26話 であえであえ
悲鳴とともに異形が後ずさっていくのがはっきりと見えた。
突然の事態に呆然とした瑞兎も、すぐに好機が来たと意識を戻して手の残骸を解き、立ち上がって異形と距離を取る。
恐怖に飲まれそうにな気持ちを落ち着かせ、舞うために夜風に胸もとをさらした。
冷たい風が緊張して熱を持った肌に心地よく当たる。
光が満ち、ようやく異形の姿もまじまじ確認することができた。こうなれば恐れは引いていく。
黒い球体は人間の体に張り付いていた。
塊の下にいたのは着物の少女だ。
絶叫に近い声で瑞兎は名を呼んだ。
「夢子様!?」
ツンと高飛車だった鼻は下に向けられ、勝色だった目はうつろに光が消えている。
上品に着付けられていた着物は黒色が染み汚れ始めていた。
きめの細かい肌に青い血管が浮かび上がり、口からは嗚咽を繰り返している。
苦しんでいるのが伝わるほど悲痛な声だ。
球体から落ちてきているどろりとした泥が夢子の体をさらに汚す。
さらによく見ると、彼女の肌にはやはり締め付けられたような跡がまざまざと残っていた。
蠢いている錯覚をした。
痛々しく、締まるたびに夢子が苦しそうに喘ぐ。
その無残な姿に瑞兎の舞の調子が一瞬だけ崩れた。
咎めるようにまた発砲の音が響いた。
ハ、と意識を集中させる。
ただ動揺が収まったわけではなく、瑞兎は苦悶の表情で舞う。
ダン、と足を鳴らした。集束していた光が爆ぜる。
瑞兎は手を伸ばして、ぐっと拳を作ると掬い上げる動きで腕を上空の方へあげた。
その動きに合わさって球体と少女の体が分離する。
ようやく夢子の体は自由になった。
地面に叩きつけられるように倒れる。
すでに意識は飛んでいるらしく逃げる様子はない。
安全を確保するために瑞兎が急いで彼女の元へ走りだすが、切り離された球体が真上で絶叫したために空気が震えた。
ようやく正体を暴くことができた──。
それは瑞兎だけに許された特別な力で、どの神から恩恵を受けたのかあらわにする。
枯れると神の恩恵を受けられず、病そのものになるから刈る。
引き剥がすことで元に戻るのだ。
決してだれもかれもができることではない、はずだった。
(やっぱりだれかが無理やり枯れた部分を〝刈り取ろうとした〟んだ!)
ありえないことだ。
恐ろしい感情に飲み込まれそうになり、一気に吐き気が込みあがってくる。
瑞兎が認識したがゆえに、枯れ葦のすべてが流れ込んでくる。
しかしきちんと確認する前にバキバキと球体が異様な音を立て始め、人型になっていくのが目の端がとらえた。
夢子を抱きかかえた瑞兎もうなじを擦るも、さきほどぶつけたときの痛みが強くなってきているせいで痺れてうまく刀を出すことができない。
クソ、と悪態をつけば背後に気配を感じて振り返った。
陽之衛がようやく出てきてくれた。
だがその顔は瑞兎と同じく強張っている。
「そんな……」と彼が動揺をつぶやきにして零した。
その隙を狙った銃弾が後ろから、陽之衛の頬を傷つけながら球体に命中する。
影の方、烏の声と羽ばたきが聞こえた。
暗闇から八咫が銃を構えながら現れ、陽之衛の横に立った。
冷静な彼女ですら、その異様な光景に驚いている様子だった。
『アアァァァ! ニクい、憎イ、ニクイイイイ!』
叫喚を繰り返した枯れ葦は突然炎に包まれた。
それが次の瞬間には男神の姿をかたどるが、上から墨がかかり真っ黒に染まる。
集まってきた影が吸収されていき、鎧を着た武者の姿になった。
「ホノカグツチノカミ、間違いありません。枯れ葦です」
瑞兎が静かに告げると、呆けた意識を戻した陽之衛がうなじに手を当ててきた。
光でできた穂が生え陽之衛の手をくすぐると、柄が生まれる。
ためらいなく陽之衛は掴んで上に引き上げた。
葦を刈るための刀がやっと姿を出したことに八咫の目が光る。
「若様、どうか、どうかあの方をお救いください」
流れてきた意識、記憶。
信じがたい真相を一度胸に押し込み、瑞兎は陽之衛に懇願する。
主は刀を握りしめ直すと、八咫の名前を呼んだ。
次の瞬間に彼の師匠はすぐに察して、陽之衛の体を抱え上げて振りかぶり、空に放り投げていた。
振り上げられた切っ先が月の光をまとっていた。
そしてそのまま上空からまっすぐに縦に引かれた線が、ホカグツチノカミを左右にザンと切り裂く。
陽之衛が持つ刀は〝アメノハバギリ〟と名付けられた太刀だ。
かつてスサノオがヤマタノオロチを討伐した際に使ったものの写しではあるが、大蛇を倒した逸話にならい特別なまじないが施されている。
その力は葦以外を切ることは許されない。
その代わり、葦であればどんなものでも斬ることができる。
そして静謐が訪れる。
二つに分かれた塊は葦の穂を生み、緑に包まれると一瞬で枯れ、跡形もなく消え去っていった。




