21話 これからどうしよう
将志郎が警察に突然連行された衝撃的な一夜が明けた。
気絶していた瑞兎も鶏の鳴き声で目を覚ます。
柔らかい布団の感触があまりに日常のまますぎて、あれは夢だったかもしれない、という淡い期待を抱いた。
布団から出て、事務所にしている部屋を覗いてみれば真剣な顔で指を鳴らしている陽之衛を見つける。
おかげで昨晩の出来事は現実だと失意に終わってしまった。
目を凝らすと、主人の前にある机にはなにも置かれておらず、急いで台所へと向かった。
卵の殻を割り、丁寧に混ぜてスクランブルエッグを作る。
卵液を鍋の中に入れるとじゅわっと広がり、黄色い液体がじょじょに橙色へと変わっていく様を眺め、瑞兎は冷静さを取り戻していく。
毎日繰り返す習慣をこなしてみると、案外頭の中が整理されるものだった。
──計画は失敗した。それどころか最悪な事態に陥っている。
作ったサンドイッチを陽之衛の前に置いたが、彼が反応することはなく、ただ一点を見つめて指を鳴らし続けている。
ふと足元に目をやると、何枚もの走り書きの紙が散らばっていた。
もう一度主の顔を確認してみる。一晩中思考の海に潜っていたのか、酸素欠乏を知らせるように目が赤く、クマもひどい。
瑞兎は限界を察して陽之衛の手をそっと包んだ。
「申し訳ありません」と後悔を押し殺して謝罪を伝えると、陽之衛が肩をすくめる。
「思ったより良くない状況だな。都合よく警察が来ていたなんてびっくりしたよ。仕事してるんだ、あの人たち」
軽口が飛び出したものの、赤く腫れた指先の熱は陽之衛の動揺を隠しきれていない。
どう返すべきか、一瞬迷う。
いくつも疑問が浮かんできても最適とは思えず、空気は沈黙のせいで重さを増した。
その空気に耐えられずに口火を切ったのは陽之衛だった。
「よりにもよって八咫が出てくるなんて、鹿島がしくじったんだな」
「やた? 指示を行っていた女性警官でしょうか」
「そうか、瑞兎は会ったことがなかったね。あれは、その、俺の師匠的な人というか、あんまりしゃべりたくない!」
珍しい光景に瑞兎はぽかんと口を開けた。
陽之衛がこんなにしどろもどろとしている姿はあまり見かけたことがなかった。
横に座れば、彼の服や髪がしっとりと濡れている。
おそらく眠くなったときに冷水でもかぶったのだろう。
幸いに風邪をひいた気配はなさそうだ。
「あとで詳しく教えてください。まずはご飯を食べて寝ましょう、若。その間に私は鹿島様と連絡を。ことの経緯を洗ってみます。できるかはわかりませんが」
「でも、」
「三十分でも一時間でも構いません。こういうとき、いつもの若なら呑気に寝ていた私を叱るじゃありませんか。今日は一回も瑞兎をからかってませんよ。それだとこっちの調子が狂ってしまいます」
ね、と微笑みかければ陽之衛が口を曲げる。
無茶をするほど焦燥しているのも十分にわかるから、諭すのがつらい。
しかしもしものときに彼が倒れればこの事件を解決する術を失ってしまう。
だから瑞兎だって無理を強いたくなる。
瑞兎の懇願を込めた視線に負けたのか、陽之衛はサンドイッチを乱暴に食べ始めた。
安心した瑞兎は手拭いを持ってきて髪の水気を拭きとってやり、食べ終わったのをきちんと見届けてから布団に押し込む。
眠れるようまじないを歌えば大人しく陽之衛が目を閉じた。
すぐに事務所へ戻り、紙を拾い集めて何が書いてあるか確認する。
字が下手な陽之衛の走り書きを読み取るのは苦労したが、どれも仮説にすら至っておらず、ほとんど削除を意味する線が引かれていた。
(あの八咫って人も葦なのか? でも警察内にいるのは鹿島様だけのはず……)
冷徹な顔を思い出し、ぶるっと寒気がした。
いま考慮すべきはそこでないはずだと言い聞かせる。
ここでうじうじ悩んでいてもしょうがない。
警察署へ行く書置きを残し、身支度を整えて落ち着かない気持ちを抱えつつ瑞兎は家を後にした。
いつでもバタバタ忙しそうな警察署内に一人で来たのは初めてだった。
けれど顔は割れているからすぐに警官が鹿島を呼んでくれた。
やってきた鹿島もまた目の下にクマを作っている。
どうやらかまいたち事件については苦労しているらしい。
鹿島は瑞兎へ早々に頭を下げてきた。
彼らの組織内でどんな派閥があったり条約があったりするのか見当もつかないが、苦労がうかがえる。
想像を巡らせる前に、現状は厳しいままだと告げられた。
「烏派に捜査が一任されてしまっているため、鹿派のだれも介入ができていないんだ。まだあの青年が容疑者だと確定しているわけではないのは保証する」
「八咫様は一体何者なんですか。若が師匠だって言ってましたが、私は一度も会ったことがありません。どうしてこの事件の指揮を?」
「あ、あぁ。若からはそう聞いているのか。もともと高千穂家と関わりがあるそうで、昔から若の鍛錬を行っていたんだ。それにかまいたちを追いかけていたのはもともとあちらだしね」
「ずいぶん仲が良くなさそうでしたけれど……」
「馬が合わないんだろう。なにせあの人は霊獣の中でも太陽に近いものだから、ほら、若は太陽があまり好きではないだろう」
霊獣、という言葉に瑞兎は返事までの間を長く開けてしまい、八咫の話は続かなかった。
彼女は人間でも葦でもなかったということだ。
代わりに将志郎とのことを鹿島から訊かれ答えざるを得なくなる。
慌ただしい署内では怒号が飛びかっているせいで、会話をするにも少々声を荒げる必要があった。
「そうか、由良家のご子息から直接依頼を受けていたのか。引き続き調査は進めてくれ。それで若様の様子は? ご無事か?」
「はい、いまは体を休めています。守り切れず申し訳ありません」
「瑞兎が謝ることはないよ。こちらこそ申し訳ない、休ませてやりたいんだが、どうにも」
「私は平気です」と言葉を遮った。ピンと張られた糸が弾かれたような声に一瞬驚いた鹿島だったが、言いかけた言葉を飲み込みうなずく。
「いくら八咫でも由良家のご子息に無体は働かないだろう。安心しなさい。すぐに面会ができるよう手は回しておく」
「通報した方はわかりますか。せめて、どうしてあの場に警察が潜伏していたのかだけでも知りたくて」
問いに鹿島が苦々しく口元を歪めた。
これ以上得られるものはないと理解する。
頭を下げれば、彼は部下たちに指示を出すために軽い挨拶だけ残し去っていった。
仕方なく瑞兎も署内から出ることにした。なにせそろそろ陽之衛が起きる頃合いだ。




