第22話 黄泉帰り
視界いっぱいに広がるのは、見慣れた金属球——そこは星そのものが巨大な研究施設として建造された、学会の本拠地である。
専用の船を降り、靴と床が起こす冷たい金属音を響かせながら連絡通路を歩く。
通路の下、一般研究特殊課では、ある噂が流れていた。
「……あの人が戻ってきたって、本当なの?」
「ああ、間違いない。俺のダチが言っていたんだ。センターシティのあそこの裏道で、真依さんがここの人と話しながら歩いていたんだってよ」
「久しぶりに、こっちに戻ってきてくれたのか!これで、少しは仕事も楽になるかな…?」
「あんたはサボりたいだけでしょ。さ、無駄口は終わりにして仕事に戻るわよ!」
どんな道を歩いたら、この姿を見られなくて済むのか…真依はそんなことを考えながら、いつもの部屋へと向かっていった。
行き先は、この地の最高権力者が待つ最上層の執務室…
自動ドアが左右に開くと、広大な部屋の奥のガラス張りのデスクの向こうに一人の女性が座っていた。この学会を統括する、最高責任者兼真依の同僚である。
「戻ったのね、真依」
その最高責任者は書類から少しだけ目を離し、事務的に真依を迎えた。
「報告は受けたよ。久しぶりの休暇、楽しめた?あなたの弟は?」
「ええ、感謝するわ。弟は…」
思わぬところで、弟の話題が出てきた。風月は、上手くやっているのだろうか…
残響を片付けるという重荷を、将軍たちの助けがあるとはいえあの子1人に任せてしまってよかったのだろうか…?
あの星を離れてから、そんな考えがずっと離れなかった。
「弟は、元気にやっていたわね……」
答えた後にハッとした。カズの手には、学会がその情報を掴めば本気で研究してくるであろう残響の侵食があるのだ。
その情報すらも、目の前の女には渡ってはならない…
「……そう、それはよかった。あなたのラボと研究費は以前のまま保持してある。よしなにしていいよ。今日、明日くらいから通常の研究業務へ復帰してくれればいい」
「………ありがとう」
一応、彼女はここの責任者なのだ。私は一礼し、彼女の執務室を後にした。
与えられた自分のラボに戻り、静まり返った部屋でゲレートを起動する。
暗くなった部屋の宙に浮かび上がる、青いホログラムモニター。数百、数千に昇る数の、研究員から送られてきた数式や報告書があった。
かつての私ならのめり込むようにこの画面と向き合い、時間を忘れて没頭していただろう。ここは知識の宝庫であり、研究者にとっては天国のような星なのだ。
だが………
「……何やってるんだろう、私」
壁にある黒板に数式を書いている途中、彼女の指がピタリと止まった。
こんな最先端のモノに囲まれたところにいても、やはり脳裏に浮かんでくるのはあの星の小さな家……我が弟のことだ。
あの星を救う。家々を、街を侵食する残響を倒す。そんな重大すぎることを、弟一人だけに背負わせている…
それなのに自分はその場を離れて、今すぐにやらなくても良い、ありふれた仕事を淡々とこなすだけ。
(……本当に、こんなことをしていていいのかしら…)
いや、良いはずがない。胸の奥が痛む。
私はカズの「姉さん」なのだ。もしかしたらあの子が傷つき壊れるかもしれないという状況で、自分だけがここで平穏に暮らすなんて…そんな自分を許せるわけがなかった。
カズの元へ戻りたい。あの子の力になりたい。
……けれど、ただ戻るだけじゃダメだということは、理解できた。あの子の右手で起きている異変は、私にとってみても理解できなかった。残響とは、何か…?どうやったらなおるのか…?
もしもあの子が自分の力でどうにもできなくなった時、私に何ができる?
守るための「絶対的な手段」がなければ、戻ったところで一緒に共倒れするだけだ。
私は立ち上がり、一瞬の迷いもなくラボを飛び出した。そして先ほど去ったばかりの最上層の執務室へと舞い戻っていく
『ピッ』という電子音とともに、再びドアが開く。
最高責任者こと彼女は、息を切らせて戻ってきた私を見て、少し驚いたような顔でこちらを見る。
「どうかした?何か用があるの?」
「セレス。私、大きな用事ができたわ。相当な時間離れることになるけど…」
「………そんなことをしたら、一般の研究員が黙っちゃいないわよ。『仲がいいからって優遇してるじゃないか!あの不届きものをおろせ!!』って」
「関係ない。それよりも大切なことよ」
「………わかった、行きなさい。まさか帰ってきてこんなに早く出ていくなんて…あなたはここの地で、1番重要な知的財産。くれぐれも、死んで帰ってくることだけはよして」
「それくらいならいっそのこと、ここを出ていっちゃうから安心して……私の行き先は、私が決める」
「ええ、それがいいと思う………秘書。彼女が帰ってきたというメモデータは取り消して。そして彼女についての噂がかき消されるように、別の噂を」
「はっ。承知いたしました、セレス様。至急手配します」
「真依。どれくらいかかる?」
「そうね……永遠かもしれない。はたまた、帰ってこれるかもしれない」
私は通信機器の着信を感じながら、そんな冗談を言った。
「不謹慎なことを言うようになったわね……そうだ、真依。こっちを見て」
その声に振り向いたとき、彼女の顔は、今のその表情ではなく…昔の、昔のセレスだった。
「いってらっしゃい」
「ええ。いってきます」




