第20話 異常の始まり
「風月……その、手………」
戦いが終わった広場。静まり返った空気の中で、姉さんは俺の右手を見つめたまま、言葉を失っていた。
「あ……」
俺は、貫通した右手を持ち上げてみる。傷口なんてどこにもない。まるで最初から何も刺さっていなかったかのように、紋様だけが手にはあった。だが、問題はそこじゃない。
手のひらにしかなかったその不気味な紋様が、貫いてきた刃に引きずられるようにして手の甲にまで侵食して広がってきていた。
なんで、あれほど深く貫通したのに痛くないんだ? それに、この紋様……
どう考えても、理解できない。だが今は、自分の困惑よりも、目の前で言葉を失って立ち尽くしている姉さんを落ち着かせるほうが重要だった。
「落ちついて、姉さん。この通り、俺は痛くない。原理はよくわからないけど、傷口もないんだ。今すぐに死ぬってわけじゃないからね」
「でも、その紋様……見たことあるわ………残響に触れた人が、そんな傷を負ったって………」
そうだ。この紋様が出現したことを、俺はまだ姉さんに伝えていなかった。
側から見たら、残響の刃によってこの紋様が出現したと見ても仕方のない状況だった。そしてこの紋様が出現した人の多くは、亡くなっていったらしい…
「とにかく!一旦落ち着いて、俺の話を聞いてくれ。いいか、姉さん」
「………わかった」
目の前の姉さんは、いつもの様子からは想像もつかないほどに焦っている様子が窺えた。俺が死ぬのではないか、と思っているようだ。
「まず、俺は前のあの時に、頭に残響の一部が当たった。それなのに、頭にはこういう紋様が生まれなかっただろ?だから、俺にはおそらく残響に対抗する免疫みたいなのがあるんだと思う。今回は刃が手に突き刺さったけど、この紋様が出て来なかったら確実に大怪我だったし、免疫があるからこれ以上広がることもない。だから姉さん。そんなに焦る必要はない」
「そう、ね……」
姉さんは俺の考えを聞いて、大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「よく考えれば、確かにカズの言う通りだわ。ごめんね、こんなに焦っちゃって」
「いや、大丈夫。俺だって、目にした時は焦ったから……そうだ。将軍に、連絡はした?対処できたって」
俺がそう言った直後に、俺たちの間にホログラムが現れた。将軍は、毎回出てくるタイミングがバッチリだ。
「やあ、2人とも。今回はどうだったかな?無事、対処でき……」
将軍の視線が俺の手へ注がれているのに気がついた。そりゃあそうか。目立つもんな、この紋様。
「どうしたんだ、その紋様は…まさか、残響に」
「想像してもらっている通りだよ、将軍。だけど、安心してほしい。少し前からこの紋様はあるけど、未だにほかの人達では報告されているような症状は出てない」
「だとしても、よ。おちついて考えても、その状態は異常なのには変わりないわ」
「…なるほど。風月、その手を見せてくれないか?場合によっては、相応の対応を取らなければならないかもしれない」
「はぁ……別に何ともないんだけど……」
渋々手を差し出すと、将軍は俺の手首を掴んでじっくりと観察した。そして小さく息を吐き出すし、結果を伝える。
「私の指定する医療機関へ行ってくれ。中央の特別研究病院だ。そこで詳しく診てもらうといい」
「病院……ですか?」
「ああ。少し経っているとはいえ、その間はずっと自身の意識を保てていることは、風月の特異点だ。だがたとえその状態で異常はないとしても、残響に侵食された人間として名簿に名を記さなければならない…すまない、面倒なことを指示してしまって」
「大丈夫です。俺だって、自分の身に何かあるなんてことは起こってほしくないので……行っておきます」
指定されたその病院は、地下にあった。
何個もの精密機械で右手をスキャンされ、血液を採取され、謎の波長を測定されること数時間。俺と姉さんは長い廊下のベンチで、診断結果を待っていた。
やがて、白い衣を着た研究員が困惑したような表情で部屋から出てきくる。
「……結論から申し上げますと、その…この手の残響の侵食を受けた人に現れるはずの症状は一切見つかりませんでした」
「だろうな……」
こうなるだろうと、予想はしていた。だが、なぜ…?
「通常であれば、残響の侵食を受けた方は数時間以内には何かしらの症状が出るのですが…数時間経っても出てきていないと言うのは、記録上初めてです。そして、皮膚の組織も、細胞も、血液データも正常そのもの……他の正常な方々と一切変わりありません」
「となると、これはどういうことなんでしょうか……?」
姉さんの問いももっともだ。内部的な症状が出てないけど、外部的な症状はある……頭がこんがらがりそうだ。普通は、逆なのに……
「私たちにも、確実に言えるということはありません…残響は、見つかってから日が浅いのです。今も研究を進めてはいますが、何せ今までと大きく異なる病気でして……いや、病気なのかも怪しいです………これから、どういたしますか?全く症状が出ていないとなるとこちらからも扱いにくいですが、万が一…その、発症したとなると……」
「大丈夫です、先生。俺は、家で過ごします。俺よりも酷い症状のやつは絶対いる上に、もし対抗薬みたいなものが開発されたとしたら、それは症状が出ていない俺よりも他の人に使うべきですし……そもそも、場所をとることすら申し訳ない」
病院を出る頃には、すっかり日が暮れていた。
リビングで静かにご飯を食べ終え、食器を洗う。いつもなら相当賑やかになる、いやうるさくなる我が家も、今夜は静けさに包まれている。
姉さんはどこか遠くを見るような目で黙々と箸を動かしていたし、俺も自分の手が改めて異常であることを感じながら食べることになった。
「……俺、先にお風呂入ってくるね」
「ええ……ゆっくりしなよ。最近は疲れも溜まってるだろうから」
姉さんの声に見送られ、俺はお風呂場へ向かった。
服を脱ぎ、湯船に浸かる。温かい湯が疲れ切った身体に染み渡り、思わず深いため息がこぼれた。湯気に包まれた静かな空間で、俺は湯から右手を引き上げた。
手の甲まで……完全に広がっちゃってるな。
温かいお湯に濡れた右手の甲には、黒く不気味な紋様がはっきりと浮き出ている。見れば見るほど、気味悪くも、美しくも見えてくる。
気になって、俺は左手を伸ばし、右手の甲にある紋様にそっと触れてみた。
その瞬間――。
「っ!?」
頭の中に、直接不気味な声が響き渡った。ノイズの混じった、人のものとは思えない声。
「ん…?どうかした、カズ」
脱衣所の扉越しに、歯を磨きにきていたらしい姉さんの声が飛んできた。ここでまた変なことを言うと、姉さんを心配させかねない…
「なんでもない。ちょっと、鏡に映った俺にびっくりしちゃっただけだよ」
「大丈夫…?相当疲れているんじゃ…きちんと休みなよ。しっかり温まったら、上がりなさい。今日はもう、ちゃんと布団に入って休むのよ?」
「うん、わかった。ありがとう、姉さん」
最近、本当に異変が多い………今夜はもう、姉さんの言う通りにすぐに寝よう。




