40話 横暴なんだから…
無数の白い旗がひらめいている。
ひらひらと風を受け流し、優雅なそれは地面に影を作っていた。
まるでなにかを守っているように、いや隠しているみたいだ。
触ってみたくて手を伸ばしたけれど、するっとかわされる。
そうしている間に名前を呼ばれたから後ろに振り向いた。
耳には波の音がひっきりなしに聞こえていて、鼻につく潮の匂いは初めて嗅いだから変な感じで、葦の草原はどこまでも続いている。
上品な着物の大人が僕にやさしく笑いかけた。
「満足しましたか。でも潮風は風邪をひきますから、戻りましょう」
海の方をもう一度見る。
なんだか夢を見ているみたいだ。
目の前の景色は現実みがなくて、空気も音も本当は存在していないんじゃないかな、って思ってしまうほど。
何かに包み込まれているみたいに頭がふわふわする。
そもそもどうして僕はここにいるんだっけ。
あれ、なにも思い出せない。
葦が風に揺れている。
手に当たってくすぐったい。
急かされている気がして歩き出した。
目の前を歩く人の名前は何だったかな。
「瑞兎。ほら、早く来なさい」
伸ばされた手を掴もうと、足を速めた。
でもなんだか違和感がある。
うまく前に進めなくなってきたのか、走っているつもりなのに周りの景色がゆっくりと通り過ぎるんだ。
その間にも彼はどんどん先に行ってしまう。
「待って」
声をかけてみても反響しているから届いておらず、待って、と繰り返した。
一生懸命手を前に突き出しているのにつかめず、込上がってきた心細さに視界が潤む。
海から遠ざかったのか波の音は消え去っていた。
代わりになにかが地面を這いよる音が背後から聞こえ、うっかり足を止める。
なんだろうと確認する前に葦原にくねくねした跡ができているのがわかり、ゾク、と背筋が凍った。
すさまじい速度で進んでいた影が真横から飛び出した。
白いひも状のような、しかしすぐに正体に見当がつく。
だってそれが彼に絡みついたからだ。
蛇だった。
大きな真っ白の蛇が人を締め上げている。
あ、と一呼吸のうちに優しかったあの人は肌が真っ黒に溶け始め、泥の塊になってしまった。
「うそ、」と零した言葉が地面に落ちる前に、黒い塊は蛇にぱくんと食べられた。
信じられない光景に驚いたのに悲鳴もでなくて、尻もちをついて大きくなっていく蛇を茫然と眺める。
逃げるという選択肢も浮かばずに震えるしかできず、そんな僕を見下ろして塊を飲み込んだ蛇は笑った。
そしてめりめりといくつもの顔が生えてきて、耳障りな鳴き声をあげて暴れ始める。
尾が地面を壊す。葦が枯れていく。
怖くて、僕は体を抱えて泣きじゃくった。
目を閉じて「助けて!」と喉が痛くなるまで叫び続けた。
このまま死んじゃうんだ。
けれど暴行は突然止まった。
ハ、と目を開けると前には大きな人が立っていた。
手には刀を持っていて、赤い血が滴っている。
すると、ドスン、と重たいものが落ちる音がその人の向こうから聞こえて、地面が少し揺れた。
男の人が振り向く。
だれかの顔と重なった。
どこからかやってきたねずみが膝の上で心配そうに顔を覗き込んできている。
「……──と」
また誰かに声をかけられる。
目の前にあった景色は白い煙に包まれて、見えなくなった。
「……みずのと、起きて」
悲しいという感情だけが残って、胸が苦しくなる。
助けられなかった。
だれかを助けられたことなんて一度もなかった。
ずっと失ってばかりだ。
「おいこら。俺のこと無視するの? 瑞兎のくせに? さっさと起きろバカ!」




