第16話 変わっていく日常
姉さんが帰ってきたことで、店の中はいつもの賑やかさを取り戻した。
藤原が手際よく作ってくれた料理がテーブルに並び、3人で囲む食卓はいつも通り温かい。
「はい、カズ。これ、藤原さんが作ってくれたスープ。温かいうちに飲みなさい」
「あ……うん、ありがとう、姉さん」
俺は咄嗟に左手を伸ばしてスプーンを持った。そっとそのスープを口に運ぶ。
そこで俺は、衝撃を受けた。スープが、非常に美味しかったのだ。
もしかすると、俺より料理がうまいのかもしれない…二つの意味で。
「あれ…風月って、左利きだったっけ……?」
自身の食べるスープを運んできた藤原が、不思議そうに首を傾げた。俺は不自然に見えないように、右掌を少し隠す。
「いや……さっき起きた時、ちょっと右腕をベッドの角にぶつけてしまって。大したことないんだけど、少し痺れてるだけだよ」
「あんたってほんと、ドジなんだから。地下で変なことになったばかりなんだから、もっと自分の身体を労りなさいよ」
姉さんは呆れたように息を吐きながらも、俺の体調を本当に心配してくれているのが伝わってきた。
それを真に受けると、嘘をついている罪悪感が、胸の奥を少し痛ませる。
だけど、あの不気味な紋様を見せたら2人がどんな顔をするか……それを考えると、どうしても本当のことは言えなかった。
「……それで、曜玄将軍とは何を話してきたの?」
俺は話題を変えるように、姉さんに尋ねた。姉さんはスプーンを止め、少しだけ真剣な表情になる。
「地下の残響の処理は、将軍の部下が引き受けてくれたわ。ただ……曜玄、あんたとあの剣のこと、かなり気にしてた。『見たこともない様子だった』、『目がおかしかった』って」
「そっか……」
不可抗力だったとは言え、急に襲いかかってきた俺をいまだに見捨てずに心配してくれている将軍には、本当に頭が上がらない。
契約を結ぶ時のあの条件を、こちらから願い下げたいほどだ。
「カズ。あんたに何が起きているのか、私はまだ何も知らない。だけど……何があっても、私はカズの姉さんだから。それだけは忘れないでね」
「……うん」
その言葉が、今の俺には酷く眩しくて、同時に少しだけ怖かった。
星間を巻き込んだ代償が星を壊すこと…夢の中の俺(?)が言っていた言葉が、呪いのように頭の中で繰り返される。
食事が終わり、藤原を見送ってから、俺は再び自分の部屋へと戻った。
部屋の明かりを消し、月明かりだけが頼りの暗闇の中で、ゆっくりと右手の袖を捲り上げる。
「っ……!」
思わず、短い悲鳴が漏れそうになった。今になって、手の中の痛みがリアルに伝わってくる。
俺、これからどうなっていくんだろうか…?気絶時や夢で見たあの人物たちは、全員俺に似ていた。
ふと、一抹の不安が頭をよぎったが……今、そんな心配をしても意味はないか。
よし、気分転換にでも屋上に行こう。
俺は階段を上がって屋上へと続く道を進んでいった。
最近は非日常的なことが続きすぎて、渡月とも顔を合わせられてない。いい機会だ、今日はゆっくりしよう。
「おーい。渡月、いるか?」
俺が声をかけると、渡月は少しだけ鳴き声を漏らした。どうやら、最近はあまり来れていないことに怒っているようだ。
「ごめんって……ほら、これ」
俺はまた、いつもの皿に猫用のご飯を乗せた。それを確認した渡月は少しずつこちらへ歩み寄り、ゆっくりと食べ始める。
その背中を撫でようと、左手を差し伸べてみた。触るとわかる、この気持ちよさ。野良猫とは思えない、いい毛並みをしている。
しばらくして、渡月はご飯を美味しそうに平らげた。満足したのか、小さく喉を鳴らしている。
「よしよし、お腹いっぱいになったか?」
愛らしいその姿に少しだけ心が軽くなり、先ほどのことまでを忘れて笑みが零れた。俺はいつものように抱っこしてやろうと、両手で渡月の体を掴みにいった。
その瞬間、渡月の身体がびくっと強張る。
「え……?」
差し出した俺の手を、渡月は丸くなった瞳で見つめてきた。
次の瞬間、渡月は見たこともないような低い声で激しく威嚇の声を上げ、全身の毛を逆立てる。
「渡月……?」
突然の出来事に動きが止まる俺をよそに、渡月は怯えたように後ずさり、そのまま夜闇の向こうへと一目散に逃げ去っていった。パタパタと軽い足音が虚しく響き、すぐに辺りは無音になる。
まさか、俺が寝ている間に何か藤原に刺激臭のするものでもなすりつけられたか?
いや、あんなに心配してくれてた奴がやるわけないか。じゃあなぜ…?俺は自分の両手を眺めてみる。
俺は理由に気がつくと、生気が口から漏れ出ていくのがわかった。
「そっか、そういうこと、か…………」




