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57話 オールヴォワール

『なっ……、たかが刀が、人間の刀が……!』


 ヤマタノオロチは驚愕を隠し切れず、絶叫した。


 同時に痛みも襲ってきたのか頭を抱えてうずくまる。


 その姿を前に、陽之衛は静かに刀を鞘に這わせて戻している。


 彼の背後に切られた尾がドスン、と地響きを伴って落ちた。


 衝撃が収まるまで待った陽之衛が短く息を吐き、視線を鋭くする。


 親友から借りた刀で真っ二つに切って見せたのだ。


 アメノハバギリではなく、蛇が言う通り〝人間〟の刀を使って神話の怪物に傷を負わせた。


「たかが、はこっちのセリフだよ。いま自分がどういう状態なのかまさか気づいてないの?」


 反論しようとにらみつけたヤマタノオロチは、陽之衛の視線が己の背後に集中していると気づいた。


 話しかけているのはこちらではない。


 さらに苛立ちと怒りが沸き上がり、咆哮をあげると黒蛇をけしかけるために腕を空に伸ばした。


 暴力に溺れる蛇たちに陽之衛はため息を吐く。


 そう、彼の指摘通り、それは本当に気づいていなかった。


 自分が今どういう状態なのかも、正体そのものにもだ。


「斬れたおかげで俺は確信したよ。瑞兎がちゃんと役目を果たしたってこと」


 陽之衛はもう一度刀を抜き、切っ先をヤマタノオロチへまっすぐに向ける。


 彼の視線はずっと拝殿を隠している黒蛇に向けられ続けていた。


 あちこちから黒い飛沫を飛ばし、いまにも崩れそうな体をなんとか維持している宿敵の姿は痛々しい。


 早く楽にしてやらなければかわいそうだ。


 そのためにしっかりと構えを取る。


 ヤマタノオロチが黒い血を吐き出しながらも腕を振った。


 蛇の体がうごめき、生えてきた細い腕が陽之衛をとらえようとする。


 しかしまたもあっさりと斬り落とした。


 二度も斬られたことにいよいよオロチも異常だと察し始めてきたらしい。


 なによりも斬られた腕たちは木の枝よりも柔らかく、刃が触れたところから緑が芽吹いてきている。


 落ちた腕は〝枯れ葦〟が刈られたあとのように葦に覆われ、儚く消えていったのだ。


 その光景にヤマタノオロチは言葉を失い、信じられないと言いたげに何度もかぶりを振った。


 多くの葦を飲み込み力を蓄えたそれに敵うのは神だけのはずだった。


 だから姿を現して、最後の仕上げにスサノオの依り代を確実に仕留めるためにこうしてここに立っているのだ。


 あとはあの小僧を痛めつけて、食ってしまえば終わりだと勝利が目前まで見えていた。


 哀れんだため息がオロチの耳に届く。


 その瞬間に思い出した。


 この青年はスサノオだ。


 こちらに向けてきた視線は冷酷で、けれど自信に満ちている。


 もう勝負はついたと笑う。


 ──斬られる。やられる。退治される。


 肌のヒビが崩れて地面に落ちた。


 ゆっくりと歩み寄ってきた陽之衛に突然恐怖を感じ始め、膝が震えたせいで地面に座り込んでしまう。


 そうだった。あの葦の能力は調べが済んでいた。


 枯れた葦の正体を暴き、正常なものと切り分けることができる。


 それがどうした。


『オレは、ヤマタノオロチだ……。葦じゃない。正体などない』


 だがさきほど斬られた腕も尾も、枯れ葦が正常へと戻るために草に覆われるのとまったく同じだとついに自覚してしまった。


 後ろの蛇も力の象徴などではない。


 ぼたぼたと真上から落ちる泥に重みが増していく。


 瑞兎が正体を暴いたということは泥は病気として切り離される。


 これではまるで葦だ。枯れ葦だ。


 ヤマタノオロチだと思い込んだ、たかが葦の戯言だとでも言うのか。ならいままで食ってきたやつらは、その意味は何だったんだ。


 とっくに枯れていただけだと言いたいのか。


 きれいに手入れされた革靴が目の先に止まった。


 ヒュ、とオロチの喉から空気を切り裂くように鳴る。


「陽之衛様」と遠くから閉じ込めていたあの葦が澄んだ声で目の前の主人の名を呼んだ。


「葦をお救いください。刈りのときでございます」


 うなずいた陽之衛が刀を真横に一閃振りきる。


 キン、と鋭い切っ先の音にオロチの呼吸が一瞬だけ制止した。


 だが胴体と首はくっついたままだ。


 肌を撫でてから慌てて後ろに振り向く。


 案の定泥の蛇は叫ぶことなく緑に包まれていた。


 美しく青々と活気に満ちた葉がざわめきを奏でる。


 そして赤穂の稲が実り、風に揺れた。


 陽之衛はじっと見つめてから、刀をおさめ、肌のヒビや黒くなりかけた部分が元に戻っていく葦へやっと視線を合わせた。


「そうだよ、ヒサベル。貴女も葦だったんだ」


 その言葉を聞き、噛みついてやるつもりだったのかと勢いよく彼女は立ち上がったが、陽之衛に近づくこともなく地面に倒れる。


「どこでわかったの」とヒサベルが瞼を閉じかけながら問いかけた。


 陽之衛は苦笑して彼女の背を撫でてやりながら、子守唄を聞かせるような優しい声で彼女に応える。


「神様たちは人間の世界に直接来られないから葦が必要なんだ。それはヤマタノオロチ、神話のものだって同じだよ」


 そう、と彼女は小さくうなずいて陽之衛を真似して苦笑する。


「運命って残酷ね」


「どうかな。俺は信じていないから」


「ふふ、やっぱり今回も負けちゃった。さようなら、若様」

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