
もう戻れないと思ったのかな?今のこの孤独を分かちあえるのはタイだけだ、と思ったから?
いくら言い訳を考えても、結局おんなじ。
タカシを裏切った。
北への遠泳の後。タイに抱きつく私をずっとさすっていてくれた。それが、とても暖かくて離れたくなかった。絶望とか、寂しさとか逃れられない思いをお互いの存在で埋め合おうと思ったのかもしれない。
無言でキャンプに戻り、焚き火のそばで食事を取った。少し寝ようと、なかなか暖まらない身体を焚き火のそばで横たえて目をつむったら、涙がでて止まらなくなった。
タイは泣きやまない私の横に来て、おずおずと手を伸ばしてきた。
炎に照らされたタイの顔はとても真剣で、私はその胸に顔をうずめた。人の腕の中がこんなに心地よいものとは知らなくて。
そしてどちらからともなくお互いを求めた。
もう帰れなくてもいいやと投げやりな気分になる。
タイのせいにしたいけど、ちがう。これは私の責任だ。だからタイを責めてはいけない。そう自分に言い聞かせる。
タイは暴走しそうなわたしの心をとめてくれたんだ。そう思い込もうとして。
できない。最低だ。
急に朝日が見たくなって、頂上に向けて走った。もうすぐ太陽が昇る。美しいその瞬間を目に焼き付けるために。この2週間毎日のように登って慣れた道を足元も見ずに上る。薄汚い私の根性を消毒するために。
「急げ、急げ」
自分の尻を叩くように言ったけど、もう東の空は白み始めてこのままじゃ間に合わない。そこで近道をしようといったことのない崖を登った。
ちょっとした気の緩みなんだと思う。十分に注意してれば、回避できたはずなのに。何度か登った崖はしっかりしてたからここもそのはずだって。
この世で一番明るい光が見たくて、焦ってつかんだ石は引っかかってただけだった。
まさかって想いで見つめる右手には握りしめた赤い石が。上を見上げればもう数十センチでたどりつはずのてっぺんに曙光がさしていた。バランスを崩して足を踏み外したら、後は落ちていくだけ。そんなときに不意に思い出したのは、昨日指輪を預けたままだったこと。それを良かったと思ったこと。
最後まで崖にかかっていた左手が体を回転させて、まるで海に向かって飛ぶように落ちていった。
そして、真っ暗に……




