3話 ところ変わって若様は
口うるさい世話役のせいで耳が痛くなった陽之衛は、耳たぶを揉みながら電車を待っていた。
しかしいざ乗る前に駅を見回していると新聞を持った少年が横でたたずんでいるのに気づき、驚いて少しだけ足が浮いた。
無言で見つめあっていたが、買ってほしそうな彼の熱視線に負け、気まぐれに新聞を一部買ってみる。
普段はまったく読む気が起きないが、なぜだか今日は世情に目を向けてみようと思ったのだ。
ちゃんとしろと騒ぐ瑞兎の呪い、もとい願いの効果だろうか。
ちょうど到着した電車に乗り込み、窓越しに頭を何度も下げている少年に手を振った。
どちらにせよ良いことをすると気持ちも軽やかになる。
なのに新聞を広げてみれば面白くない話題ばかりだ。
やれやれと人間たちの行いに呆れながらななめ読みしていけば、とある記事に不意に視線が止まった。
「ツチノコ発見次第、五十円贈呈シマス?」
思わず読み上げれば数人がこちらを向いたので、にこりと笑顔を返した。
これはなかなか面白い話題だ。今度もし時間があれば瑞兎と一緒に探してみようか。
彼の力が役に立つかもしれない。さらに頁をめくってみる。
『女学生ニ謎ノ傷跡デキル。警察ハ調査難航』
ほんの小さな記事だが、そこだけはっきりと光って見えた。陽之衛は読み込むために顔を近づける。
少女たちの足首に刃物で切られたような傷ができる些細な事件が多発しているそうだ。
嫁入り前のうら若き乙女たちに襲い掛かった不幸に、家族や学校も心配が尽きず、しかし警察も手を焼いているらしい。
なぜなら少女たちはだれも「切られた覚えがない」と証言しているから、となんとも不可解である。
ははぁん、と目を細めて口角を上げた。まるでいたずらが思いついたと言いたげな顔をしている。
(これもいい話題だ。なにより俺好み)
そこだけあとで切り取っておくことを決め、新聞を畳むと隣に見知らぬ女性が座っていた。
さきほどまでいなかったはずだから、ドキッと心臓がわずかに跳ねる。
彼女は外国人だった。すらりと細く長い足を組み、レースの手袋をした手は英語の題字が書かれた本の上に置いてある。
帽子を目深くかぶっているから表情は読めないが、ちらりと確認できる口元はゆったりと弧を描き微笑んでいた。
「ご機嫌よう」と流ちょうな日本語で話しかけられ、陽之衛も「ご機嫌よう」と返す。
「さきほどツチノコのトピックスが貴方から聞こえましたわ」
「えぇ、読み上げましたので」
「お好きなの?」
もう一度視線だけ女性に移す。馴れ馴れしい態度に眉間にしわが寄った。
なにかを探るような声色なのは気づいている。土足で踏み込まれた感覚に陽之衛は警戒心を強くした。
本の題名を読み取ろうとしたが、さすがにわからなかった。
「こんな時代ですから、興味はありますよ」と一息置いてから、『あなたもそうなのですか?』と英語で笑いかける。
女は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに余裕のある雰囲気で「えぇ」とうなずいた。
「わたくしも興味があってこの国に来ましたのよ。もし、なにかご存じだったらぜひ教えて欲しいわ。そうね、例えば……、最近噂になっているあることについて質問しても?」
「もちろん、どうぞ。レディ」
「ふふ、マナーがいいこと。では『高千穂よろづ事務所』について、どうかしら? 知っていらして?」
ピク、と陽之衛の瞼が震える。
女の目は窓の外の景色を眺めたままだったから気づかれなくて済んだ。
「いえ、まったく。どんな事務所なんですか?」
「なんでも、オカルトの事件を扱うとか。所長は青年で、事件を解決する時に推理はせず、まるで最初からすべてわかっていたみたいにあっさり解いてしまって、悪いものをお祓いするようだと聞きました」
「なるほど、だったら陰陽師みたいなものですかね。そういう類なら今の日本にもたくさん残っていますよ」
『どうかしら』と女性がこちらを向く。その目は透明と錯覚するほどきれいな翡翠色だ。妖艶な唇は弧になったまま血のように赤い。
「もしなにか情報がありましたら、ここに連絡してくださいまし。わたくし、日本のオカルトカルチャーについて編纂していますの」
名刺を膝の上に置かれ、揺れで落ちかけたせいで慌てて掴んでいた。
チ、と舌打ちを聞こえない程度にしてから何の変哲もない紙を確かめてみる。
『Hisabelle・Carter』と書かれている。
なにか察した彼女が「ヒサベルよ」と丁寧に発音してくれたが、サ、の音が蛇の鳴き声に近く聞こえた。
「お名前は?」
「教えられるほど仲良くなった気はしていませんが」
「手厳しいのね。あら、残念、時間ですわ。さようなら、──若様」
それは陽之衛のことを知っているごくわずかな者が使う愛称だった。
さすがに反応せざるを得ず、聞き返そうとした瞬間にリンリンと鐘が鳴った。
「銀座、銀座」と車掌が静かに告げる。目的地だ。降りなければ学校に遅刻してしまうし、サボったともなれば罰として瑞兎に夕飯を抜かれる。
仕方なく、陽之衛は警戒しながらゆっくりと立ち上がるが、女は席を立たなかった。
もうすでに興味をなくしたのか本を読み始めている。
人が多く行き交う駅へ降りる。
電車が無事に発車したのを見届けてからもらった名刺を乱暴に衣嚢へ突っ込んだ。
それにしても、と顎をさする。
彼女はおそらくこちらについて見当がついているから話しかけてきたに違いない。
けれど質問以外はとくに変わったことはしてこなかった。
何者だろうか。あとで調べてみよう。
変なヤツに声をかけられるとは、たまには世の中の話題を気にしてみるのも面白いものだ。
それに、どこか懐かしさもほんの少しだけ感じた。
外国人の知り合いなんていなければ、会ったこともないはずなのに。
「オカルトね……」
口に出してみると背中がぶるっと震えた。
これはあまり悪いことが起こる前兆なのだが、指を数回鳴らしてから、学校へと向かい歩き始める。
すると警察が一人肩をぶつけてきた。
「ん?」と振り向くと、警察官は陽之衛に文が結ばれたサカキの枝を差し出した。
密会で約束のものを渡すような仕草に、陽之衛の目が爛々と輝き、待ってました、と言わんばかりにすぐさま枝を受け取った。
「依頼をお持ちしました、高千穂殿」
枝を渡すと警察官は軽く頭を下げてその場を後にする。
雑踏の中、わずかながらのやり取りに気づく者はいなかった。




