42話 きまずい二人
窓から吹いてきた風が瑞兎の前髪を揺らした。
気まずい時間が流れている。二人とも声を出すことはせず、布団の上に視線をとどめて長い間、様子を伺っていた。
話を切り出すきっかけが見つからず、陽之衛が帰ってくるまで黙ったままでいるつもりなのだろうか。
しかしもちろんそんなことは許されないから、瑞兎は深呼吸をして脳に酸素を回す。
改めて将志郎を観察してみることにした。
緊張した面持ちで無事だった方の手は挙を作り、腿の上に置かれている。
こちらに視線をやろうとするが、思うところがあるのかすぐにそらしてもごもごと口を動かした。
なにか言いたげなのは伝わってくる。
もしかしてこの部屋からもう去りたいのかもしれない。
彼に経験させてしまった出来事の数々は本来であれば避けるべきものだった。
用心棒になるからと連れて行くべきではなかったし、葦だと明かしたのも、なにより陽之衛のもう一つの姿を見せてしまったのも決してあってはならない。
(私がこの人の立場だったら、あんな怖い思いをしたら関わりを断ちたいだろうな)
薄く息を吐いて枕に頭を沈める。
やはりいますぐ区切りをつけて立ち去りたいはずだ。
付き合っていられないと怒ってもいい。
大ケガをさせた上に記憶を消していたのが判明したのだから、信頼も信用も失って当然だろう。
バチン、と将志郎と目が合う。
やはりそらされて、重い空気が漂い始めた。
説明したとしても、彼にはきっと夢を見ていたんだとすべて忘れてしまって欲しい。
でも言わなければ、陽之衛の指示に背くことになる。逡巡のあと、瑞兎は「あの」と咳混じりに声をかけた。
将志郎がわずかに身を乗り出して布団に手を置いた。
「私のこと、怖いでしょう?」
口から出た問いに自分自身で驚く。
違う。
きちんと自分たちの説明をするつもりだったのに、なにを気を引くような言い方をしているんだ。
奥歯を噛んで言葉を止めようとしたけれど、堰を切ったように流れ出していく。
「人間じゃないと知って、気持ち悪いと思いましたか。いまも一緒にいたくはないですよね。ずっと騙してきたんですから、憤っているのもわかります」
目が熱くなってきて耐えられず、また頬に熱いものが伝う。
枕に押し付けて見せないようにした。
泣いていい立場じゃない。
でも止まらなくなり、ぐすぐすと鼻を鳴らして肩を揺らす。
真っ暗な視界の中に初めて陽之衛から将志郎を紹介してもらったときの光景が脳内によぎった。
緊張した徒者にも優しく声をかけてきた男性らしい低い声は、初めて耳にしたときもときめいたのを鮮明に覚えている。
友人として陽之衛と変わらない態度で接してくれた。
必ずうさぎの意匠が入ったお土産を持ってきて、照れくさそうに「陽之衛には内緒だよ」と微笑んでいた。
まるで自分は特別な人だと勘違いしてしまいそうなほど甘やかされるのが心地よかった。
話した内容はほとんど空で言えるほど記憶している。
パーラーや本屋にもつれていってくれたし、なにより大きな手に撫でられるのも、黒曜石のようなきれいな目に見つめられるのも大好きで、いつも夢を見ているみたいだった。
「瑞兎……」
布団越しに背中を叩かれる。
ビク、と体を跳ねさせてさらに中に潜った。
この関係がついに終わりを迎えるのが悲しくて、次から次へと涙が出てくる。
迷惑になるからと抱いている淡い気持ちは墓まで持っていくつもりだったのに、もっとむごいものが露見したのだ。
鼻を強めにすすれば布団がめくられ、差した光がまぶしくて目を細めた。
「ちゃんと話をしよう、瑞兎。俺は怖いだなんて思わなかったよ。二人について行ったのも俺が決めたんだからケガは自業自得だ。そんなに泣くな」
完全に布団が上からどいて、将志郎が苦笑しているのが視界に飛び込んでくる。
ハンカチで涙と鼻水を丁寧に拭かれた。
ぐしゃぐしゃに髪も顔も乱れた瑞兎を見れたのが珍しいのか、どこかうれしそうに将志郎は話を続ける。
「俺はあの高千穂陽之衛の親友をやっているんだ。教室を爆破しかけたり池の水を全部干上がらせたり、あげくに徒党を組んで校長を失脚させようとしたりする若様のな」
「そんなことをしているんですか!?」
「学校を占拠してなにか怪しい儀式を行っていたこともあるぞ。なんでも悪魔を呼んでみたいって、全員の血をちょっとずつ集めて、飼育小屋のうさぎを供物に捧げて。でも出てこなかったな。うさぎはあとでみんなで食ったけど、あまりいい気分じゃなかった」
絶句する。
学校でどんなことをしているかはまったく関与しないよう努めていたが、これからは変えた方がいいかもしれない。
あの人も考えてみれば有名な政治家の息子だから教師たちも隠ぺいに必死なのだろう。
それにしても悪魔召喚、どんなものか知らないが恐ろしい響きのものを学校でもやっていたなんて。
そういえば家で同じような儀式をしたことがあった気がする。
あの時も失敗していたのを思い出し、喉の奥にすっぱいものが込みあがってきた。
将志郎もよく付き合えるものだと感心と尊敬の念を向けると、また照れくさそうにはにかんだ。
「それに比べれば瑞兎はいまもほとんど人間と姿が変わらないし、怖がる方が無理だな。厄介なことを思いついたあいつの方が怖いよ。あ、鼻水垂れてる。ほら、かんで」
「あぇ……」
「それじゃ説明してもらおうか。葦と陽之衛のこと。あの化け物は何だったのか。それでどうして俺は記憶を消されなくちゃならないんだ?」
「その、」と言いよどみつつ、もらったハンカチで鼻をかんでから上半身を起こした。「全部話すには時間がかかります。信じがたいかも、っ!」
「構わない。いまは長く瑞兎のそばにいたいから、ちょうどいいよ」
ぎゅ、と手を握られる。
将志郎の大きな手は固く骨ばっていて瑞兎の細い指とは大違いだ。
顔がどんどん近づいてきて思わず腰を引けば、ベッドの支えがきしんだ。
ふっと息を吹き出した将志郎がいたずらっぽく口角を上げて、椅子からベッドに移動すると腰をかけてくる。
積極的な態度にドキドキと勝手に胸が弾み始めたから撫でて落ち着かせようとしたが、それも彼に阻まれる。
唖然と口を開けば、両頬をむにっと指ではさまれた。
「陽之衛がちょっかいかけるのもわかるなぁ。困らせたくなる」
「ふっ、ふざけないで聞くならちゃんと聞いてください!」
手を剥がして叫べば、ドアから看護師が顔をのぞかせた。
どうやらうるさくしすぎたらしい。
恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら咳ばらいをして、表情筋に力を入れる。
また風が吹いてきた。どこか部屋の空気が冷たくなった気がして唇が少し震える。




