35話 ハジマル
漂っていた空気が突然動き出したような音に、将志郎が目をこすってから視線を鋭くする。
瑞兎は初めて見た表情だ。
彼は普段ずっと優し気な甘い視線を瑞兎へ向けてくる。
まさに武士という整った顔に、はしたなく心拍数が上がったので胸を思い切りどついて落ち着かせる。
「まずはだれが俺たちを閉じ込めたのかを探さないと。きっかけは明らかに聞こえてきた子どもの笑い声だ。どっちからしたんだっけ」
「社の奥からです。将志郎さん、大変申し訳ないのですがもしものときはその木刀で私たちを守ってくださいませんか?」
「も、もちろん。幽霊でも妖怪でもなんでも撃退してみせるよ」
「うわ、やる気満々だ。もっと慌てふためくかと思ったのに冷静なんだ」
からかうように言った陽之衛をジロッとにらんでから木刀の先端で地面を突く。
「侍たるもの頼まれれば力をふるうものだ。危なくなったらお前も俺の後ろに隠れてていいぞ」
「だっさ。瑞兎にお願いされてはしゃいでるだけのくせに。イキリ志郎」
「あ? なんか言ったか、あほ之衛」
「どうして二人が喧嘩を始めるんです……。あ、また」
胸もとを掴みあった青年たちは瑞兎の呆れ声で止まるが、その瞬間に笑い声が遠くから聞こえてきた。
呑気にしていた彼らにも緊張感が戻り、襟を整えて四人で声の方へ向かってみる。
そこまで境内は広くはない。
社殿の裏手に回り込んでみるも至って普通だ。
崩れた壁が痛々しいが、建物の中も空だった。
「外れだ」と将志郎が肩をすくめる。
覗いていた場所から離れて木刀を握り直した。
「陽之衛が言う異界とやらにはまったく思えないほど、なにも変わらないな」
とにかく少しでも手がかりを見つけ出さねばという焦りが嫌な予感を加速させた。
背後にあるうっそうとする森がザワザワと不気味に木々を揺らす。
子どもの声も合わさり、どこか嘲笑われている気がした。
早く見つけに来い、こっちだと笑い声は時折聞こえてくるのに合わせて辺りの散策を続けた。
『アハハ!』
またも突然だった。社殿から離れて森に近くなったところでようやく笑い声がはっきりと聞こえたのだ。
ハ、と四人は足を止めて詳しく調べると足元にボロボロになった祠が鎮座していた。
いたって何の変哲もない木祠だが、子どもがひとりくらいなら入っていてもおかしくはない大きさだ。
『ウフフ、フフッ』
『ミツカッタ、ミツカッタ』
声に合わせて祠が揺れる。
八重が悲鳴をあげて瑞兎の後ろに隠れ、歯をガチガチと鳴らす。
聞こえてきた声に、彼女の中で膨らんでいた恐怖にいよいよ飲み込まれてしまいそうなのだろう。
それは普通の農村で手伝いをする少女にはあまりに恐ろしい現象だった。
きっと自分が葦だと気づいてからずっと抱えていた不安だ。
人ならざるものの存在はほとんどの場合害をもたらす。
そして異様な雰囲気が〝本物〟だと葦だからこそ察せてしまう。
瑞兎の袖を必死に引っ張り、逃げようと伝えてきた。
この後に起こるさらなる怪現象を感じ取っていたのかもしれない。
しかし陽之衛は、怯える少女に向かってかぶりを振った。
この祠以外に手がかりはなく、現状を打破するには祠の扉を開けて中を検める必要がある。
陽之衛も同じ考えで、「やめて」と悲痛に叫んだ八重を無視し、陽之衛が扉に手をかけた。
吉と出るか、凶と出るか、はたまた藪から──。




